日奈久での西南戦争の経緯
日奈久は西南戦争時、薩軍の兵站基地になっていました。
明治10年3月19日官軍は日奈久に上陸して熊本で戦闘をしている薩軍と鹿児島の物資搬送を遮断し、北上して薩軍を挟み撃ちにする事にしました。
この日奈久方面からの官軍を衝背軍と言い別働旅団が編制されています。
【西南戦争史跡】
官軍(衝背軍)上陸の地【洲口】
日奈久の少し南側にある洲口に黒田清隆指揮の元、高島鞆之助率いる別働第2旅団が上陸しました。
標柱は錆で何も読めないです。
鳩山
薩軍はこの小高い山で洲口に上陸した官軍を迎え撃ちます。
しかし、薩軍の兵士は少なく官軍の攻撃により敗走してしまいました。
官軍(衝背軍)上陸の地【日奈久】
官軍は洲口の上陸時、軍艦から日奈久に向けて援護射撃がありました。
それを前後して洲口とは別の官軍が数隻のボートで日奈久に上陸しています。
軍艦の砲撃で被弾した柱が残っている日奈久温泉八代屋旅館です。
衝背軍の上陸により薩軍は益々窮地に追い込まれましたよね。