アメリカ生活の想い出

1987年から5年間アメリカで過ごし全く英語が出来ないのに、地元のお年寄りと知り合い学び楽しく過ごした記録です。

学校・工場見学

2012-06-28 07:47:28 | 旅行
2001年9月6日

朝は6時に起きる。朝食後、

★ ベラさんの甥の子供たちが通っている高校へ、お教室などを覗く。

★ ウイーンに迎えに来た、運転者ペーターさんの経営する会社の工場を見学。

社長室に入ると日本の天皇皇后陛下の写真がかざってあった。日本が大好きとのこと。

街中へ行き、ワインの空瓶を持って、ワインの中身だけを買ってきた。

そして家にかえる。

夕食はベラさんの甥の家でごちそうになる。甥はで高校の校長先生である。




右側が朝食風景。お土産に持ってきた日本のこけし人形が飾ってある。


夕食の時の右側の人がベラさん。どこに行ってもベラさんはお話が上手で賑やかであった。

私たちには、チェコ語で話しているので、何を話しているか全くわからないが・・・

ベラさんとフランクさんのことを少しお話します。

お二人は前の人がなくなり、再婚同士、同じチェコ人で、偶然にもフランクさんが、ベラさんのお父さんの経営する会社で働いていたとのこと。

ベラさんとフランクさんには子供がいない。

ベラさんは裕福な家庭のお嬢さんで、お姉さんがいたが亡くなり、甥が2人と、いとこの子供たちとの付き合いを大切にしている。

今住んでいる家は、2世帯連なっている家を購入して、一人の甥家族は隣に住んでいる。

家の外見は大きな家に見える。

高校の先生をしている甥は将来は、ベラさんの家に住むらしい。

アメリカのカルフォルニアの家と、チェコの家をいったりきたりできるのは、家の管理を頼めるので安心できるとのこと。

フランクさんは若いときにアメリカに渡り、結婚したが、貧乏暮しであった。

無駄遣いはせず、こつこつとお金を貯めた。アパートを持っていた。

それから前の奥さんが心臓麻痺でなくなった。

美容師をしていた奥さんは、とても優しい人だったので、いつも美容にくるお婆さんを優しくいたわっていた。そのお婆さんが亡くなった時に、身寄りがなく、財産が譲られた。

ゆとりのある、ベラさんとフランクさんは、お二人で仲良く海外旅行をして楽しんでいる。

旅行先からいつも絵葉書が送られてくる。

お二人が結婚したばかりのときに、ベラさんは英語を学ぶためにカルフォルニアのアダルトスクールに通いだしたころに、私はベラさんと親しくなったのです。