雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

真宗大谷派 65

2023-06-25 08:33:18 | 宗教
 真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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◇審問院
「審問院」は、大谷派の秩序を保持し、同派の規定による申立及び係争又は紛争に関する事項並びに僧侶の懲戒に関する事項について監察、提訴及び審決を行う。
 審問院には、大谷派の教師の中から、宗議会の同意を得た者について、内局がこれを指名した審問院長を1人置く。審問院長は門首が認証する。
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御忌会

2023-03-12 15:27:12 | 宗教
📿 9:00-12:00 常行院
◇今日は、御忌会です。法然上人の命日に営まれる法要。
常行院では、それに合わせて、塔婆などを立てて先祖供養なども行われています。

*御忌会(ぎょきえ)とは、仏教儀式名。狭義には浄土宗宗祖法然の命日法要のこと。建暦2年(1212)、上人は80歳で往生。御廟所(墓所)には大勢の弟子や上人を慕う人々が集い、毎月・毎年の忌日には法要「知恩講」が勤められた。これが「御忌」のルーツともいえる。上人の忌日法要を正式に「御忌」と呼ぶようになったのは戦国時代の大永3年(1523)、後柏原天皇が知恩院に送った詔書に「毎年1月、京都とその周辺地域の浄土宗僧侶を集め、〝法然上人御忌〟として7日間勤めよ」とあることによる。「御忌」は天皇や皇后、また高僧などの年忌法要を指す語でしたが、江戸時代になると〝「御忌」といえば法然上人の忌日法要〟と一般に定着。

  
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浄土宗 103

2022-01-19 14:49:27 | 宗教
浄土宗
浄土宗の法話:2017年10月
~八十八回の手間~
「米は八十八回手間がかかるから米って書くんだよ。」そんな忘れてしまったような言葉が自分から出てくるとは思いもよらなかった。
 八年ほど前、寺に田が戻ったのがきっかけとなり米作りをはじめる事となった。田んぼで米を作ったことなどまるでなく、何とかせねばということで素人の怖さ、「無農薬」しかも「手植え・手刈り・はさ掛け」と昔ながらの方法で黒米を作ると言う大それた事となった。田植えの当日、地元新聞の記者が取材に来るという。田植えなど珍しくもないが「黒米」しかも手植えと言うことで寺の世話人の一人が声を掛けてくれた結果である。わずか四畝の田で詠唱講の早乙女たちが、横一線に張った綱を基準に苗を植えながら後ろ向きに進んでいく。ほぼ終わりかけの頃、記者も到着、早速取材を受ける。なぜ農業の機械化が進んだ中で、手作業で稲作に取り組んだのかの話である。田を手がけたことがないド素人が解った風なことを言うのだから恥ずかしい限りである。そんな話の中で米作りは手間暇がかかることから、八十八回の手間の話が出た。驚きはそこから。若い記者は八十八回の話を知らなかった。しかしよく考えてみると、私も米を作る現場に入るのは初めてでリアルに八十八回の体験をしたわけではない。むしろ「米は八十八回手間がかかるから一粒も粗末にしてはいけないんだよ」と言葉で知っていただけである。後々八十八回の意味をいやというほど知るところとなるが・・・。
ほとんど機械化され、肥料や農薬の助けを借りて、省力化が図られている農業の時代にあらがうが如き、昔ながらの作り方をしてみた。
 農家の人から観れば「そんな甘いもんじゃない」そんな声が響いてきそうだ。
 簡単、安易と形容される時代ではあるが、その中で流されている私がいる。八十八の手間暇を掛けて人生を送っているだろうか。安易、怠惰そのものの人生を送る我が身が愚かしい凡夫であるが気づくことはなかなか難しい。わかったふりをすることでこの世を渡っていく事がどれほどあったことか。愚かしい我が身に気づき、人生を救うて下さる阿弥陀様に身をまかせ、生かされている自分に気づき、わが身に添うた修行、それがまさにお念仏をお称えすること。「気づけよ、気づけよ」と諭していただけども気づけない私だからこそ、身に添うはお念仏なのだ。
 十月半ばに刈り入れ、稲束をはさ掛け。その頃は稲穂の馥郁とした香りにつつまれ、雑草と格闘した(特に稗)日々を忘れさせる。はさ掛け乾燥後、脱穀そして精米、収穫を迎える。その収穫に感謝し「ありがとう」その言葉の意味- 有り難い-、そして一粒一粒の米に命の宿る尊さををかみしめながら。   

