【アッシリア】
メソポタミア地域は、だいたい北はアッシリア、南はバビロニアが支配していました。アッシリア人は、現在のイラク周辺に住んでいたセム系の遊牧民だったとされます。紀元前9世紀頃、オリエント全域を最初に統一したのがアッシリア帝国でした。アッシリアの語源は「日の出」で、現在のシリアの由来にもなっています。アッシリア人が信仰していた神は、国家神「アッシュル」や「パズズ」などです。翼は、聖なるものとされ、神聖な場所には、有翼の日輪や神人が描かれました。アッシリアは、有翼人面雄牛の「ラマス」を守護神とし、ライオンを象徴としています。王のスポーツとしては、ライオン狩りが行われました。
【古アッシリア】
古アッシリア時代は、弱小勢力だったので、ミタンニに隷属していました。そのミタンニの支配者層だったのがアーリア人です。アッシリア人は、商業を得意とし、銅や錫などを交易していました。商業を発展させたのは、土壌が農耕に不向きで、気候的に雨が少なかったからです。アッシリアは、ロバを用いた中継貿易によって、交易ネットワークを整備しました。この頃に、各地に有力な商業都市を築いたとされています。アッシリアは、ヒッタイトから鉄器の製造技術を学び、交易で築いた財で軍備を強化しました。
【中アッシリア】
アッシリアでは、男子が全員徴兵され、強力な常備軍を保持することが出来きました。また、中アッシリア時代に「鉄製の武器」と「戦車」による軍隊が編成されたことで、古代最強の軍事大国になったとされています。それ以外にも、当時としては、画期的な攻城用の工兵隊をも配備していました。
アッシリア人は、好戦的で残忍な性格だったとされます。そのため、戦争に明け暮れ、労働力獲得のため組織的な強奪を繰り返していました。その労働力とされたのが、戦争で敗れた人々です。中アッシリア時代に、もともと商業国家だったアッシリアが、軍事国家へ変貌したとされています。内政では「官僚制」や「アッシリア法典」が整備されました。
アッシリアのライバルだったのがバビロニアです。その強力な軍事力によって、バビロニアを攻略し、ミタンニやヒッタイトにも勝利しました。アッシリアの領土が拡大されたのが、この時期です。エジプトとは、対等な関係を築き「エジプト王の兄弟」と呼ばれました。
【新アッシリア】
新アッシリア時代、「あらゆる敵を殲滅する方式」をとり、オリエント全域を支配する最初の世界帝国となりました。この頃のアッシリアの方針は諸民族の反乱防止のため、国内を州に分け「総督」を派遣しました。それを「駅伝制」と言います。駅伝制によって、中央集権化が強化されました。アッシリアは、バビロニアに比べて、行政と軍事制度の面では優れていたとされています。オリエント全域に同一の統治体制と法体制を行き渡らせたのは、アッシリアです。イスラエル王国滅ぼし、エルサレムを破壊したのが、サルゴン2世です。サルゴン2世は、イスラエル人を強制連行し、新都建設の労働力にしました。版図が最大になったのは、騎兵隊を組織したアシュールバニバル王の時です。
アッシリアの首都ニネベには、全オリエントの工業技術や、優れた美術工芸が集約されました。オリエント文明を集約した情報センターとして機能したのが、ニネベの図書館です。ただし、アッシリアの文化は、バビロニアに依存していました。どちらかと言えば、アッシリアが、軍事大国で、バビロニアが、文化大国だったからです。最終的には、アッシリアの残逆な軍隊や過酷な税が、被征服民の反感を招き、内乱や反乱に乗じて、新バビロニアとメディアの連合軍に滅ぼされました。