「いつかはクラウン」のCMを耳にするたびに、いつかはクラウンと夢見ていたあの頃がほんとうに懐かしい。
その時が来たと思った時は、夫が40歳半ばの頃だった。山之内一豊の妻ではないけれど、私も少しだけ協力してクラウンを求めた。今も残っている夫の印象は、にこやかにクラウンを運転して出かける姿だ。
その後、定年退職後もしばらくクラウンに乗り続けたが、このご時世とうとう一回りも二回りも小さい車に今は乗り換えている。
山之内一豊の妻千代はただの良妻ではなく、先見の明を持つ≪投資家≫でもあった。何か目標に向かって進んでいた頃は、活力があり良かったと思う。
その投資も今は何所へやら、ゴルフとマッサージの予定だけが手帳に光っている。高級車が追い越すたびに、心は錦で「かつてはクラウン」と慰めている毎日だ。
お茶のお稽古の床の間に、龍安寺の有名な蹲踞(つくばい)、『吾唯知足』(われただ たるを しる)の掛け軸が掛かっていた。
いまのままで十分だ、今ある人生を大切に生きようという人生の教訓とか、シニア夫婦の今にぴったりと思った。
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