                                          合掌 
                                          南無阿弥陀仏
                                          伊勢教区 香肌組 蓮浄寺 堤 康雄
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浄土宗 102

2022-01-19 07:17:22 | 宗教
 浄土宗
浄土宗の法話:2017年09月
~「約束」~
「また明日会おうね。」
 私たちは、家族や友達、また色々な人と会った時、挨拶をします。そして、時には約束も交わします。
 「次は◯月◯日の◯時にこの場所で。」「今度くる時はまた楽しい話をしましょう。」簡単な約束、重要な約束、色んな約束がありますが、約束とは私たちの未来へのつながりを願った誓いといえます。
 私には、Sくんという幼なじみがいました。幼稚園、小学校、中学校と同じで、地元の祭りにも一緒に参加する仲のいい友達でした。
 高校3年の時、Sくんは首から肩にかけて痛みを訴え、入院することになりました。実はその時、悪性の腫瘍が彼の身体をむしばんでいたのです。若いということもあり病気の進行が早く、Sくんはだんだんと衰弱していきました。
 「絶対に治る!」そう信じて疑わない彼と私たちでしたが、ある日、Sくんは私にこう言いました。「亡くなったらどうなるのかな。」彼は猛烈な不安と戦っていたのです。私は彼に対して、「極楽浄土で阿弥陀さまや先に亡くなったおじいちゃん達が待っているから、心配ないよ。」と答えました。
 極楽浄土へ行くためには「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えること。これが極楽浄土をおつくりになった阿弥陀仏の願いであり、浄土宗をお開きになった法然上人のみ教えです。Sくんは両手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と称えました。
 「もし亡くなっても、極楽で待ってるからまた会おうな。」Sくんと私は約束をしました。
 Sくんはそれから後、この世での命を終えていきました。しかし彼は、極楽浄土に生まれ、私たちが来るのを待ってくれています。
 「生まれては まず思い出ん ふるさとに 契りし友の 深き誠を」
 法然上人は、自らが浄土に生まれた後は、この世でお念仏の行に励んだ仲間と極楽浄土で会う約束を、まず第一に思い出すであろうと、お詠みになられました。すなわち法然上人の約束であります。お念仏を共に励ました友との極楽浄土での再会の約束です。
 阿弥陀仏は「我が名を呼べば、必ず極楽浄土へ導くぞ」とお誓い下さいました。これはすなわち阿弥陀仏の約束です。阿弥陀仏の約束は、お念仏を申す私たちを救うことであり、決して破られる事のない約束であります。
 この世での命が終わっても、「極楽浄土でまた会おうな。」と約束したSくんとの再会を楽しみに、また、阿弥陀仏、法然上人との約束を果たすために、これからも一層お念仏に励んでいきたいものです。

                           合掌 
                           大阪教区 泉北組 西光寺 寺尾昌治
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浄土宗 101

