森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

鎌形八幡神社

2015年02月21日 | 空色の休日 2015 

毎年、桜の季節に奉納される「鎌形流鏑馬」でおなじみの嵐山町鎌形鎮守「鎌形八幡神社」に参拝。


一の鳥居の前は都幾川。八幡橋を渡ると、学校橋まで約2㎞も続く桜並木「都幾川桜堤」が始まりとなります。


二の鳥居を抜けると神門。


小高い丘に上に社殿。石段手前には「木曾義仲産湯の清水」の流れる手水舎があります。


当地は、槻川と都幾川の合流点にある。隣村の大蔵には源義賢の居城と伝える大蔵館跡があり、菅谷には畠山重忠の館跡がある。鎮座地は都幾川と境を接し、西に塩山を望む景勝地である。緑豊かな参道を進むと、清水が大竹の樋を通って手水鉢に注ぎ込む。この清水は、義賢婦人が駒大丸(木曾義仲)誕生の際に、七か所の清水を集めて産湯に使った「七清水」の名残と伝える。当社の西南には義仲が出生したという木曾殿屋敷の地があり、いずれも、源家とゆかりが深い。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)


では、参拝。

嵐山町指定建造物 鎌形八幡神社本殿
 正面の建物は拝殿を兼ねた覆屋であり、本殿はその中に納められている。
 本殿は、簡素な一間社流造りで、装飾的な彫刻は、正面扉両脇・脇障子・蟇股・向拝木鼻・向拝蟇股などに限られている。彩色もこの彫刻部分にのみ施されている。
 本殿の建立年代は、棟札に「奉再建立正八幡宮御神殿于時寛延二己巳暦三月朔日遷宮」とあり、寛延二年(一七四九)である。しかし、新材がかなり含まれ、何度かの修理を経ているものと考えられる。いっぽう、身舎部分に付けられた蟇股、頭貫の木鼻などの形状は、簡素な整ったものであり、古式を踏襲したものか、あるいは棟札の年代よりもさらに古いものではないかと思われる。
    昭和六十ニ年三月    嵐山町教育委員会


社殿より境内を望む。


御神木の杉。

 鎌形八幡神社は、平安時代初期の延暦年間に、坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると言い伝えられている。武門、武将の神として仰がれ「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」と縁起の中にある。
 源義賢、義仲、義高三代に関する伝説がこの地には多く、源氏の氏神として仰がれていたという。
 また、嵐山町指定文化財である懸仏が二枚保存されている。
 安元二年(1176年)の銘がある懸仏は径十八センチメートルで、中央に阿彌陀座像が鋳出されていて、「奉納八幡宮宝前 安元二丙申天八月之吉 清水冠者源義高」と陰刻されている。(但し、源義高は安元二年には生まれていない。)もう一つの貞和四年(1348年)の銘がある懸仏は、径十七センチメートルで、薬師座像が鋳出されていて、「渋河閑坊 貞和二戌子七月日施主大工兼泰」と刻まれている。
 その他、木曽義仲産湯の清水や、徳川幕府歴代将軍の御朱印状などの多数の文書がある。
 昭和五十五年三月  埼玉県

:2015年の鎌形流鏑馬は4月5日(日)開催を予定しているそうです。奉納奉告祭(13:00~)・鎌形流鏑馬(14:00~)

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