雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

今日の田んぼ

2014-08-14 17:36:07 | 田畑の仕事
 今日の田んぼ
稲が倒れてしまいました。台風11号のせいでしょうか?それとも…
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お盆

2014-08-14 17:13:43 | 宗教
 お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。 
 一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。
【由来】
 仏教用語の「盂蘭盆」の省略形として「盆」(一般に「お盆」)と呼ばれる。盆とは文字どおり、本来は霊に対する供物を置く容器を意味するため、供物を供え祀られる精霊の呼称となり、盂蘭盆と混同されて習合したともいう説もある。現在でも精霊をボンサマと呼ぶ地域がある。
 中華文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする慣習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられる。台湾や香港、華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われている。
 盆の明確な起源は分かっていないが、1年に2度、初春と初秋の満月の日に祖先の霊が子孫のもとを訪れて交流する行事があった(1年が前半年と後半年の2年になっていた名残との説がある)が、初春のものが祖霊の年神として神格を強調されて正月の祭となり、初秋のものが盂蘭盆と習合して、仏教の行事として行なわれるようになったといわれている。日本では8世紀ごろには、夏に祖先供養を行うという風習が確立されたと考えられている。地方や、佛教の宗派により行事の形態は異なる。
 また、お盆時期の地蔵菩薩の法会は「地蔵盆」と呼ばれ、(天道)大日如来のお盆は大日盆といわれる。
 お盆は成句(イディオム)して使われることもある。「盆暮れ(ぼんくれ)」などと時季を指す言葉としての使用や、「盆と正月が一緒に来たよう」という"とても忙しいこと"または"喜ばしいことが重なること"のたとえ(慣用句)としての使用がそれである。
○迎え火…13日夕刻の野火を迎え火(むかえび)と呼ぶ。以後、精霊棚の故人へ色々なお供え物をする。 地方によっては、「留守参り」をするところもある。留守参りとは、故人がいない墓に行って掃除などをすることをいう。御招霊など大がかりな迎え火も行われる。
○送り火…16日の野火を送り火(おくりび)と呼ぶ。京都の五山送り火が有名である。 15日に送り火を行うところも多い(奈良高円山大文字など)
 また、川へ送る風習もあり灯籠流しが行われる。山や川へ送る点は、釜蓋朔日で記したとおり故人が居るとされるのが文化的に山や川でありそのようになる。
 なお、故人を送る期間であるが、16日から24日までであり、お迎え同様に墓参などをして勤める。
 佛教では普通お盆は1日から24日を指す。 これは、地獄の王は閻魔王であるが、その王と対になるのが地蔵菩薩であり、24日の地蔵菩薩の縁日までがお盆なのである。(因に(天道)大日如来の大日盆はその縁日に則って28日である。)
○盆踊り…15日の盆の翌日、16日の晩に、寺社の境内に老若男女が集まって踊るのを盆踊りという。これは地獄での受苦を免れた亡者たちが、喜んで踊る状態を模したといわれる。夏祭りのクライマックスである。旧暦7月15日は十五夜、翌16日は十六夜(いざよい)すなわち、どちらかの日に月は望(望月=満月)になる。したがって、晴れていれば16日の晩は月明かりで明るく、夜どおし踊ることができた。
 近年では、場所は「寺社の境内」とは限らなくなっており、また宗教性を帯びない行事として執り行われることも多い。典型的なのは、駅前広場などの人が多く集まれる広場に櫓(やぐら)を組み、露店などを招いて、地域の親睦などを主たる目的として行われるものである。盆の時期に帰郷するひとも多くいることから、それぞれの場所の出身者が久しぶりに顔をあわせる機会としても機能している。
 なお、新しく行われるようになった盆踊りは、他の盆踊りとの競合を避けるために、時期を多少ずらして行われることも多い。これは、新興住宅地などでは、「盆の最中は帰郷しており、参加できない者が多数いる」などの事情も関係しているものと思われる。また、宗教性を避けて「盆踊り」とは呼ばないこともある。しかしそれらが「盆踊り」の系譜に連なるものであることは否定しがたい。 また、同様のものとして彼岸の時期に行なわれるものを「彼岸踊り」と呼称する地域(関東 - 近畿一の一部)も存在する。
○初盆・新盆…新盆の家の入口に飾られた提灯(本来は白無地)(香取市)また、人が亡くなり49日法要が終わってから次に迎える最初のお盆を特に初盆(はつぼん、ういぼん)または新盆(しんぼん、にいぼん、あらぼん)と呼び、特に厚く供養する風習がある。これも地方によって異なるが、初盆の家の人は門口や仏壇、お墓に白一色の盆提灯を立てたり、初盆の家の人にそういった提灯を贈ったりして特別の儀礼を行ない、また初盆以外の時には、模様のある盆提灯やお墓には白と赤の色が入った提灯を立てたりする。
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2014.08.13(水)

