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吉川英治さんの新・平家物語
敦盛
の続きです。
源平合戦、一ノ谷の戦いが始まります。
有名な鵯越の坂落としの場面ですね。
後白河法皇は、
源氏と和議せよ。
二月八日までは源氏に攻撃するなと
伝えてある。
八日に和議の院宣を出す
と平家に嘘を言ってきます。
平家は、八日までは戦は無し
と油断していますが、
後白河院は、
七日の朝に総攻撃をかけよ
と源氏に言ってあるのです。
ひどいわ〜
日の本一の大天狗!
はたして、源氏の攻撃に
慌ててたじたじになってしまった平家。
次々と平家の公達は討たれてしまいます。
敦盛を温かく迎えてくれた
兄の経正も、敵に囲まれて
自害してしまいました。
安徳天皇を乗せた御座船は
屋島へと退却していきます。
敦盛は、叔父の忠度に
御座船を追って船に乗り、
安徳帝をお守りしなさい
と言われて、海岸へ出ました。
味方の船がもう出発していますが、
馬に乗り泳げば間に合いそうに思って
海原を泳ぎ始めます。
でも、近くに見える船にぜんぜん追いつけません。
そうしている間に
源氏側の武将、熊谷直実に見つかります。
直実に
おーい!返せ 返させ給え
と呼ばれ、
敦盛は諦め陸に上がってきます。
熊谷直実は木曾義仲退治からこちら
武勲を挙げていない事に焦っており、
これは良い敵とばかりに
名のりをあげます。
そして敦盛に名のれとせまりますが、
敦盛は名のりを返しません。
そして一騎打ちが始まりますが、
直実に勝てず、
敦盛は首を掻き切られそうになります。
でも、敦盛の顔を見たとたん、
直実は切る事ができなくなりました。
敦盛の余りな可憐さ、美しさ。
「あわれ、まだうら若さよ」
と、同じ年ごろのわが子を
思い出してしまったのです。
直実は
助けて参らせよう。おん名を名のらせい。
と、敦盛に言うが、
敦盛は
「あなたは源九郎義経殿の家来か?」
と聞きます。
そうだと答えると、
敦盛は
「ならば、我が名はお主の九郎殿に問い給え」
と。
「えっ、九郎殿と、お知り合いか」
「いや、知らぬ、敵の大将、親しいはずはない。けれど、義経どのの侍に討たるるは、いささか本望。なんじにとっても、このわれは、よい敵ぞや、首を取って、義経どのの前に供えよ」
そうこうしている間に
源氏の味方がやってきてしまい、
直実は敦盛を斬らざるを得ず
敦盛の首級をあげました。
熊谷直実は敦盛の着ていたひたたれの袖と
大事そうに持っていた一管の笛も取って、
武勲をあげたにもかかわらず
全く闘い疲れた容子で
得意な風などどこにもなく
引き上げました。
九郎義経は、
この首は敦盛殿であろうと思ったが、
捕虜になっている
敦盛のいとこ、平重盛に確認しました。
やはり敦盛でありました。
後に熊谷直実は義経に願い出て、敦盛の袖と笛を請い受けました。
そして、敦盛の父の経盛に
手紙と共に送りました。
「私も人の子の親であるのに、
親ある人の子を討ってしまった。
敵とは言え、あなたも子をなくして辛いでしょう。
息子殿の形見を受け取ってほしい。
そしてあなたの手でお弔いをしてもらえれば乙子の君も喜びましょう。
南無阿弥陀」
敦盛の父、経盛は
「ありがたい情けだ。
そのような侍に討たれたなら
せめて我が家の乙子が倖せと申すもの」
と涙ながら経盛も、
直実の好意を心から喜んだといいます。
熊谷直実は
ほとほと武門に嫌気がさして、
出家したのでした。
平家の若き美しき公達が
戦場に散るだけでも悲しいのに、
そこに父子の情愛を投影したこの場面、
能や浄瑠璃、歌舞伎で
この『敦盛』が続々と作られました。
なんとも切ない情景に胸をかきむしられた
新・平家物語の一場面でした。
まだまだ新・平家物語は続きます。
また私の心に刺さる場面が出てきたら、
みなさんにご紹介しようと思います。
また明日〜バイバイ👋
悲しいですね。
昔の権力争いやいくさって、切って
切られて・・・なんでまた?と現代の
我々は思うのですが、それを悲惨で
無意味と思うのは、我々が当事者じゃ
ないから。
当事者は必死。仕掛けないと、仕掛けら
れて殺されます。今の会社や政治や
役所の中の権力争いも、人を殺しはしな
いが似たようなものですね。
鎌倉殿の13人なんて見ていると、それが
すごいのですが、そのはるか前から
延々と繰り返されてきたのですねえ。
お公家さんの時代も、武士の時代も
現代も似たようなものであります。
そうした争いをする人達を手玉に
とって、権力がかなり落ちたとはいえ、
それでも残ったポジションを駆使して
暗躍する後白河法皇もすごいですね。
今回もじんと来るお話でした。。。
熊谷直実が不本意にも敦盛を討った話は知っていましたが、その後の笛の下りは知りませんでした。。。
春に咲く山野草に、アツモリソウとクマガイソウと言うのがあります。
物語が日本人の心に染み込んでいるのでしょうね。
今回もありがとうございました。
熱盛り、美味しいです。
夏でも私、つけ麺は熱盛り。
って違くて〜
敦盛、悲しいわ〜😭
頼朝は14歳頃から戦に出て、
(14で戦もあり得ませんね)
平清盛に助けられたのに、
平家を倒すんだからなんだかね〜
っていうのは今の私たちの感覚なのですね。
夫も鎌倉殿を見ながら
これ、会社も同じだよ
と言っていました。
後白河法皇!
西田敏行がうまく演じていましたね。
じんと来ますね〜😢
笛のくだりは吉川英治さんの創作かな?
どうだろう?
アツモリソウとクマガイソウですか。
知りませんでした。
わー、いい事を聞きました!
ありがとうございます😊
今日も、じんとくるお話でした。
秋さんのお話をお聞きした後に、
ガバオさんのアツモリソウとクマガイソウのお話をお聞きして、
しみじみしました。
朝からありがとうございます。
権力争いで家族に仲間までも。
昔を見るとやはり悲しみも。
…奥様は歴史好きですよね!😄
ただいま受験生のコトちゃん、
めちゃ歴史勉強しています(*^▽^*)
お互いステキな週末に
なりますように☆★☆
テル
じんと来ていただけましたか。
良かった。
ガバオさんの草花のお話し、良かったですよね。
ブログっていろいろ知ることができて
有難いです🤗
私、歴史というか
鎌倉関係が好きなのですよね。
平安時代末期から室町時代初期は
鎌倉がおおいに関係あるから興味があるのです。
その他の歴史はちんぷんかんぷんなんですよ〜
アハッ😂
コトちゃん、今大切な時期ですね。
頑張ってね!
応援しています📣😄