2020-11-29 18:56:15 | 宗教
 浄土宗
浄土宗の法話:2017年08月
●お盆~亡き人との再会~
 「おぼんとは いままで空にいた人が 空からかえってきます その人は ひさしぶりだから げんきにしてるか といいます なむあみだぶつ なむあみだぶつ」勢哲せいてつ(小1)
 お盆は、平素ご無沙汰がちの亡き父母やご先祖様を家にお迎えし、お盆の期間中たくさんの食べ物をお供えして親しく語らい、そしてお盆の期間が終わればまたの再会を願い心静かに本国(極楽浄土)へとお送りする古来からのゆかしい「魂まつり(たままつり)」という行事です。
 お盆とは正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい『盂蘭盆経』というお経に由来があります。ある時、お釈迦様の十大弟子の一人「目連尊者もくれんそんじゃ」が餓鬼道で苦しんでいる母親を見つけます。何とか救う手立てはないかとお釈迦様に教えを乞うたところ、「夏の修行期間の明ける旧暦7月15日に多くの僧侶たちに沢山のご馳走を振る舞い心から供養するように」と諭さとされます。この教えに従い供養したところ、母親は救われ極楽浄土へ往くことが出来たという話が説かれています。そしてこの話が日本に伝わり、古くからご先祖さまに感謝をささげ供養する重要な行事となったのです。
 冒頭の文は、息子が小学校1年生の時(現在中学3年生)に書いたものですが、当時流行していた「千の風」の歌を思い浮かべて、「この世」とははるか離れた高い所「あの世(極楽浄土)」を「空そら」と表現したのでしょう。『千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています』の如く、いつも極楽から私達を見守ってくださるのがご先祖様です。お盆はそんなご先祖様が一年に一度「空そら」から我が家に帰ってこられ「元気にしていたか?」と私たちに優しく語ってくれるのです。そのように受け取らせて頂くと、自然と精霊棚に手を合わしお念仏を申さずにはいられません。
 「今日あるは 先祖のおかげ 魂まつり」
 お盆が終わり、ご先祖様を本国(極楽浄土)へとお送りし少し寂しくなりましたが、また一年後の再会を願って毎日欠かさずお念仏をお称えさせて頂きましょう。

                   合掌 
                   大阪教区 泉北組 安楽寺 住職 常住哲也
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覚王山日泰寺

2020-10-04 17:09:55 | 宗教
 覚王山日泰寺
◇概要
 日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院
 日本で唯一のいずれの宗派にも属さない日本の全仏教徒のための寺院で、釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺(にっせんじ)として創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。
 よって、運営に当っては現在19宗派の管長が輪番制により3年交代で住職をつとめ、各宗の代表が役員として日常の寺務に携わっている。
 年中行事としては3月15日の涅槃会。4月8日の降誕会(花まつり)、5月のウエサカ祭、6月15日の奉安記念法要、11月15日の奉遷記念法要、12月8日の成道会、春秋彼岸会法要、等々。特に毎月21日弘法大師の縁日は境内一円に露店が出店され終日にぎわい、名古屋市民の信仰と憩いの場所となっている。
  
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浄土宗 100

2020-08-03 05:53:02 | 宗教
 浄土宗
浄土宗の法話:2017年07月
===日常生活にお念仏を===
 仏教と言えば「南無阿弥陀仏」、「南無阿弥陀仏」と言えばお念仏と言われるほど、多くの日本人に馴染みのある言葉です。では南無阿弥陀仏のお念仏は、なぜ称えるの、いつ称えるの、その意味は、と尋ねれば、浄土宗の熱心な信徒さん以外は知らない方が多いのではないかと思います。
 浄土宗では元祖法然上人のお念仏を日常生活の仲で、何時でも、どこでも、何回でもお称えすることをお勧めしています。なぜお念仏を称えることをお勧めするかと言えば、一言で言えば誤りのない幸せな人生を送って頂き、最後には極楽浄土に往生をして頂くためです。こう言えば、別にお念仏を称えなくともお金やモノで幸せになれる、と思われている人もおられるでしょう。確かにモノやお金で得られる幸せもあります。でもその幸せは、直ぐに飽きてしまいます。そして、次のモノがまた欲しくなり次々と欲望が湧いてきます。その結果、欲望にブレーキがきかなくなり人生の道を踏みはずしたり、人との争いをおこすことになり迷いや不平不満の人生となるのです。
 何故なら全ての人間は「とん(貧)」「じん(瞋)」「ち(痴)」といわれる三つの煩悩を持っており、この煩悩は止まることがないからです。「とん」は欲深い煩悩、「じん」はイライラ、かっかする腹立ちの心、「ち」は愚痴の心のことです。
お念仏はこの心の煩悩を抑えてくれるのです。そして必ず浄土に往生できるのです。だからお念仏を称えることをお勧めしているのです。お念仏は立派な仏壇がなくても、誰でも、何処でも称えることができます。イライラかっかした時、不安な時、就寝の布団の中で、車の中で、トイレでも結構、ぜひ一度称えてみて下さい。きっと貴方の心が和らぎます。お念仏を称えることが日常生活の習慣となれば、誤りのない幸せな生活を送ることができるのです。ぜひ人生の道標となるお念仏を日常生活に取り入れて頂きたいと願っています。

