ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

小池さん当選です

2016-07-31 20:37:13 | 日記

都民ではないけど 舛添さん辞任から注目されている都知事選

わが町の知事選の時より気になっていました。

小池さん女性で頑張っていましたから、ひそかに応援してたんです

きっと女性にも優しい政治をしてくれるでしょうね。。

名前も知らない人も数多く立候補してたんですけど 

注目三人衆の中では鳥越さんは最下位 応援しようとは思いませんでしたけどね

だって もう少し紳士なのかと思ってました。

応援演説聞くとそれで政治できるの?とこんな素人でも思いましたもの。

 

先週 今週と町内のお祭り オチビさんたちは楽しんでいました。

いつもは夜には食べれないかき氷食べたり ゲームしたりで

駆けずり回って 追いかけるのが大変

そんなかに場違いのスーツ姿のお方 どこかの議員さん?早速ご挨拶周り?

いやだわね こんなところまで、、

 

 

 

 

 

 


気になりませんか?

2016-07-30 08:52:55 | 日記

つい最近まで歯医者に通っていたのですが いつも気になること

それは先生たちの手袋 隣の席の方の診察を終えると

すぐ私のところへきて 「はい 口を開けて、、」と言いながら指を入れるのですが

えっ!今お隣を見ていたのではないの?手袋変えた?消毒した?そのままでしょう と

気になりだしたらきりがないけど でもいくら何でも消毒はしたでしょうね と

自分を慰めているのですが (-_-;)

治療しているとき みなさん目を開けてます?閉じてます?

私は目を閉じられないので 普通に目を開けて 天井をにらみつけていますが

ある日ふと気が付いたのですが 本当は目を閉じるものなの?みんなはどうしている?

先生たちはこのおばさん滑稽だなと思っているのかしら、、等 頭をよぎると

吹き出しそうになり おかしなおばさんになりつつありました。

目線が合わないように 天井や蛍光灯の方ばかり見て

他ごとや ハンドメイドの事を思い浮かべてその場をしのぎましたが

次の治療まで悩み 最後の治療は目を閉じていましたよ はい。 

そして はい おそうじしましょうと毎回 毎回聞くお言葉

ところが 口の中を器具が一回転しただけのような気が(-_-;)

支払い明細を見ると 確かに数字が入っています。

最後は これが本当のおそうじではないの と思うほど丁寧でした。

これで終わり やれやれと思うと 来週の予約はとなるので

「まだ来た方が良いのですか?」と聞くと 「はいもう一回みてみますね」 となりました。

その見ただけの金額も 気になるーう・・

今度はスーパーの話

切り売りしている果物 気になりませんか?

たぶん一個売りにはできないものを(熟れ過ぎとか 痛んだところを除いて)

食べやすい大きさに切って 色々盛り合わせたりして 見るからにおいしそうに売っているんだけど 

よーく見ると切口がなんとなく衛生的でないような 気がします。

なんかべたついているようで どの果物も同じ包丁で切るの?(うるさい!って言われそうですが)

スーパーによるんでしょうが どうも切っているところを想像すると買う気がしないんですね  

見るからに商品はお見限りの枠だと思うのですが お値段安くはないんですよね。。

そんなに神経質ではないわたくしでも 気になるーう!です。 

そして今度は洗剤

柔軟剤やおしゃれ着洗い 漂白剤など 洗剤とは別にあとから入れるもの

右利きの方は洗剤をいれる容器を左にもって キャップを右にもち 移しますよね(私は違うって怒られそう)

左手に容器持つとき 表面を自分側に持つと思います。でも注ぎ口が反対になるので

必ず持ち替えるようになるのです。それが気になるーう!

注ぎ口が表面から見ると 左に斜めになっています。これは裏面の写真です

効率よく入れるには 全部 裏側にして並べておかなければいけません。

それって気になりませんか?(どうも私だけのようです(-_-;))

以上 気になるーう!でした。

 

 

 

 

 

 

 


宝くじ買いました。

2016-07-29 18:35:16 | 日記

サマージャンボ 今日が最終日 

買い物に行って目に飛び込んだのが宝くじ売り場

勤めていた頃は決まったように少し買っていたけど最近はご無沙汰

なので少し買いました。

今まで 当たったお金は1万円まで、、(笑)

