森友の幼稚園で「教育勅語」を暗唱させている姿が映し出された。これに刺激されたか、「教育勅語の」を基本にした義務教育が話題となる。明治23年10月30日渙発されて敗戦を迎えるまで、教育の基本としてきたが敗戦で天地が引っくり返り,非軍事化、民主化の二本柱として、平和と民主と称して、終身、歴史、地理の授業禁止となった。考えてみれば、明治の教育を受けて者でない人が、明治の興隆期の日本の興隆期、政治経済を指導したことは、古より日本の文化の「伝承」を四書五経等より受け継がれて子孫に受け継がれたものである。良く語られた「身体髪膚これを父母に受く,敢えて毀傷せざるは孝のはじめなり」もそに一例である。何も今教育勅語と言わずとも、人の道は説けると思う。形式より心の持ち方である。敗戦で家族制度は分解し、核家族となり、先祖の墓も護り切れず、親類縁者は分散され、顔を合わす機会もない都会生活者、法人は株主に向かい、労働は場合によっては闘争の場となる。企業の愛社精神は労使ともに薄れ、儲けるなら依存症対策をとれば良しとする風潮、第三者機関あるいは専門家会議、有識者会議万能の政治になりつつあるを憂う。