合掌
滋賀教区 蒲生第一組 永福寺 西川章生
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浄土宗 99

2020-06-26 18:17:30 | 宗教
 浄土宗
浄土宗の法話:2017年06月
===お念仏なればこそ===
 法然上人のお言葉(意訳)の中に
「お念仏は金(きん)のようなものです。金は火に焼かれても焦げることなく、ますます色を増して輝き、水に浸し放っておかれても、錆びつき、腐り、朽ち果てることはありません。
 同じようにお念仏は、煩悩、妄念の心で申しても、焦げつき、錆びつき、穢れ、朽ち果てたような虚しいお念仏になるわけではありません。
 金が水に浸されてもなんら変わることなく、炎の中でもますます輝きを増すように、煩悩、妄念のどんな心でありましても、お念仏による阿弥陀さまの導きは全く変わることのない、それどころかますます輝きを増すように力強くお手引き下さるのです。
 どんな時でも、どんな場所でも、どのような姿、心で申しても、すべて往生の行となっていくのです」とあります。
 法然上人には実にさまざまなお弟子がいました。その中に耳四郎という大盗賊がいましたが、大改心、大転換をして上人のお弟子となり、「教阿弥陀仏」と言われるほどの念仏者となったのです。
 ところが、以前の悪友たちがそれを妬み、危害を加えようと、ある夜、寝入っている耳四郎の寝室へと忍び入ったのです。そして、今こそと刀を抜き、頭からかぶっている布団を引きはがしてみると、現れたのは耳四郎ではなかったのです。全身金色の仏さまが横たわり、出入りの息が南無阿弥陀仏…と聞こえたのです。
 悪友たちは驚き、それによって耳四郎本人も驚き目覚め、互いに抱き合ってお念仏の尊さを喜びあい、耳四郎自身はますます信仰を高め、悪友たちは善心に立ち還ったという話が伝わっています。
 この話は、耳四郎という我欲のために人を泣かせ苦しめ続けた、まさに煩悩まみれの人間でありましても、信じ仰いでお念仏申し続けていくならば、必ず阿弥陀さまの導きを受けて、人柄、人格、生活、生き様までも大転換させていただけることを示して下さっているのです。
 お念仏なればこそ、この身、この心、このままで大丈夫なのです。導かれていくのです。お念仏申して生き往きましょう。

合掌
北海道第一教区 小樽組 長昌寺 麻上昌幸
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浄土宗 98