あまり お金に縁がない私ですが 当たれば息子の家のローンの足しにでも

娘の家の購入資金にも、と 捕らぬ狸の皮算用で楽しみに待ちます。

私の友達は全然興味がない人 必ず買う人に分かれます。

わが夫も お金がないですから ロトをちびちび買ったりしています。

一種のばくちですから パチンコや競馬と同じく 当たれば大きいでしょうが

嵌れば怖いものがありますからのめりこんではいけません。

週刊誌に「大当たりしました。」と載っているのを見るとうらやましい限りですが

実状は大金を手にすれば 生活は変わり 人間関係までがおかしくなると書いています。

銀行から当選金をいただいて 守秘義務を守ってくれるはずが どこからか漏れ

色々と借金や寄付の催促の電話がかかって来るそうです。

せっかく大金を手にしても ノイローゼになり心を病んだりすれば不幸です。

元気で働いた得たお金で生活できれば良いではないか、、と思うけど

ほんの少しで良いですからとお願いする気持ちは心の中にあります((-_-;))

昨日の姉の話の中で 染色を辞めることになったのもお金です。

義兄の両親の財産問題で義兄は姉弟たちと絶縁状態になってしまったのです。

義兄の両親は退職と同時 町の中の自分の不動産を売却し 田舎で暮らし始めました。

義兄と姉はその財産に対して(いずれは自分も相続の権利はある)ぐらいで

対して執着していませんでした。義兄の父が倒れ病床の身になり

看病のために通う私の姉が気が付いたのは 姑のお金が異様に少なくなって

いたので訪ねると 姉や弟たちが通帳や印鑑を管理していると答えたそうです。

そこで義兄が調べると 義兄の姉や弟は実父の看病するどころか 

自由自在に両親のお金を使っていたそうです。

当然義兄は怒ります。

両親の面倒見るため 義兄夫婦はやむなく 近くに移り住むのですが

その問題は裁判しても解決するわけでもありませんでした。

お金は必要不可欠 でも怖いですね。。

夢を見ているうちが 幸せですね。

 

 

 

 


仏門との共通点

2016-07-27 20:21:13 | 日記

姉と私の共通点 それは布遊び 姉は染色 私は洋裁

私は主人の大けがきっかけで働きに出ましたから 

退職まで役30年間ミシンに向かうことはなかったのです。

姉は兄嫁(友人)とともに実家近くに染色工房を設け積極的に活動します。

木工 焼き物 書道 絵画 等の分野の方とありとあらゆる土地で展示会をします

そこでまたまた友達の輪が大きくなります。

姉たちが友人の紹介で展示会を開いたとき 隣に座った人が主人の(私の)従妹だったとこともありで

大笑いしたそうです。

また 姉たちの工房には 家出少年や少女たちが人づてに聞いて

転がり込んできます。まだ高校生ぐらいの年齢です。

追い出すこともしなければ説教することなく 気が済むまでおいてやるのです。

彼女たちは納得すると帰っていきます。

染色に興味がわく子 意外と才能があるやも知れないと気付く子もいるのです。

姉はそれからも自分の考えを妥協することはなく 生活したのですが

夫の家族の問題が勃発 そのため姉の染色活動は弱まっていきます。

そして仏門決意

姉が仏門に入った理由 本当はよくわからないんです。

私には無縁な インド 仏門 寺禅修行 剃頭 それらの単語を聞いても

別に驚かなかったというだけです。

受験勉強をお寺でしたときから縁があったのか それもわかりません。

姉は私に「一生 主人の世話で終わりたくない」

義兄もそんなに古い考えの男ではないので それだけの理由ではないでしょうが

娘や義兄は暗黙の了解 「仕方がないや、、」て感じだったらしい

両親や弟妹だけにはとりあえず了承を得ておこうと思った事後報告です。

両親はさすがいまさら反対してもどうなるものかと思ったのでしょう

「わかった」の一言だったらしいです。

1998年ごろ 家族の事で悩み愚痴を言う私に

姉は友人の知人にヒーリングアートをやっている人がいるからと 

申し込んでくれました。

その方の感性 名前だけで テレパシーで絵を描いてくれるのです。

送られてきた絵はこちら

寡黙な私が泣きながら 頭の中で宇宙船と交信している 海の向こうでは火山が噴火

その中には現実と同じく苦悩する私がいるのは間違いありません

生活がいっぱいで解釈を聞いたかどうかも忘れたのですが

明るい未来が描かれていたのでしょうか もう一度改めて聞いてみたいと思います。

この方のお名前はわかっていたので ネットで検索するとありました。

ブログを続けていらっしゃいます。

その中で インドの話が少し書かれていたのですが 

姉も自分を描いてもらったのかも

その時 思うところがあったかもしれません。

その後 心を癒すテレパスアート(たましいの似顔絵)と名付けられたみたいです。

仏門とテレパスアートなにか共通点があるのを私も感じます。

姉は見ていても 瀬戸内寂聴さんみたいには格好良くはないけど 

山の中の小さな貧しいお寺で日々お勤めしています。

何カ月か一度は家族に会いに下界に降りてきます。

姉は最後まで自分の思う生き方をするんですね。


尼になった姉の全貌

2016-07-26 09:14:03 | 日記

大げさなタイトルだけど 別に皆さんに迷惑かけたわけでもないのです。

尼になった姉の話の続きをちょこっと(長いかも)

