子育ての難しさ
と
子育てをされてきた私達
人は 親から生まれ 子 として育つ
当たり前の事ながら
当たり前の事はわからないことばかり
正解、不正解
あるのか?ないのか?
それも
人の成長、環境、生まれもった気質
により
答えも変わる。
勉強、勉強ばかりを
ありがたいと受けとる 子 もいれば
苦痛、自由がないと受けとる 子 もいる
人は
時々
自分が 子 であったことを忘れる
子 であった自分が
親 になり子育てするも
子 であった時の感情は忘れ
今の自分がある=親の子育ては正しかった
と、模範解答として成り立ち
同じ様な 子育て 教育 をする
これが、家系として成り立つ。
時には
夫の家系
妻の家系
の違いから学ぶこともある。
あまりに違う子育て理論は
子育てのバランスを悪くする
バランスが悪くなると
父親家系、母親家系の
悪い面を 子 は子育てとして教育される
負 と呼ばれるながれの始まり
しかし、
負 と呼ばれる流れは変えることができる
それは
気がつく ということ
時には 親 も間違うことがある
時には 親 もわからないことがある
子育てには
正解、不正解 をつけるは難しい
責めることはできない
が、
そういうこともあるんだと
気がつく事はできる。
また
一生懸命頑張ってきたはずの
子育てが
時には 子 の親離れと共に疎遠になる
お互い理解しあえない関係になる
そんな場面も存在する
子育てに
正解、不正解は
つけられないが
疎遠になるような子育てをしてしまった
可能性はないとはいえない
そこでも、
子 を責めることはできない
が
子 の旅立ちを認めることはできる
子育て=自立、自律
とするなら
それはそれで あり として存在する
しかし、
子育て=家系を守る、子孫を繋ぐ、親の面倒 をみる
として存在させるのであれば
子の旅立ちは
理解しがたいものになる
子 の幸せを祈るのが
結果、信頼として
結びつきを強くし
引き戻すキッカケにはなる
と、その前に
親であっても
子であっても
人として存在しており
人として互いに ある という事を
思い出せば
人として生きていることを選べば
問題は解決しやすくなる。
地球への感謝をおわすれなく