2020-03-23 06:03:37 | 宗教
 浄土宗
浄土宗の法話:2017年05月
=み名を呼ぶ思い=
 私たちは、朝目覚めてから夜眠るまで、さまざまなものの名前を口にします。
そこには喜怒哀楽の感情がこめられています。例えば子どもが「お母さん」と言葉にする時、甘えたい気持ちや喜び、時には怖れや怒りが含まれていることでしょう。
 では私たちが「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様のお名前をお呼びする時、どのような思いで称えているでしょうか。多くの場合、先立った方々のご供養のために、という思いで称えておられることでしょう。もちろん阿弥陀様はそうした思いにも応えて下さいます。では浄土宗を開かれたお念仏の元祖・法然上人はどうお示しでしょうか。
 「称名の時に心に思うべきようは、人の膝などをひきはたらかしてや、助け給えという定なるべし」(つねに仰せられける御詞)
 「南無阿弥陀仏と称える時に心に思うべきことは、人の膝にすがりついて、お助け下さいというような気持であるべきです」また別のご法語には「阿弥陀(ほとけ)、たすけたまえ」という思いで称えなさいとお示しになっています。
 「助け給え」という気持ちで称える、ということには二つの意味があります。一つは、「この私は救われがたいものである」という思いです。浄土宗は「21世紀劈頭宣言」の冒頭に「愚者の自覚を」と掲げています。冒頭に掲げる、ということはそれが一番大切な事、入り口であるからに他なりません。様々な煩悩にまとわれ、欲望のままに生きる私たちは誰もが「凡夫(ぼんぶ)」と呼ばれる救われがたいものです。そう自覚するからこそ「助け給え」と阿弥陀様の名をお呼びするのです。もう一つは「この救われがたい私」を、阿弥陀様は必ずお救い下さるという思いです。この世で何かピンチになった時、頼りすがるべきは「頼りがいのある人」でしょう。ましてこの身、この命のゆくえの大ピンチなのに、頼りないものや、財産や名声などの失われるものにすがるわけにはいきません。極めつけに頼りがいのある阿弥陀様におすがりする、その思いが声になる、それが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。
 なにより、今この世に生きている私のために仏となってくださった阿弥陀様です。心の底から頼りきり、お任せする思いで「南無阿弥陀仏」とお称え下さい。

合掌
青森教区 弘南組 遍照寺 花田俊岳
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浄土宗 97

2020-03-07 16:04:17 | 宗教
 浄土宗
●浄土宗の法話:2017年04月
=浄土宗開宗の喜び=
 鶯(うぐいす)の 谷よりいづる 声なくは 春くることを 誰か知らまし
 この和歌は、平安時代の歌人・大江千里(おおえのちさと)が、「鶯よ、早く山から出て来て皆に春を知らせておくれ」という思いを詠んだものです。
 鶯が「ホーホケキョ」と鳴くと春の訪れを感じるので、鶯のことを「春告鳥(はるつげどり)」とも呼びます。カレンダーなどなかった昔の人は、きっと鶯の囀(さえず)る声を聞いて春の到来を喜んでいたのでしょう。
 実は、今から842年前の春にも大きな喜びがありました。承安5年(1175)年のことです。法然上人が長い間修行をされた比叡山に別れを告げ、吉水の地で浄土宗をお開きになられたのです。
 それがなぜ、この上ない喜びかといいますと、これまで説かれていた仏教は、自らの力で智慧の眼(まなこ)を開いて覚(さとる)ための教えでありました。しかし、残念ながらわたしたちのような智慧に暗い凡夫(ぼんぶ)は、永遠に救われないと説かれてきました。
 そこで法然上人は、そんな救われようのない凡夫に光を当てられ、万民が救われる阿弥陀さまの本願念仏を示すために浄土宗をお開きになられたのです。もし、そのお示しがなければ、わたしたちは未だお念仏に出逢うこなく、永遠に彷徨(さまよ)うことになっていたかもしれません。
 ところで、「白衣の天使」と讃(たた)えられたナイチンゲールのことは、皆さんもよくご存じだと思います。クリミアの戦地に赴(おもむ)き、傷痍(しょうい)軍人が収容されている兵舎病院で献身的な看護につとめたことで有名です。そこで彼女は、傷ついた兵士のために毎晩ランプを提(さ)げて、欠かさず夜回りをしていました。すると、真っ暗な部屋に収容されていた兵士たちは皆、そのランプの灯(あか)りを見て、「生きて国へ帰るぞ」と勇気が湧き、精神的な安らぎを得たといいます。毎日、薬や包帯よりも灯りを求めた兵士たちは、ナイチンゲールを「ランプの貴婦人」と呼ぶようになったそうです。この体験から、「負傷で不安を抱いている兵士にとって、ランプの灯りが一番の治療になった」と、後にナイチンゲールは語っています。
 これをわたしたち自身に置き換えてみると、どうでしょう。わたしたちは智慧が負傷した凡夫であります。それが原因で、道理に暗く、迷ってきたわが身ではないでしょうか。
 法然上人でさえ、自ら智慧を極めていけるだろうか、とわが身を見つめられ、「愚痴の法然房」とまで仰せになられています。
 わたしたちのためにお念仏の灯りを示され、浄土宗を開宗してくださった法然上人。そのおかけで、今日こうやって「南無阿弥陀仏」の日暮らしを過ごせることは、無上の喜びであります。