姉は自由人というより自分の感性(個性?)に忠実に生きていくのです。

姉の口ぐせ?「女性も男性も同等 女性も自立 男性に頼っていてはだめだ」

昭和40年~50年代ですからまだまだ夫の言いなりに生活していく妻は

多かったはずです。(まーあ 私が良い例ですけどね(-_-;))

学校を出て社会人になった姉の周りには やはり同じ思想・見解を持った人々が

集まって夜中まで談義に明け暮れていました。

その頃は学生運動の影はどこへやら 世間も静かになっていましたが

若者の間では 文学はもちろん 政治 環境等 語りつくせない話題は多かったのでしょう。

私は 姉のいるこの街に出てきて 服飾学校へ通ってました。

学校 アルバイトの繰り返しで 姉に会うことも少なくなってきましたが

全く違う生活でした。

私たち姉妹は 外見も性格も全く正反対で 周りから「本当に姉妹?」必ず言われました。

姉は料理はするんでしょうが(どの程度かは?)三角おにぎりはできません

いつもまーるい団子(笑)編み物も縫物もできないと思います。

よく「どちらがもらわれてきたんだろう?」思ってましたが(笑)

普通の姉妹ではないので 私はお姉ちゃんと呼んだこともありません。

一緒に旅行に行ったこともないけど お酒は一緒に飲んだことはあります

これは二人とも父の血を受け継いだのか ほとんど酔いません(-_-;)

これが姉妹の共通点? 笑えます!。

私の結婚の数年後 姉も結婚 一女を産みました。

子供ができても 他人の目を気にすることなく 姉の生活スタイルは変わりませんでした。

人に惑わされることなく 自分自身こうあるべきという信念は変わらなかったでしょうね。

自分の好きな生き方 (変わった人 と他人は言う)

例えば  昔の行商人の人が荷物を入れて押して歩いていたものを探してきて

(竹で編んだかごに車輪がついている(今のショピングカートみたいなもの))

子供の乳母車として娘を入れて街中をカッポしてた。。

(普通に乳母車を買った方が安いんでないの、と凡人の私は思う)みんなが振り返ってましたけどね。

すべてが個性的 しゃれた言い方をすればレトロ調(笑)

環境問題 無農薬野菜 食生活 会うたびうるさく説明されました。

白砂糖 化学調味料 粉末だしの元 これだめ× 

わが夫 これすべて大好き ((-_-;))交わることのない姉と私たち夫婦

姉は家族とともに実家近くに戻り 古民家を借りて住居を構えました。

そして染色の道へと進んだのです。

すでに京都で着物にデザイン・染めをしていた兄嫁とともに新たに工房を設けて

本格的に始め 姉たちが染め 母や知り合いが縫製し 販売してました。

ここで 少しだけ共通点 それは「布遊び」 私は洋裁 姉は染色

やはり姉たちの周りには 人が集まってきます。

同業者はもちろん 人づてに聞いて 家出少女や少年が工房に来るのです。

姉たちは 何も言うことなく 好きなだけ工房に寝泊まりさすのです。

そして 彼女たちは自分自身納得したら 出ていきます。

姉と共通する何かを感じるのかもしれません。。染め物に興味を持つ子も居れば 

何気に遊んだ染め物に自分の才能を見つける子もいるでしょう。

個展等で友達の輪が広がる姉たちにはどこに行っても 生きて行けるようです。

ある雑誌に載ったことも 新聞に載ったこともあるけど

そのたびに 私のスタイルではない。。と嫌っていましたっけ。

イギリスに展示即売に行くとき 空港と違う方向のバスに乗って

危うく飛行機に乗りそこねるとこだったと 後で聞かされましたが

「あんたらしいわ、、」っておもいましたわ。

 

私といえば 主人の大けがの手術がきっかけで 働きに出ました。

それから30年退職するまで ミシンを出すことなかったのです。