17km660mもの距離がある天北線の小石・曲渕間は、峠越えの区間であり、橋梁がある106km597m地点から1キロ少々進んだ107.65km地点付近で上り坂は終わっていた。
それ故に、鬼志別川の源流付近にあって、宇流谷川のある谷間に向かって下り坂に変わる辺りにあったこの橋梁は、山越川橋梁と名付けられたものと思われるが、国土地理院の2万5千分の1地形図閲覧サービスで見る限り、沢らしきものは見当たらず、また、実際に現地で確認した時には、流れはなくて橋梁の下に入る事が出来た。
橋梁付近にあった小屋らしき残骸が気になったのと、この橋梁には踏板が敷かれて通行可能だったのが気になったが、山奥では訊ねる術はなく、ありのままの光景を撮影するしかなかった。
全景
音威子府側橋台 翼壁
南稚内方
107km地点
キロポスト
キロポスト
南稚内方
音威子府方
107km地点付近曲線標(107km地点より南稚内寄りの場所で撮影したと思われるが不明)
曲線標
南稚内方
音威子府方
山越川 橋梁 (106km597m)
4m20 Iビーム×1
銘鈑未確認の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他不明
※設計荷重はクーパーE-40か?
昭和49年9月 (株)北野組 塗装(塗料会社:日本ペイント(株) )
コンクリート製橋台(玉石練積み式コンクリート製翼壁)
特になし(2003年05月調査時)
それ故に、鬼志別川の源流付近にあって、宇流谷川のある谷間に向かって下り坂に変わる辺りにあったこの橋梁は、山越川橋梁と名付けられたものと思われるが、国土地理院の2万5千分の1地形図閲覧サービスで見る限り、沢らしきものは見当たらず、また、実際に現地で確認した時には、流れはなくて橋梁の下に入る事が出来た。
橋梁付近にあった小屋らしき残骸が気になったのと、この橋梁には踏板が敷かれて通行可能だったのが気になったが、山奥では訊ねる術はなく、ありのままの光景を撮影するしかなかった。
全景
音威子府側橋台 翼壁
南稚内方
107km地点
キロポスト
キロポスト
南稚内方
音威子府方
107km地点付近曲線標(107km地点より南稚内寄りの場所で撮影したと思われるが不明)
曲線標
南稚内方
音威子府方
山越川 橋梁 (106km597m)
4m20 Iビーム×1
銘鈑未確認の為、製造年・製造会社及び設計荷重その他不明
※設計荷重はクーパーE-40か?
昭和49年9月 (株)北野組 塗装(塗料会社:日本ペイント(株) )
コンクリート製橋台(玉石練積み式コンクリート製翼壁)
特になし(2003年05月調査時)