今日は 暖かいような寒いような こたつから出れません。
私は以前10数年前に「家族」という題目で文集を作り
両親に感謝の意を込めて プレゼントしました。
私の子供からの思い出を出せるだけ出して書きました。
私は姉兄私と三人の中の末っ子
私の祖父(父の父)は警察官 転勤を繰り返し
今ある実家が最後の勤務地でした。
その当時には珍しく大柄で体格の良い男なので 警察官にはピッタリだったでしょう。
その遺伝なのか 父も(長男)姉弟たちも大柄で(全部で7人)皆揃うと圧巻でしたし
今の言葉で言うとイケメンぞろい むろん当時はおじさんたち見ても
そんなことを思うことはありませんでしたけど
でも自慢の叔父たちで帰省するたびなぜかうれしかったことを覚えています。
(お土産に?)
祖父は退職すると 煉瓦で窯を作り(自分で作ったかどうかは不明)
パン屋を開業 田舎なので焼きたてパンなどは珍しく
結婚 法事などは大量のパンが売れ忙しかったみたいです。
家族で手伝い 。(祖母はお嬢様ですから何もしません)
母はまだ小さい私を連れ 自転車の後ろにパンの箱を積み
配達していたのです。
厳格な舅に遠慮していたのか 帰りに一個食べたパンが美味しかったと
あとで笑い話しになってました。
今でもその地は 法事にはなぜか大量のパンがお供えされ
参列者にはお土産として配られるのです。
でも そのパン屋も材料物資の調達がむづかしくなり 廃業せざるをえませんでした。
父は生まれつき足が悪かったので その分 長男としては苦労したのです。
まだ 一人前ではない弟たちのために学費を捻出 大学まで行かせ
母は義弟のために内職したり 洋服を仕立てたり
それはそれは苦労したのです。
父は 一番可愛がった末っ子の弟にその後裏切られた形で
一生を終えるのですが
父は小説家志望でした でも長男であるが故
自分の夢はあきらめ工芸学校に行き 家具職人として生計を立てることにしたのです。
でも 小説家の夢はあきらめることなく 日々仕事が終わると
せっせと書き続けていました。
何度も雑誌社に投稿した後の作品が 実家の部屋に高く積まれていました。
あきらめることなく書き続けた小説は
末の弟が原因で 軽い脳梗塞になり 少々不自由な手となり
書くことが難しくなりましたが
父が口で言ったことを母が代筆していく 夫唱婦随で
情熱は冷めることはありませんでした。
そんな苦労した両親に私の子供の頃の話や思い
独り立ちしたときの思いなど文集にしたのです。
一番お守りをしてもらった姉や兄たちの子供 孫たちの書いた分も載せました。
表紙は姉が染めた布です。
以前 姉が新聞に載ったことも載せました。
孫たちのおじいちゃん おばあちゃんへの感謝の言葉が伝わって
喜んでくれたと思います。
その後 母が代筆した手紙には
「ありがとう 何度も何度も読みました。」めっきり涙もろくなっていた父は
これを読みながら 過去の事を思い出しながら涙したことでしょう。
でも 子供や孫たちが この平凡な夫婦を崇拝して感謝の気持ちを持ち
伝えることができて良かったと思っています。
世に出ることなく夢が夢で終わった父の人生ですが
亡くなった後 夢だった父の晩年のエッセイを
兄が一冊の本として作りました。