雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

平成26年度 豊田市自主防犯活動団体研修会

2014-08-02 18:24:20 | 議会・議員
 13:30-14:00 豊田市福祉センター
◇今日の内容は…
①開会
②主催者あいさつ
③感謝状贈呈
④来賓あいさつ
 加藤昭孝副議長他
⑤講演
演題「地域で楽しく取組む自主防犯活動」
講師 飯室真奈美氏
⑥質疑応答
⑦閉会
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犯罪情報

2014-08-02 05:01:37 | 防災防犯

■7月20日から7月26日までの市内の主な犯罪発生状況
干していた下着を盗まれる被害が多発しています。
なるべく在宅時に干すなどの工夫をお願いします。
  件 数    〈前週比〉
 自動車盗 0件〈-1件〉
 車上ねらい 3件〈-2件〉
 部品ねらい 3件〈+2件〉
 空き巣  3件〈+2件〉
 忍込み  1件〈+1件〉
 居空き  0件〈±0件〉
 自転車盗 8件〈-2件〉
 オートバイ盗 1件〈-1件〉
〈 発生場所 〉
○車上ねらい 生駒町、中島町、市場町
○部品ねらい 鴛鴨町、前山町、美和町
○空き巣 堤町、浄水町、小坂町
○忍込み 若林西町
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2014.08.01(金)

2014-08-02 04:41:59 | 日記
のち 33.9℃(24.2℃)
●今日も真夏日です。九州から四国にかけては、台風の影響で相当雨が降るようです。台風11号は、まだまだ日本列島のはるか南に位置してますが、強さは非常に強くなると予想されています。海水温がかなり高そうですから、台風もエネルギーを貯めやすいのでしょう。進路に注意です。
さて、今日は、午前中は来客があったり、打合せなどを行っていましたら時間が過ぎ去りました。午後からは、自民クラブの研修と定例会がありました。夕方は、お参りがありまして参列していました。いろいろとありますので、予定通りとはいかないこともままあります。
政局の方も「夏休み」のようでして、「名前」でもめたりとか、それでも政党助成金がほしいのか、あわてて「申請」したりして、そちらの方は忙しそう。また、ある「製陶」では「成果」がなかったら、退陣するとか言ってたのに「居座り」を決め込むとか、なんか、おかしな情勢でありますね。スジが通ってませんね。同じことでも、あの時はよくって、この時はダメ、って感じ!?
  

 今日の記念日
「水の日」。1977年(昭和52年)に国土庁が、節水呼びかけ運動を推進するために制定した日。1年中で最も水を使う時期である8月に、限りある水の大切さを考えてもらおうと、この日が選ばれた。
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今日の万歩計

2014-08-02 03:48:06 | 今日の万歩計
 今日の万歩計は…
①12793歩
②10.2K
③459Kcal
●今日は、まあ、いい感じの数字になった。ウロウロはあんまりしてなかったかと思いましたが、結構いってましたね。
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真宗大谷派 38 現如

2014-08-02 03:33:15 | 宗教
真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
 親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
 宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
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○大谷光瑩(現如)
●嘉永5年7月27日(1852年9月10日)-大正12年(1923年)2月8日
●幼名 光養麿
●法名 現如
●号 愚邱
●院号 荘厳光院
●諱 光瑩
●尊称 現如上人
●没地 東京都千代田区霞が関
●宗旨 浄土真宗
●宗派 真宗大谷派
●廟 大谷祖廟、北海御廟
大谷 光瑩(おおたに こうえい)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「現如」(げんにょ)。東本願寺第二十二代法主。真宗大谷派管長。伯爵。
【生涯】
日付は、暦の正確性、著作との整合を保つ為、明治5年12月2日(1872年12月31日)までは、天保暦表示。明治6年1月1日(1873年1月1日[2] )からは、グレゴリオ暦表示とする(誕生年月日を除く)。また本山は、「本願寺」が正式名称だが、「西本願寺」との区別の便宜上、「東本願寺」と表記。
・嘉永5年(1852年)7月27日、東本願寺第二十一代 嚴如(大谷光勝)の第五子(四男)として誕生。
・明治3年(1870年)2月10日、東本願寺が明治新政府から請け負った北海道開拓事業の責任者として、百数十名の随員を従えて北海道へ渡る。その道中は、教化をしながら工事費などの寄付を募り、また北海道への移民勧誘をおこなう。
・同年7月7日、函館に到着する。本願寺道路の建設など開拓を指示し、札幌へ向かい朝廷より下賜された土地を視察する。
・明治4年(1871年)9月、その地に布教の拠点として、その地に東本願寺管刹(寺)を建設する。 明治9年(1876年)、その官刹を東本願寺札幌別院と改称する。
・明治5年(1872年)9月から翌年7月にかけて、ヨーロッパ各国を歴訪し宗教事情を視察、教団の近代化に寄与した。
・明治22年(1889年)10月7日、父・嚴如(ごんにょ)の隠退により、第二十二代法主に就任。 明治28年(1895年)4月、東本願寺両堂竣工。
・明治29年(1896年)6月、北海道開拓事業の功績を受け、伯爵号を授かる。
・明治34年(1901年)5月、遊蕩ぶりが宮武外骨の「滑稽新聞」上で風刺の対象となる[4] 。
・明治41年(1908年)11月、第2子・彰如(大谷光演)に法主を委譲し、退隠する。院号を「荘厳光院」とする。
・大正12年(1923年)2月8日、東京霞が関の別邸にて示寂。享年72[5](満70歳没)。
・昭和9年(1934年)札幌市の北海御廟に分骨される。
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