息子の自転車事故で学ぶ

息子が自転車通学中に危険運転車に轢かれた。その後の保険会社や加害者の対応、決着など綴ります。時系列になってます。

これも『危険運転』ではないか?

2018-12-17 05:49:42 | 自転車通学

事故が起きた通学路は、言ってみれば、日本全国どこにでも有りそうな『通学路』ですが、以下がその詳細です。

・片側1車線、センターラインは黄色の実線、アスファルト舗装道路です。

・南北方向に走る道で、東側は大きな施設に沿っていて住宅や道路はありません。

・某小学校、某高校、そして息子の通う中学校、この3校の指定する通学路です。

・某小学校の北200mには私鉄駅があり、通勤通学時には、駅に向かう通勤通学の歩行者や自転車も利用するため、非常に混雑する道路です。

・道路は狭く、朝夕は時に渋滞します。


・特に朝の通学時間帯は、狭い道路を中高生の自転車が列をなして南下します。

・この道路の西側にはガードレールでカバーされた狭い歩道がありますが、東側にはなく、中学と某高校の生徒の自転車の車列は南進するため、東側の、ガードレールや歩道の無い狭い車道を通ることを余儀なくされます。

・ですのでこの道路区間(約910メートル)は、いわゆる『事故多発地点』です。

・その区間でも特に息子が轢かれた事故現場地点は、狭いためカーブミラーも柱が湾曲したタイプが採用され、反対車線にはみ出さなければ、車は無論、自転車さえ追い越せないほど狭い場所なのです。

・息子の事故の数か月前にも、自転車と車の事故があり、その前には自転車と歩行者の事故が起きている・・・(近所に住む人たちの話)

・狭く事故多発のため、市と隣接施設は数年前から用地買収の交渉をしていました。

                 
こんな場所で、そんな時間帯に、自転車通学の車列を強引に追い越すなんて、『危険運転』にはならないのでしょうか?




被害者の敵は保険会社? 危険運転? 

2018-12-12 16:09:55 | 危険運転
・12月8日
保険会社の担当:H氏から調査結果について電話。

H氏:『自転車が1列になっているので、車の一部分がセンターラインを越えるほど車間距離を十分とって追い越した』『被害者が車の前で転んだ』『その際に車のバンパーに頭をぶつけた』『運転手はこの状況を回避できなかった、よって過失割合は自転車60、車40となる』『これに対して異論があれば言ってください』


子供の母親:「警察で説明された話とはずいぶん違いますので、こちらも人に相談してから連絡いたします」

H氏:『誰に相談するんですか?』

子供の母親:「それはまだ分かりません」



参考:事故後に警察で聞いた話(交通課事故係のSさん、Oさん)

①.道幅のない地点だし、追い越すときの車間距離が充分でなかった
②.通学道路で通学時間、ましてあんな狭い場所だから追い越ししてはいけなかった
③.運転手は前方しか見ていなく、横を見ていなかった
だから圧倒的に運転手に責任がある。



(私どもは、事故を見ていたわけではないので断定はできません。 しかし保険会社の言い分は、警察の話とも道路事情とも違います。"黄色いセンターライン"の意味は『追い越しの為のはみ出し禁止』という事のようだし、事故現場の手前と事故現場の先は道幅が広く、何故あの場所で、中学生の通学自転車の車列を強引に追い越す必要があったのか・・・・(危険運転?)。 それから調査会社の調査も、被害者=息子の話が全然反映されていません。何のため、誰のための『調査』だったのか?  何より、晴れの日にまっすぐで綺麗な舗装道路で、理由もなく、中学生の自転車が『勝手に』転ぶなんて、考えられません。)







『交通事故にあったと思って・・・』

2018-12-04 17:19:04 | 自転車通学
古い話かもしれませんが・・・・


何か不幸な出来事や犯罪に遭ったとき、『交通事故にでもあったと思って・・・』という言葉で、(忘れなさい)とか(どうしようもないことだから諦めなさい)というニュアンスで、慰めるという、喩えと云うか云い回しがありました。


つまり”交通事故”とは、”人災”ではなく”天災”のように、運が悪かったから被害に遭ったと考えられている、という一面があるようです。


しかし今回、生まれて初めて身内が交通事故にあいました。
こうして今、息子が事故で苦しんでいるのを見ると、実は交通事故は(ほとんどは)人災、つまり人の過失によって起こる事故や犯罪ではないかと思えます。




また、実際に言われたことなのですが、『命があったんだから不幸中の幸い、世の中にはもっと酷いめにあったり、交通事故で亡くなる人も多い・・・・云々』
これもまた、慰めにはならないように思います。
(言う当人が、その立場になったら言えますか?)


勿論、云う当人には悪気はないのですが、(私どもに限ってかも知れませんが)「何でウチの子が(こんな目に遭わなければいけないの)?」という被害者意識のような感情が勝ってしまいます。


世の中生きていれば、嫌な事もあるし、どちらかと云えば、人生は良いことより悪いことのほうが多いのが普通でしょう。


しかし、こと交通事故に関しては、『運が悪かった』では納得しがたいというのが、当事者としては実感です。




神や仏があるのなら、すがりたい思いです。










心が壊れてしまったのか?

2018-12-02 06:08:06 | 自転車通学
11月30日、自転車店に赴き修理代を払い、自転車と破損個所全ての見積もり書を戴く。

夜、帰宅した息子に明日から自転車で通学するよう話す。


ところが息子は、『このハンドルだと学校の規則違反になるから怒られる』と云って拒否。
確かにハンドルの形状・高さは以前のそれと比較すれば若干(2.3センチ)異なります。

しかし、担任の先生に確認して問題なしと云われているので、私ども(親)の想像以上に、被害者が恐怖を感じているのが判った。

事故の時の記憶もまだ回復していないし、まだショックから立ち直ってないのだろうと思い、暫く様子を見ることにする。(翌日も部活に徒歩通学しました)



(徒歩通学は『苦行』です。約4キロの距離を10数キロの重い通学バックを背負って歩きます。約1時間かかります。半年前までは小学生だった息子です。自転車のほうがずっと楽なのに・・・・ナゼ???)