エンブレム盗用疑惑について、大会組織委員会の釈明があった。原案を世界中の商標登録と照らし合わせ、類似のものがあり、原案を修正願い、さらに躍動感を追加して出来上がったのが、今回のエンブレムですとのこと。最初の類似商標とは、どんなものかは表示されなかった。これを開示する必要がある。別に類似デザインで取りやめた経緯もあり、傾向を見てみたい。商標登録は対抗手段として有効ながら、二年も前に開示されたデザインと酷似したデザインの場合、当然優先権は早い者にあると思う。侵害でなくとも、明らかに酷似したデザインである場合、快い気持ちがしない。盗用とか、コピーとかを問題にしているのでなく、独創性を発揮すべきオリンピック、パラリンピックのエンブレムとして、非のないデザインでありたい。
フィヒテは、「結局、最後は祖国を救うものは、軍備の量でもなく、兵器の精鋭でもない。祖国を護ろうとする1人1人の国民の心の団結にある。」と言ったがまさにその通りであり、日本の現状はどうなんだろうか。「自衛隊に任せる」は合法かもしれぬが、国民としての心構えとしては情けない。国会議員はどう思ているのか。国防の基盤とは、明確な国防の目標を自覚し、自らの力で国を護る意思を確定し、それを可能にする法体系,体制を確立することでなければ何を論じても空論に過ぎない。戦いに勝つための軍は必要でなく、戦いを抑止する軍が必要とする説は、日本の正当な国防力建設をこのまない妨害が存在しているように思える。
国を護るのは平素からの情報、世界情勢近隣諸国の動静に常にマッチしてなければならない。昭和38年ごろ、三ツ矢研究と言う今回と同じような問題が持ち上がった。待てよ、国を護るには常に緊張した危機感が必要だ。図上戦術で想定される状況を学んでおかないと、法案が出来たからサア戦えと言う方が非常識だ。図上戦術の研究が漏れたことには、重大なな意味がある。放置すべきでない。たとえば尖閣諸島に敵が上陸を試みる場合、いかなる戦闘が起こりうるか。航空機爆撃が先か、陸上部隊の上陸が先か、いろいろな場面を想定して、対策を練るのが防衛の戦術の一つ、それすらも、手を拱いていてなにを訓練するのか。お飾りでない自衛隊でなけらばならない。私は共産党の問題提起に疑問を感じる。
東京オリンピクパラリンピクのエンブレム模造疑惑の責任の取り方はどうなる。擁護される方の後に顧みたときの東京オリンピックのあじの悪さが気にならぬ感覚、東京は認めて飲む気なのか。かたやTPPでは、匂いも対象に入れることを要求する国あり、名声慾や金銭欲のなせる業、今度は味のTPPまで出れば、地球の自然はどうなるのか。見るな、嗅ぐな、味わうな、戦争ばかりして地球に誰が住んでいるかも弁えず、荒んだ住み難い砂漠になるようで哀しい限りだ。大国は大国らしいものがなければ、協調する国を失う。
8月11日~12日の連続迫撃砲の砲撃を受け翌13日は飛行機による陣地爆撃が予定の敵の攻撃パターン、いよいよ来るものが来たかと観念し、12日夜半に手元にいた軍医に後方の連隊本部に単独で報告に派遣、入れ違いに連隊本部の軍曹が夜半を利用し即撤退せよの命令を持参した。10日以上蛸壺陣地に蟄居しており、体力の消耗も予想以上で、闇夜を前を行く人を見失わないよう撤退を始めたが、途中Ⅰ名見失い、呼べど探せど遂に見失う。翌日案の定今まで居た陣地のは猛爆撃を受け、椰子の木もなくなるはげ山となる。改めて新陣地守備を命ぜられ、移動を開始、途中8月15日昼師団長より今度の陣地守備で玉砕せよと訓示され命ぜられた。訓示終了後、俄かに砲撃音、銃撃音が静かになり、敵の飛行機よりは「伝単」(中国語)宣伝ビラがまかれ、日本の敗北の情報がながれる。真偽定かでなく、戦闘音が激減した事実が何とも言えぬ不安を覚え、つい数日前に戦死した部下の死をあらためて嘆かざるを得ないやるせなさを今更ながら思い出す。一番暗い憂鬱な時間が戦後70年と言うが、つい今まで共に戦ってきた時間に引き戻される。戦争の無慈悲さが、敵も同じ思いで、人間として、止めなければならない。戦場は東部ニューギニア。