ASUKのババは日々元気に暮らしたい。

ハンドメイド 作りたいものだけ作る毎日
日々の出来事に愚痴も出てきます。

電話に注意

2018-01-15 08:25:54 | 日記

ですが早朝の冷え込みは今までの最高 一面霜で真っ白!

エアコンかけてもなかなか温度上がらず

主人は  行かないと言いながらも用意はOK

 

頑張って就活しています。

一社 面接に行くことになってます。

でも「勤務時間が表示されているよりは長いのでご承知を、、」と

丁寧に下さったので 一日猶予して応募させてくださいと返事

最初感じ良く電話くださったので 

電話での印象はと思ったけど

 返事したときの態度がちょっと違うように聞こえる。

 別に拒否されたわけでもありませんが

 携帯ってお互いの声が聞こえてくるに間があるのが

どうも相手とスムーズに話が出来ないような気がする。

こちらが返答すると少し間を置いて返事が返ってくる

これってなんだか「えっ! 応募するの?」的な対応に

聞こえてくる。考えすぎかもねと思うけどね。

先だっての固定電話にかかってきたときは別に違和感なしで

話せたけど こんな場合はやはり携帯ではない方が良いのかな?

 

電話と言えば昨日我が家にかかってきたのが

「今 古着が不足しています 一枚でも取りに行きますから

    出していただけませんか?」って内容

   古着?今話題の晴れ着?

それって何のための古着あつめ 一枚でもってどんな古着を?

ブランド品かスーツかコートか

古着山ほどあるけど急に出せと言われても

「急に言われても、」

「5分ほど見て頂けないでしょうか?」なおしつこく言う

考えすぎかもしれないけど 古着が不足しているって信じられないし

一枚でも取りに行く? ガソリン使って?

リサイクル用品無料で引き取りますってチラシ見るけど

これにも落とし穴が 

無料で引き取りますと言いながら運搬料は頂きます。と

 なったこともあるらしいので

どこまで信用できるか頭のなかはグルグル

適当に番号回して住所等を調べる詐欺もあるので

うかうか個人情報を話せない

電話ってわかっていてもついつい相手のペースに巻き込まれて

話して(経験済み)しまうことがある怖い道具

「今忙しいので」

態度一変で切られました。

信用するのも難しいし疑うばかりも難しい世の中です。


髪の思い出

2018-01-13 10:41:47 | 日記

だけど寒い!

今日が一番の冷え込みらしい、、、と毎日言っているような

冷蔵庫が空なので買い物行かなくてはと思うけど

寒いのでシャンプーが出来ない

 この乱れた頭で外出できない

昔からの癖で朝シャンタイプ 夜洗うと寝癖がついて

朝もう一度やり直し 二度手間

年ともに髪のボリュームも少なくなり 

セットが長持ちしないのも悩み

会社勤めの時は毎朝シャンプーしてセット 

だからそんなにボリュームを意識してなかったけど

年には勝てないね

 

小さいころから母が

「○○ちゃんの髪は黒くて多いね」と

いつも三つ編みしながら言っていた。

高校卒業後

父が「短大ぐらい行かないと、、」と言ってたけど

多額の学費を出してもらう余裕はないと思い

アルバイトしながら服飾学校に通うと家を出た

けど

 結局多少の援助はしてもらうことになった。

卒業式と同時に母が私を美容院に連れて行って

パーマをかけた。

これも母が言い出した事

鏡に映る自分の姿に何だか似合わないようで恥ずかしかった。

ヘアースタイルが違うだけなのに

違う世界に飛び込んだようだった。

切ってしまった長い黒髪をヘアーピースにしてくれた。

そのころ流行していた気もする。

上京する時

バス停まで送りに来てた母は涙してた。

「私って親不孝したんだね」

乗り合わせた

近所のイケメンのお兄さんが

「やあー○○ちゃん別人だね 大人になったね」と

からかった。

パーマあてたことチョッピリ後悔

いまだに捨てれないヘアーピースが

物置を片付ける度に目につく。

それを見るたび思い出す当時の事

今は昔の事などすっかり忘れている母だけど

「私が覚えているよ おかあさん色々ありがとうね 」

昔と変わらないふさふさの母の髪

そんな髪をブラシでといてあげると

嬉しそうにうなづく母

 

 

 

 


もうひと踏ん張りしようかな、、

2018-01-11 11:14:29 | 日記

 でも今季一番の冷えこみのようです。

 

父の法事が終わると何も予定の無い私たち夫婦

それぞれこたつの中で主人はのみ

私は手芸本見たり 編み物したり

TV鑑賞したり でも面白い番組ないよね。

そして PCに付きっ切り

早朝3~4時間だけでもアルバイトでもしようかと検索 検索の日々です。

退職した時点で貯金がこのぐらいなら

質素倹約でやっていけるかもと思ったけど

年金は少ないのに 思いのほか出費が続く

頭の痛い話なのに一日何もせずにくよくよする間に

気分転換に出た方が良いわ!

