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グリップに新撰組と焼印が押してありますので組よりの貸与品と思われます、教育委員会発行の登録表には種別 火なわ式 銃砲になっていますが、プライマ-(雷管)を叩くパ-カッション式と思います、マズル(銃口)を覗きましたが硝子越しでしたのでライフリング(ねじれた線条)は刻まれているか確認が出来ませんでした、若き日に教育委員をされていた方で米国などに行かれて(全米ライフル協会の会員の中には田原坂の戦いなどで使用されたボクサ-パトロン(リド-リングの設備が無かったのか技術が未熟だったのか判りませんがケ-スとブレツト(弾頭)の間に和紙が巻き付けてあったそうです、雨は~降る降る~でした)の実包をお持ちで薬莢から弾頭を外し黒色火薬を取り出し乾燥させて再リド-リングして実射しましたら問題なく燃焼したそうです)研究などをされていましたが、当時お聞きしたところでは審査が未熟で歴史的な文化財が廃棄処分の憂目にあっているとのことでした、また日本刀も審査員が国宝と言えば国宝 駄作刀と言ば----との事でした まあ~素人が行なっていますのでいかしかたないと思いますが、正当は種別 雷管式 短銃になるかとも思いますが(南蛮渡来の銃なのに現時点でも各県発行の登録表には 管打ち式 銃砲になっています発明した欧米ではパ-カッション式(打撃を意味します)と言います、さて日本では輸入品でも まか不思議 管打ち式(管とは内部に空洞がある事)になっています、余談ですが現在のカ-トリジケ-スの雷管を打つ方式で小口径の0、22口径はリムファイヤ-(不発が多い)、0、22口径以上は真ん中に有る雷管を打ちますのでセンタ-ファイヤ-と言います、以上 記載内容には責任を取りません
追記 日本国の教育委員会 発行の登録証には 管打ち式になっていますが ニップル(螺子のついた継ぎ管)をハンマ-で叩くところから取ったのかもですが 正式には管を叩くのではなくニップルに被せたプライマ-(雷管)を打ちます ど素人には頭をしねっても専門家がお決めになっていますので判りませんでした
再追記 この管打ち式 銃砲は単発式です殆んど実用には成らなかったかもですが、しかし安全性は高かったと思います、なお坂本龍馬が懐に忍ばせていたと言はれています米国製のリボルバ- 拳銃は各シリンダ-にロットを使い黒色火薬を詰めますが、すこしでも火薬がはみ出した状態で発射すると他のシリンダ-に燃え移り薬室破裂を引き起こし命に係る重大な事故を引き起こすそうです、日本では明治に照明が外国から伝わつたときに子供の人口が増えたそうで、どうしてでしょうかね今度暇のときに研究してみます、幕末頃までは行燈 蝋燭の油をペロリうらめしや~で照明が貧弱な時代 龍馬は晴天の明るい昼間のうちに弾込め雷管込めをして暴発の危険もある拳銃を常時懐に忍ばせていたのでしょうかね?、いつまでも火薬をシリンダ-に詰めたままの状態にして置きますと湿けつて不発に成りますので実戦ではあまり役にはたたなかったもです、危うし鉄の塊を投げるでした(現在の実砲はケ-スと雷管との接合部分にマニキヤを塗って置きますと防水になり長期間 発射可能と思います)
再々追記 大変失礼しました龍馬の所持していた拳銃は管打ち式銃とてっきり思っていましたが、日本の歴史では1866年3月9日に龍馬が寺田屋で遭難したときに所持していた拳銃は中折れ式で現在とおなじ金属薬莢を使用しますS&W No2 0、32口径だそうです、南北戦争直前に販売を開始、戦争は1861年に始まり1865年に終了しています、当時 外国に輸出する余裕がS&W社にあったのでしょうかね、また1865年4月に戦争終了後すぐさま払い下げ品も含め輸出が出来る体制であったのでしょうかね、なおS&W No1の0、22口径はアメリカでは子供用で不発が多くて実戦では使いものにならないと思います、以上ど素人の戯言でした、
再々々追記 新島八重が1868年の会津戦争で使用したスペンサ-銃は1860年発売 兄の山本覚馬が長崎で購入し会津に送った銃だそうです、なおラストサムライ(モデルは1867年に来日した江戸幕府 フランス軍事顧問ジュ-ル ブリユネ)でトム クル-ズが使用した1866年発売のウィンチェスタ-0、44口径リムファイア- アンダ-レバ-アクション式 通称 =八角銃身のイエロ-ボ-イ は幕末の日本には一丁も輸入されていなかったかもです余談ですが記念銃の現代ばん無煙火薬使用センタ-ファイヤ-式0、30口径(7、62ミリ)は八角銃身が黄金色に輝きバランス命中率が良かったようです) さて坂本龍馬が1866年3月9日に所持していたと言われています No2を本当に所持していたのでしょうかね? またNo1も後に所持していたそうですが黒色火薬を使うオモチャの0、22口径ではね~?でした(数十倍の高性能を発揮できます現在の無煙火薬を使うリムファイヤ-0、22口径でも時たま不発が起こります、アメリカでは子供のオモチャ代わりのようです、
S&W No2 について①高杉晋作 上海視察1862年5月~7月 上海で購入 ②1866年1月 龍馬に贈る ③南北戦争直前の1961年から販売開始 ④南北戦争終結1865年4月 以上の事から南北戦争中にもかかわらずS&W社には外国に輸出する余力があったようです、現在はクロムモリブデン鋼などをコ-ルドハンマ- ガンドリルマシンなどで加工していますが、当時は強度の弱いダマスカス鋼 炭素鋼などを使い手作業で生産をしていたと思います、戦争中にもかかわらず輸出に廻す余力が このマジツクが知りたいです『S&W No2 0、32口径リムファイヤ-(センタ-ファイヤ-の様に雷管が独立していません日本語に訳すと薬莢の縁を打つかですかね)は1862年の時点で予約数が向こう3年分の生産予定分を上回つていたそうです』