● 真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
第六代 巧如 (1376年 - 1440年)応永元年(1394年)継承。永享8年(1436年)譲。
巧如(ぎょうにょ)は、南北朝時代から室町時代の浄土真宗の僧。本願寺第六世。
・永和2年、本願寺第五世綽如の第二子として誕生し、日野資康の猶子となる。
・康応2年/明徳元年(1390年)、綽如は「本願寺」を継承し第五世になるも、まもなく寺務を法嗣である巧如に委任し、越中国杉谷に草庵を結び退隠する。
・明徳4年(1393年)4月24日、綽如が示寂。
・応永元年(1394年)、本願寺住持職を継承し、とくに北陸への教化に尽力。弟の屯円を越前国の藤島超勝寺に、4男の如乗を越中国瑞泉寺に派遣した。
・永享8年(1436年)、長男・存如に職を委譲する。
・永享12年10月14日(1440年11月17日[1] )、65歳で示寂。
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