合掌
福岡教区 小倉組 生往寺 安永宏史
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曹洞宗 ⑱

2020-02-26 19:41:13 | 宗教
曹洞宗
曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つである。本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とする。
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【宗歌】
 曹洞宗宗歌は、お釈迦さまの正しい教え(正法・しょうぼう)が、今日まで脈々と伝えられてきたご様子と、その正法の尊さが示されたものです。

花の晨に片頬笑み
雪の夕べに臂を断ち
代代に伝うる道はしも
余処に類は荒磯の
波も得よせぬ高岩に
かきもつくべき
法ならばこそ

「曹洞宗宗歌」意訳
 お釈迦さまはある時、大勢のお弟子さまの前で、一本の蓮華の花をかかげられました。それは、この世のあらゆるものが互いにかかわりあい、生かし生かされて存在しているということを、言葉ではなく華を拈ずるという行動で示されたものでした。このとき、お弟子のひとり、迦葉(かしょう)さまだけがお釈迦さまのこころを理解されて微笑まれたのです。お釈迦さまはその時、「私が修行して得たところの正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん・正法の真髄である仏心)を、いま摩訶迦葉(まかかしょう)に伝える」と宣言されました。「花の晨に片頬笑み」とは、このお釈迦さまがお弟子の摩訶迦葉さまに正法を伝えたという「拈華微笑(ねんげみしょう)」の故事をうたったものです。
 お釈迦さまから迦葉さまへと伝えられた正法は、またそのお弟子さまへ、そしてインドの二十八祖達磨(だるま)さまへと伝えられます。達磨さまはさらに中国へ正法を伝えられることを決意され、長い旅路のはてに中国へと渡られ、以後面壁九年(めんぺきくねん)といわれる坐禅を修行されることになります。達磨さまと、中国の二祖となられる慧可(えか)さまの出会いには、大変有名な説話があります。
 達磨さまが嵩山(すうざん)少林寺において坐禅の修行を続けられていた時のことです。それは12月9日、身も切れるほどの厳冬のことでした。慧可さまは、遠いインドから来られた達磨さまに道をもとめられ、その切なる願いに腰まで雪に埋もれながら、自らの体を傷つけるほどの強い思いを示されたと伝えられています。
 達磨さまは慧可さまの熱意に応え、後に慧可さまにお釈迦さまからの正法が伝えられることになりました。 「雪の夕べに臂を断ち」は、こうしてお釈迦さまの正法が中国に根を下ろした次第を述べているのです。
 やがてお釈迦さま以来の正法は、中国での修行から戻られた道元さまによって日本に伝えられ、瑩山(けいざん)さまによりひろめられました。「荒磯の波も得よせぬ高岩に」は、荒波が打ち寄せる海岸の、波も寄せ付けないほどの高い岩に、ということです。
 「かきもつくべき法ならばこそ」の「かきもつく」は書き尽くすと掻き付く、「法」は教えの法と海苔の二様のかけことばです。「べき」は可能をあらわします。
 高岩に掻き付く海苔があるように、尊いおしえであればこそ、それを求め伝えようとする人々によって、書き尽くし、書き残そうとする努力が積み重ねられ正しく伝わるのです。
 今一度、私たちは、摩訶迦葉さまの微笑みと慧可さまの断臂(だんぴ)のありように、身命をかけた求道の心と、そのようにして伝えられてきた正法の尊さを静かに学びたいものです。
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浄土宗 96

