雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

教育長との懇談

2013-02-14 23:57:10 | 議会・議員
 15:00-15:50 教育長室
◇今回は、文化行政への予算について、懇談をしました。同席していただいたのは、都築義高氏で、今までの文化行政に対する思いと実績について話していただき、今後の方向性について懇談しました。
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浄土宗 水扁山 常行院

2013-02-14 13:44:31 | 議会・議員
浄土宗
◇常行院住職第25世俗名新実龍伸儀葬儀告別式が挙行されました。
  
                                       第26世および葬儀委員長あいさつ
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防犯情報

2013-02-14 10:05:34 | 防災防犯
■2月3日から2月9日までの市内の主な犯罪発生状況
部品ねらいと空き巣が増加しています。
外出の際は短時間でも施錠し、窓や玄関にはツーロックを!
車には防犯対策を!
  件 数    〈前週比〉
 自動車盗  5件〈-1件〉
 車上ねらい 4件〈-1件〉
 部品ねらい 15件〈+6件〉
 空き巣   5件〈+3件〉
 忍込み  0件〈-1件〉
 居空き   0件〈±0件〉
 自転車盗  3件〈-3件〉
 オートバイ盗 1件〈-4件〉
 ※犯罪件数は暫定値です。
〈 発生場所 〉
○自動車盗 金谷町、寿町、小原町、宝町、森町
○車上ねらい 広路町、若林東町2件、浄水町
○部品ねらい 永覚町4件、若林西町2件、若林東町3件、中根町2件、吉原町2件、曙町、西町
○空き巣 生駒町、亀首町、渡刈町、元城町、東大見町

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2013.02.13(水)

2013-02-14 00:23:28 | 日記
時々 8.9℃(0.0℃)
●昨日の天気はバッチリ予想的中でしたが、さてさて今日はどうだったでしょうか。確かに風は強かったですね。その辺は当たってました。天気もまあ当たってる方でしょう。明日は天気はよさそう、風もなさそう、ということで、お参りがありますが、ちょっと安心?してます。明後日はそれでも雨が降るような予報ですね。さて、今日は夕方からお参りがありました。常行院の住職であった俗名新実龍伸氏が亡くなったのです。50年在職という事で、常行院の住職を務められました。広かった境内も私が大きくなったのか、狭く感じられますね。鐘突き堂にもよく上って遊んでましたね。
  

 今日の記念日
「苗字制定記念日/名字の日」。1875年2月13日に、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務づけたことに由来。
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今日の万歩計

2013-02-14 00:05:44 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①12772歩
②10.2K
③568Kcal
●さてさて、今日は計画的なウロウロがありまして、何とかこの数字です。大体のところを計算に入れてのウロウロ感でした。あそこでもたぶんそうなるのではと思って、ウロウロしてましたね。
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浄土宗 40

2013-02-14 00:01:45 | 宗教
浄土宗
求道の遍歴(20~40歳前後)
■南都の学匠を訪れる
 保元元年(1156)、上人二十四歳のとき比叡山をくだって洛西嵯峨の清涼寺に詣で、三国伝来の 釈迦栴檀瑞像 (しゃかせんだんずいぞう)のみまえに、出離のこころざしをすみやかに実現せんことを祈願し、ついで南都の興福寺に法相宗の碩学 蔵俊をたずね、またあるときは醍醐におもむいて三論宗の学匠 寛雅を、あるときは御室に華厳宗の名匠 慶雅をたずねなどして、一日も早く目的をはたそうと努められました。
 しかし「智慧第一の法然房」、「ふかひろの法然房」と讃えられることはあっても、だれひとりとして上人の問いかけに心ゆくまで教えをたれてくれる人はいなかったのです。そのたびごとに重い足をひきずりながら黒谷にもどり、報恩蔵にとじこもって、さらに一切経を読みかえし、くりかえしその実践にはげんだのでしたが、「自分は仏教の基本である戒・定・慧 三学の器ではない」ことを痛感するばかりで、なんの進展も感じられなかったのです。
 「昨日もいたづらに暮れぬ、今日もまたむなしくあけぬ。今いくたびか暮らし、いくたびかあかさんとする」という、失意絶望にも似たつよい自責のおもいにかられる日がながく続いたのでした。 不撓不屈(ふとうふくつ)の上人は「この三学のほかに自分の心にぴったりあった法門はなかろうか。かならずや自分の身に適した修行があるはずである」と焦点をしぼって、求道の旅を続けられました。
■『往生要集』に導かれて
 上人はまえから関心をよせていた比叡山における大先達である 恵心僧都源信(えしんそうずげんしん) (942-1017)があらわした『往生要集』を、こころひかれるままに熟読したところ、「 慇懃 (いんぎん)な 勧進 (かんじん)のことばは、ただこの称名の一段だけにある」ことをみぬき、これこそ『往生要集』の本意であるとうけとるまでにいたったのです。
 しかし、称名によってかならず往生をなしとげることができるという断定については、源信はみずからのことばをもって語らずに、唐の善導大師(613-681)の「十人は十人ながら、百人は百人ながら、かならず往生することができる」という『 往生礼讃 (おうじょうらいさん)』のことばを借りていることに、注目せざるを得ませんでした。称名による往生の得失というような重要事項について、断定をくだしている善導大師その人の宗教体験のふかさにこころひかれた上人は、「恵心を用いるともがらは、かならず善導に帰すべし」と、その心情を善導大師にかたむけるようになりました。
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