おはようございます。
ちょっと風邪が流行っているようですので、あなた様もご注意下さい。
旅行3日目、最後の観光スポット、龍馬遭難の地。
今でもその形をのこしている寺田屋に行きました。
その寺田屋では、黒山の人盛りといったぐあいで、前の道は、人、人、人の群れで、
行く道を阻まれた車のクラクションが鳴りっぱなしでした。
入場には長蛇の列が並んでいます。
何とか、その古ぼけた寺田屋の玄関を入れました。
そこ内は、昔風のつくりに展示されている書籍、古文書、写真、その他
まつわる遺品等々が、古びた各部屋々々に所狭しと並んでいたのです。
けれどそれより数の多いのは見物客のほうでした。
京都は、京間といって、元々部屋が狭い上に部屋から部屋に
行列が移動するのに狭い出入口を通らなければならないので、
なかなか前に進まないのです。
足元の床が一枚床で、ギシギシ音をたてていた程です。
7帖~8帖一区切りの部屋が重なっているのですから、
一部屋に人の数が多く集まった時、約20人以上いたのではと思いますが、
床が落ちやしないか心配でもありました。
実は私が一番進みが遅かったように思いました。
読み出したら止まりません。声を揚げて読むのです。
昔の字は読みづらくて大変。すらすらとはいきません。
私の性格でしょうか。“しわい”のですね。
最後までよまないと気がおさまりません。
天井も低くて、大勢の人の話し声が龍馬について、建物全体から聞こえてきます。
すごく龍馬ファンが多いのでしょうね。
また、その賑やかさは庶民的で愛される人柄の龍馬ならのことかと、
私もその場の居ごこちの良さを感じておりましたし、最初から最後まで
興奮しっぱなしの私は気がつけば胸の高まりに溢れる涙を必死にこらえていました。
あまり遅い私を刈谷君が迎えに来てくれたのですが、半分はそこそこで、
まだ見残しもありながら待ち合いバスへ歩いて戻りました。
バスには仲間が早々と帰っており待ってくれていました。
ちなみに以前野市町の県立龍馬歴史館に初めて行った時、もちろん見学ですが、
朝10:00頃の入館で、出たのは夕方、陽が沈んでいました。
いつも待ってくれている人、ありがとう。