朝、着物を着て出かける日はいつも、この家は構造上の欠陥だと思う。和室は支度部屋としての用を果たせてないのが悩みだ。というのも、この家を建てた頃は、仕切りのない広いワンルームタイプの家の設計が流行っていた。それで、戸を開けると、一階の部屋すべて見通せるような造りになった。
それで、長じゅばんを羽おる絶妙な瞬間に、夫が前を横切るので、しなくてもいい夫婦喧嘩のきっかけになっている。不機嫌のままお茶のお稽古に出かけると、単純なことも間違う。
また、この家は、子どもの進学のことを主に考え、親の定年後の生活は、いっさい考えていなかった。夫は、「ピアノの下に眠ってもいい」とさえ言っていたほどだ。私も近くにスポーツセンターがあったのでそれが楽しみで、家の間取りは、そう真剣に考えなかった。今、そのセンターは無くなってしまった。
先日、退職後に新築された夫の友人宅を訪問したら、私たちが今住みたい理想の家だった。夫婦それぞれの趣味を生かせる個室があつた。奥さんのお茶室と裁縫部屋、ご主人の書斎とそば打ち部屋、それに結婚された子どもさんの帰省部屋等々。定年後からまた人生が始まる造りになっていた。
家は、その人が建てる時期で、間取りが決まる。家は三軒建てないと本物に巡り合えないとよく言われる。この家は二軒目だが、私たちには、もう一軒建てる余力も残ってない。結婚してすぐに建てた一軒目の家は個室に憧れ、間取りをこまごましたので、家族が見渡せなかった。二軒目の今の家は、その反動でワンルームを考えたと思う。
先日、NHKテレビ「団塊スタイル」で、夫婦がそれぞれの生活を楽しむ工夫の提案があった。第二の人生を互いの自由を尊重しながら幸せに歩む参考になるヒントに感激した。相手を考慮して寛大な気持ちで毎日を暮らすことが、どんなに大切か分かった。
それで我が家も、定年をきっかけに訪れる夫婦間のトラブルや危機を思い、新しい形の生活スタイルを見つけることにした。
そして、気付いたことは、今のスタイルが一番新しいのではないかと気付いた。幸い一軒目に建てた古家がそのまま残っているので、夫が旧友と会ったり、ゴルフに出かけるときは、そこに寝泊まりしている。
その日がうまい具合いに私が着物を着て出かける日と重なることが多く、心のモヤモヤがなくなった。
お互いの気配に安心を感じる日と、お互いが視野に入らない日が、交互に緊張して存在することに今気付いた。
そんなことを思って、街角でコーヒー頂いていたら、コーヒー豆の説明の欄に「ほどよい」という言葉が使われていた。今の気持ちと同じだと思った。(*_*;