と 

頑張ってみる事したけど現実は厳しい!

このババにはね

でも 動かないと先に進めない

履歴書書かないと 写真撮らないと大変!

ところが学歴・職歴の年がはっきり思い出さない

(この時点で大丈夫?かなと思うでしょう

年が近い義妹に聞いたり 逆算したり頭働かすこと 

昨年口に出した事なので有言実行 とばかり頑張っています。

今頃はネットで応募できるんですね。

「えい!やあー」と気合かけて応募ポチ送信完了

だけど 待てど暮らせど返事がない のでで確認

気をもんだ数日間に比べて数分のお返事でした。

やはり年齢がね。

そのぐらいのお仕事できるのに!一人でつぶやいています。

また頑張って検索します。


時代が変わればね、、

2018-01-08 21:34:48 | 日記

一日雨  です。

今日は亡き父の7回忌

で行くのも天気が悪ければ疲れるわ。

今日は兄夫婦と姪 姉 と私たち夫婦  だけの法事です。

亡き父の兄弟は多く 連絡すれば健在の弟や甥や姪たちも

来てくれるかもしれませんが 遠方から来るのも大変!

こちらも準備が大変だし 大幅に簡素化 

それだけ年を取ったのです。

嫁いできたころは

法事も家で行い 薄い縁者まで集まって大人数!

飲めや歌への宴会 料理やらお酒でこれまた主婦は大忙し

後かたずけまですると深夜になること

年月が経つと 料理は仕出し屋さんが家まで配達してくれて

お膳まで貸してくれ 洗わず返してください。と楽ちんになり

そのうち料理屋さんで行うようになり行くだけ

 そのころから参列する人も少なくなり

時代も変わればですね。

先日主人の従兄が亡くなった時も 兄弟や従兄達だけ参列

香典も受け取らず その代わりに返礼もしない

みんなで故人を忍びながら食事 

 

我が家も無事法要も済ませ お食事タイム

「今日のお坊さん お経が長かったね」

「そうだよね」「最後の説教 声が小さくて聞こえなかった」

姪を覗けば ジジとババ ばかり

耳が遠くなったねとか 膝が痛いのよ の会話ばかりです。

父の遺影はいつものように笑っていました。

 


父の命日にお酒の思い出

2018-01-04 08:47:16 | 日記

今日は大霜で一面真っ白 良いお天気になりそうです。

主人はの支度でそわそわ

 

ストレスだった年末も過ぎ

早4日  

お雑煮は昨日まで 今日は食 いつもの生活に戻りました。

おせちに作ったおかずも 息子たちが食欲なかったせいで残り

3日の夫婦の贅沢なおかずとなり ようやく片付きました。

お酒も残りわずか 元旦はおちょこ一杯(私が)2日目は2杯 3日目は3杯

主人は足らないと言ってたけどお酒に弱いので飲ますと危ない危ない!

勤めていたころは結構飲んでたけど

退職してからは

ビール1杯も口にすることなかったから

久し振りのお酒一杯でクラクラ 

でも私の場合はすぐ覚めるんだけどね。

 

大酒飲みの父の血を継いだのか

実家の家族は酒豪家族

父は仕事の後 晩酌を静かに飲んでました。

小説を書くことで人生を全うしたような父です。

もちろん家族を養うためには好きな事だけは出来ませんから

仕事の合間に小説を書き

せっせと出版社に送っていました。

不採用になって送り返された封筒の束が

山のように積まれていました。

仲間と同人雑誌を作ったり

同人会で酒を飲み熱く討論したり

小さなスナックに私を連れて行って

楽しそうに語る父を見てきました。

軽い脳梗塞で倒れてからも

不自由になった手にペンを持ちリハビリしていました。

いよいよペンが持てなくなっても

母がそばで代筆していました。

ベッドの上でワインを一杯食後に飲んでた父

色白の肌がピンク色になって楽しそうに笑っていたっけ!

涙もろくにもなりました。

おしゃべりする孫やひい孫の様子をベッドの上で

涙ながらに見てました。

こんなことがありました。

もともと足が不自由だったのに

倒れてから歩行困難になりベッドの上がほとんど

頭の髪の毛がなくなって久しいのに

黒い髪が生えてきたことあって皆ビックリ!

しばらくするとまたなくなるんだけど

また生えてきたことがあって

「不思議だよねーえ」と家族で大笑い

 

家族一同で飲み明かしたことはないけど

酒癖は悪くなく そんなに飲んだの?っと言っても

おとなしい家族

昔、姉と2人で清酒一升以上飲んだけど

さすがに二日酔いしたわ

会社の宴会でもいつの間にか 酒豪=強いの噂が

次々と皆が注いでくれるけど

最後は「もう飲めなーい」ぶりっこでお断り

これも懐かしい思い出となりました。

 

一月四日に亡くなりました。

今日です

寒い日でした。

父を思い出して酒の話になりました。