息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

『交通事故にあったと思って・・・』

2018-12-04 17:19:04 | 自転車通学
古い話かもしれませんが・・・・


何か不幸な出来事や犯罪に遭ったとき、『交通事故にでもあったと思って・・・』という言葉で、(忘れなさい)とか(どうしようもないことだから諦めなさい)というニュアンスで、慰めるという、喩えと云うか云い回しがありました。


つまり”交通事故”とは、”人災”ではなく”天災”のように、運が悪かったから被害に遭ったと考えられている、という一面があるようです。


しかし今回、生まれて初めて身内が交通事故にあいました。
こうして今、息子が事故で苦しんでいるのを見ると、実は交通事故は(ほとんどは)人災、つまり人の過失によって起こる事故や犯罪ではないかと思えます。




また、実際に言われたことなのですが、『命があったんだから不幸中の幸い、世の中にはもっと酷いめにあったり、交通事故で亡くなる人も多い・・・・云々』
これもまた、慰めにはならないように思います。
(言う当人が、その立場になったら言えますか?)


勿論、云う当人には悪気はないのですが、(私どもに限ってかも知れませんが)「何でウチの子が(こんな目に遭わなければいけないの)?」という被害者意識のような感情が勝ってしまいます。


世の中生きていれば、嫌な事もあるし、どちらかと云えば、人生は良いことより悪いことのほうが多いのが普通でしょう。


しかし、こと交通事故に関しては、『運が悪かった』では納得しがたいというのが、当事者としては実感です。




神や仏があるのなら、すがりたい思いです。