江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

東日本大震災から10年ー東北宮城岩手・学習交流の旅 (3)ー

2021-12-08 | 随想
釜石の奇跡とは 鵜住居町へ 

釜石市鵜住居町は震災一年前に開所した「鵜住居地区防災センター」では多くの住民が犠牲になった。
二階建ての建物は津波災害の避難場所ではなかったが、
「防災センター」としたことで160人を超す住民が犠牲となった。

しかし、「防災教育」に取り組んでいた釜石東中・鵜住居小の子ども達は、
地震発生と同時に夫々が一目散に高台に避難した。

だが津波は目前にせまった。
最初の避難場所から更に高台に逃げる。
中学生が小学生や幼稚園児と手をつなぐ。

後を振り返らずに必死で逃げていた直後、鵜住居地区の沿岸部は11mの津波にのまれた。
地域住民など合わせて600人が津波から助かった。

多くの命が救われたことで「釜石の奇跡」とも云われているが、
地震発生時、中学校は教頭の「点呼なしで高台避難」の指示で一斉に逃げた。

小学校は児童と教職員が学校の三階に避難している途中だった。
駆けつけた消防団の「何やってんだ。早く高台へ避難しろ!」で、教員たちは慌てて外に出るよう指示した。

震災前には小学校・中学校と消防と地域住民で合同避難訓練を実施していたため、
教員たちも即座に消防団の声に対応ができた。




津波てんでんことは

2019年釜石市は鵜住居地区防災センター跡地に、東日本大震災の犠牲者へ祈りを捧げる追悼の場を整備した。
「震災による犠牲者の慰霊碑」や防災学習の場としての「いのちをつなぐ未来館」などがあり、
「命を守る」「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」を市民憲章にしたモニュメントもある。


未来館のガイドに繰り返し伝えられたこと。

それは、「津波てんでんこ」は、てんでんバラバラに勝手に逃げる意味ではない。
お互いが逃げる行動をしていると信じて自分が逃げること。
自分の命が無いと何もできない。
逃げなかった人や逃げられなかった人を心配して、戻って助けに行き亡くなった人も少なくない。

一人一人が逃げれば誰かの命が助かる。
その命を最優先にする行動が「津波てんでんこ」の意味だと伝えられた。
 



終わりに

津波危機に際して学校はどう判断対処すべきだったのか。 
命が最優先であり高いところに一刻も早く逃げることしかないのに、
大川小学校の教員達は裏山避難という余りにも当たり前の結論・合意が出来なかった。

教頭は裏山避難を主張したそうだが、一部の教員と地域区長の反対で決断できなかった。

何処に逃げたら良いかの議論や躊躇する時間は全く無かったはずなのに、
結果として51分も児童を校庭に放置し、避難を開始した1分後に津波が来襲し全てを巻き込んだ。

「先生達がいないほうが、助かった」 遺族のこの言葉の意味は限りなく重い。


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