2020-01-25 19:09:58 | 宗教
 浄土宗
●浄土宗の法話:2017年03月
「法然上人は仏教徒のノーベル賞」
 昨年12月、新聞やテレビでは『2016年度ノーベル賞授与式』の話題で賑わいました。
 大隅良典さんが、『ノーベル生理学・医学賞』を受賞され、式典に臨まれる姿に日本国民は大きな喜びを頂きました。
 今、日本の男の子達が「大人になったらなりたいもの」の第二位に『学者・博士』と答えると言うのも、これまでノーベル賞を受賞された方々をはじめ、それを支えられた多くの学者達の絶え間ない努力の賜物と言えるでしょう。
 2010年には、私の住む北海道の鈴木章さんが『ノーベル化学賞』を受賞されました。
 これまで多くの化学者の方々が取り組んできた「クロスカップリング」と言う研究に取り組まれ、医薬品をはじめ多くの事に利用される道を広げてこられた方でした。
 「クロスカップリング」とはそれぞれに異なる物質(有機化合物)その二つの物質をお互いそのままの状態で繋ぎ合わせる事だそうです。
 しかしそれが大変難しく、一方が繋がるともう一方の何かが欠けてしまう、その繰り返しだったそうです。
 そしてご苦労にご苦労を重ね、ついに「パラジウム」と言うものを使って二つの物質を完璧な状態で繋ぎ合わせる事に成功されました。又、その「パラジウム」は何度でも使い回しができると言う事も解明されました。
 私はこの事をお聞きした時、すぐに法然上人のことが頭に浮かんでまいりました。
 法然上人が浄土宗をお開き下さいます以前の仏教は、いわゆる「出家」の仏教が主流でした。
 仏門に入り、厳しい修行と難しい学問を学び、戒律を守り「覚り」を目指すと言うものが根本とされておりました。それはごくごく一部の者しか勤める事ができない事であり、さらに「覚り」を得るのは至難の業でありました。
 法然上人は「すべての者を覚りへと導く御教えを説かれたお方がお釈迦様である。」と深く信じ、その道を求められました。実に三十有余年に及ぶ求道の末に、「すべての者が救われる方法」をお釈迦様の御教えの中から見つけ出されたのであります。
 阿弥陀仏は「全ての者を救いたい」との願いを起こされ、長い間大変な修行を積まれ仏様になられたお方であります。その阿弥陀仏の「全ての者を救いたい」という、願いの力を信じて、その名前をお呼びする。「南無阿弥陀仏」とお称えする事こそ、私たちが『覚り』に到達する唯一の方法であるとの御教えを、法然上人は発見されたのであります。
 阿弥陀様は『覚り』を得るための世界『西方極楽浄土』をおつくり下さって、私の名前を呼ぶものを全て救い取ると誓われて佛様になられたお方なのであります。
 法然上人がこの『阿弥陀様の御誓い』にお気づき下さって「南無阿弥陀仏」のお念仏を選び取ってくださり「日々の生活に追われる私達」と「仏の世界・覚りの世界」が初めて繋がったのです。

 『誓願に 南無阿弥陀仏と言う人を   救い取らずば 弥陀と名のらじ』

 法然上人がお示し下さった「南無阿弥陀仏」のお念仏は私達と御仏様という、到底繋がりようのない二つを「お念仏」によって完璧に繋ぎ合わせてくださったのです。
 そう考えましたなら、法然上人は私達仏教徒の『ノーベル賞』受賞者だと言っても過言ではないと思うのであります。
合掌