2014-08-14 04:36:35 | 日記
のち 31.6℃(21.1℃)
●午前中は、いい天気で、それで30℃を越したんでしょうね。午後から雲が出て来まして、パラパラ雨が降りましたが、その程度ですみました。明日から2,3日はあまり天候はよくありませんね。なんか、前線が日本列島に横たわっているって感じですね。まるで梅雨です。まさか、このまま秋に突入!なんてことにはならんでしょうね?まさか、ですよね。
さて、今日は午前中は家の片づけ、掃除をしてました。かなりキツイです。午後からお参りが2つほど重なりました。とうとう?今年もお盆がやってきましたね。もう今年も中盤から終盤に差し掛かろうというところです。そういえば、稲が倒れかかってますね。まずいですね。あれだけ気を使ったんですが、あちらの方はあんまり肥はやらない方がいいのかもしれないな。それともたまたまなのか。なかなかうまくいきませんね。
  

 今日の記念日
「函館・夜景の日」。函館市が1991年(平成3年)に制定した記念日。夜景のヤ=8月、ケイ=K(トランプの13)13日ということでこの日が選ばれた。同市は夜景が美しいことで有名だが、この日は市民ぐるみでライトアップで様々なイルミネーションを描くなど、観光客を楽しませている。
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臨済宗 ⑧

2014-08-14 04:36:18 | 宗教
臨済宗
●栄西(えいさい、ようさい、永治元年(1141年) - 建保3年(1215年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧である。明菴 栄西(みんなん えいさい、みんなん ようさい)とも呼ばれる。臨済宗の開祖、建仁寺の開山。天台密教葉上流の流祖。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られる。
 生年には異説がある。生地は備中国賀陽郡(岡山県加陽郡は現在加賀郡吉備中央町)。
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真宗大谷派 39 光演

2014-08-14 04:27:44 | 宗教
真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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◎大谷光演(おおたに こうえん)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「彰如」(しょうにょ)。東本願寺第二十三代法主[1] 。真宗大谷派管長。俳人。伯爵。
妻は、三条実美の三女・章子。
・1900年まで南条文雄・村上専精・井上円了らについて修学。また幸野楳嶺や竹内栖鳳に日本画を学び、さらに正岡子規の影響を受け、『ホトトギス』誌にて河東碧梧桐、高浜虚子らに選評してもらい、彼らに傾倒して師と仰いだ。後に『ホトトギス』誌の影響から脱し独自の道を歩む。生涯に多くの俳句(約2万句)を残し、文化人としての才能を発揮、日本俳壇界に独自の境地を開いた。「句仏上人」(「句を以って仏徳を讃嘆す」の意)として親しまれる。
・1901年に札幌で宗教系の学校が北星女子学校しか無い事を知り仏教系の女子学校を思い立つが、資金調達に難航し1902年(明治35年)に北海道庁立札幌高等女学校を開設するには至らなかったが、4年後の1906年4月に北海女学校を開校に漕ぎつけた。
【生涯】
1875年(明治8年)2月27日、 東本願寺第二十二代法主 現如の次男として誕生。
1885年(明治18年)、得度。
1900年(明治33年)5月仏骨奉迎正使としてタイを訪問
1901年(明治34年)真宗大谷派副管長
1906年(明治39年)札幌で仏教主義の女子学校として北海女学校を開校。
1908年(明治41年)11月、退隠した父・光瑩より第二十三代法主を継承し、真宗大谷派管長となる。
1911年(明治44年)、宗祖親鸞聖人六百五十回御遠忌法要を厳修。
1925年(大正14年)、朝鮮半島における鉱山事業の失敗から、東本願寺の財政を混乱させ引責・退隠し、長男の闡如に法主を譲る。
1943年(昭和18年)2月6日、68歳にて示寂。
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今日の万歩計

2014-08-14 04:02:55 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①12677歩
②10K
③168Kcal
●今日は、完全にウロウロしていた日ですね。あちらにウロウロこちらにウロウロ、って感じでしょうか。
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