北海道第二教区 北組 慈教寺 嶋中三雄
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浄土宗 95

2020-01-24 23:53:31 | 宗教
 浄土宗
◇浄土宗の法話:2017年02月
「きっと護っていてくれる」
 立春とは名ばかりの寒さですが、寒風の中梅の蕾は次々と華麗に開いて、わたし達の心を温めてくれています。大自然の営みを感じます。
 一昨年12月に故人となられたSさん、昭和49年にご主人を41歳の若さで亡くされ、女手1つで娘さん1人を育てられました。お寺の行事にもその地区の当番に当たられた時には快くお引き受け下され、お勝手の手伝いなどご奉仕して貰いました。持ち前の明るさ、気さくさで誰とでもお喋りをし、周りを和ませて下さいました。ある時Sさんが私に「和尚さん、私は旦那を若くして亡くしたけど少しも寂しくないですよ。だってこんな良い娘を残していってくれたから。それに、こうして拝んでいるとどこかで見守って居てくれる気がするのです。だから、少しも寂しくありませんよ。」と仰いました。そんなSさんだから、お家にて娘さんとお話しながら息を引き取られたそうです。少しも苦しまずに、大往生です。
 娘さんも中陰中には親戚の方々と共に、真剣になってお経を、お念仏を、お唱えなされました。
 私は、「その声を必ず阿弥陀様がお聴き取り下され、お母様はお父様の待つ極楽浄土にお迎えいただかれます。お念仏すれば多くの仏、菩薩、先にこの世を去られた方々が、あなたやご縁のある方々を護り、お浄土に導くハタラキをしていて下さいます。ですから、お母様が生前に『亡くなった旦那が見守って居てくれる気がする』と言われましたが、〈気〉ではなく間違いない事なのです。」と、一周忌の時に娘さんにお伝えしました。
 娘さんは「2人きりの家族でしたので母が亡くなった事は寂しいけれど、母がそういう思いで居てくれた気持ちを大切にしたい。私のことも両親が見守っていてくれるのですね。」と、言って下さいました。
【阿弥陀仏の本願を深く信じ、念仏して往生を願う人は、現世において不当なわずらいもなく、平穏無事に過ごすことができ、又、命の終わる時には極楽世界へお迎え下さるのです】との、法然上人【仏神擁護ぶっしんおうご】のみ教えがあります。
 お念仏暮らしの中に多くのお護りを頂ける喜びを大切にし、お念仏を申しましょう。
 合掌

三河教区 岡北組 長壽寺 神谷真章
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真宗大谷派 64

2019-11-02 20:10:53 | 宗教
 真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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● 宗務出張所
 大谷派は、政府その他中央の諸機関との連絡及び首都における施策の調整をはかるため、東京都に東京宗務出張所を設けている。
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真宗大谷派 63

2019-10-29 05:40:23 | 宗教
 真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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●内局
「内局」は、大谷派の宗務執行機関であり、宗会により指名された「宗務総長」、および五人の「参務」で組織する。
 宗務総長は、真宗大谷派の教師の中から、宗会が指名し、門首がこれを認証する。この指名は、他のすべての議案に先だって、これを行うとする。また、宗教法人たる真宗大谷派の代表役員となる。参務は、真宗大谷派の教師の中から、宗務総長が任命し、宗務総長は、参務を罷免することができる。
 2015年現在の宗務総長は、里雄 康意(大垣教区第17組 緑林寺住職)。
 参務は、但馬弘 (55) =石川県小松市、興宗寺住職▽木越渉 (57) =石川県かほく市、光専寺住職▽富田泰成 (62) =愛知県稲沢市、妙用寺住職▽望月慶子 (73) =兵庫県洲本市、浄泉寺衆徒▽三島多聞 (70) =岐阜県高山市、真蓮寺住職[94]。
 内局の職務は、以下の通りである。
1.予算を作成して宗会に提出すること。
2.宗憲及び条例の規定を実施するため、達令を制定すること。
3.懲戒に処せられた者の減免及び復権を決定すること。
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