宗谷本線の名寄駅と石北本線の遠軽駅を結んでいた名寄本線の鉄道跡地を調べる平成10年秋の旅行で、中土場川に名寄本線中土場川橋梁が架けられているのを発見した際、手持ちの資料である日本鉄道名所 勾配・曲線の旅には記載がなかった為、ひとまず撮影して撤収となった。
その際に、名寄本線の第3湧別川橋梁の撤去時期についてだったか何かの資料を探そうとして、当時の上湧別町役場を訪れた際に、役場の人から、名寄本線跡地を道路として転用する事と、中土場川橋梁が撤去される事を知ったが、それっきりとなってしまい、未だ再訪は果たせていない。
時は流れて、インターネットは今や地図を閲覧できて距離を調べる事ができるようになり、簡単ではあるが、名寄起点122km880m地点の中湧別駅の駅舎があった辺りにある中湧別文化センターバス停付近から中土場川まで距離を求めたところ、約1.1キロ遠軽寄りの位置、すなわち、名寄駅から124キロ地点の辺りにあった事がわかった。
1977年に撮影された写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c7/cho-77-16_c7_12.jpg)だと、写真左上の湧別川から画面中央付近に向かって、平仮名の“し”の字のように見える太い帯が見えるが、これが後年の中土場川であり、河川は未完成で線路を横切っておらず、橋梁の片鱗も見えない。
オホーツク総合振興局のホームページにある砂防・地すべり・急傾斜の維持管理実施計画(http://www.okhotsk.pref.hokkaido.lg.jp/kk/akk/grp/engaru2.pdf)の中土場川の項目には、昭和47~48年に砂防えん堤という工種の工事が行われ、続いて昭和49~53年に流路工という工種の工事が行われた記録が残っており、写真と状況が一致する。
中土場川橋梁
河川名:中土場川
位置不明(中湧別駅・北湧仮乗降場間)
支間不明プレストレストコンクリート桁2連
日本高圧コンクリート株式会社(昭和55年6月~9月 設計荷重KS14)
橋台施工銘鈑行方不明
橋脚施工銘鈑接近不能
全景
桁製造銘鈑
名寄方を望む
ところで、中土場川橋梁を撮影した理由は、橋長が長いという理由もあったが、木製の河川名表示板を読んで、旧名ヌッポコマナイ川と書かれているのを見つけた事も理由の一つである。
名寄本線は遠軽から中湧別を経て湧別に至る区間は元々、野付牛(現在の北見)を起点とする湧別線として開業した区間で、手元にある湧別線建設概要と呼ばれる開業当時の資料には、中土場川の場所から更に遠軽寄りの位置に第4ヌッポコマナイ川橋梁(北見起点45マイル42チェーン100リンク※)という15フィートの桁が3連架けられた橋梁が記載されている。
撮影してしばらくというか、今回、空中写真を仔細に見て、湧別線建設概要を読み直すまでは、中土場川はヌッポコマナイ川を拡幅したものだとばかり思っていたが、第4ヌッポコマナイ川橋梁の後年の姿が中土場川橋梁ではない事がわかり、本来なら日曜日の午前中に写真を掲載して終わるはずがこんな遅い時間になってしまった…。
湧別線建設概要に第4ヌッポコマナイ川橋梁の位置が記載されていた事から、中湧別駅(47ml16ch=46ml95ch100l ※1マイル=80チェーン,100リンク=1チェーン)から、第4ヌッポコマナイ川橋梁(45ml42ch100l※)の数値を引いて求めた、1マイル53チェーンをキロメートル換算して、中湧別駅のあった場所から2km675m5344の位置まで伸ばしたところ、近くに河川があって、空中写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c8/cho-77-16_c8_11.jpg)にも、河川と橋梁の存在が確認できた。
ところが、2km675m5344という数値を名寄を起点とする中湧別駅の位置に当てはめて、122km880m+2km675m5344を計算すると、名寄起点124km980m地点にあった北湧仮乗降場から更に遠軽寄りとなる125km555m5344の位置の周辺には、空中写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c9a/cho-77-16_c9a_11.jpg)では橋梁と河川が見当たらないのである。
そこで、上湧別駅と第4橋梁の北見からの位置をキロメートルに換算して計算したところ、上湧別駅から1.9915632km名寄寄りという事で、126km540m-1km991m5632=124km548m4368と求められ、北湧仮乗降場を基準にすると位置関係としては辻褄が合ってしまい、古い単位の数値と現代の単位の数値が鎖のように頭の中でからんで訳わからなくなった。
※100リンクは1チェーンだが、他の構造物では、第2湧別川橋梁だと55C67L0で、終点の表記は50M36C10L0てな具合で、チェーンの数字が2ケタ表記だし、この縦断面図そのものが手書きだから、100というのは記載ミスであろうが、1チェーンの長さは20.1168mで、42チェーン10リンクの間違いであったとしても43チェーン0リンクの間違いであったとしても1.4キロ程度の誤差だし、第4橋梁は本来のテーマじゃないからいいか。
その際に、名寄本線の第3湧別川橋梁の撤去時期についてだったか何かの資料を探そうとして、当時の上湧別町役場を訪れた際に、役場の人から、名寄本線跡地を道路として転用する事と、中土場川橋梁が撤去される事を知ったが、それっきりとなってしまい、未だ再訪は果たせていない。
時は流れて、インターネットは今や地図を閲覧できて距離を調べる事ができるようになり、簡単ではあるが、名寄起点122km880m地点の中湧別駅の駅舎があった辺りにある中湧別文化センターバス停付近から中土場川まで距離を求めたところ、約1.1キロ遠軽寄りの位置、すなわち、名寄駅から124キロ地点の辺りにあった事がわかった。
1977年に撮影された写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c7/cho-77-16_c7_12.jpg)だと、写真左上の湧別川から画面中央付近に向かって、平仮名の“し”の字のように見える太い帯が見えるが、これが後年の中土場川であり、河川は未完成で線路を横切っておらず、橋梁の片鱗も見えない。
オホーツク総合振興局のホームページにある砂防・地すべり・急傾斜の維持管理実施計画(http://www.okhotsk.pref.hokkaido.lg.jp/kk/akk/grp/engaru2.pdf)の中土場川の項目には、昭和47~48年に砂防えん堤という工種の工事が行われ、続いて昭和49~53年に流路工という工種の工事が行われた記録が残っており、写真と状況が一致する。
中土場川橋梁
河川名:中土場川
位置不明(中湧別駅・北湧仮乗降場間)
支間不明プレストレストコンクリート桁2連
日本高圧コンクリート株式会社(昭和55年6月~9月 設計荷重KS14)
橋台施工銘鈑行方不明
橋脚施工銘鈑接近不能
全景
桁製造銘鈑
名寄方を望む
ところで、中土場川橋梁を撮影した理由は、橋長が長いという理由もあったが、木製の河川名表示板を読んで、旧名ヌッポコマナイ川と書かれているのを見つけた事も理由の一つである。
名寄本線は遠軽から中湧別を経て湧別に至る区間は元々、野付牛(現在の北見)を起点とする湧別線として開業した区間で、手元にある湧別線建設概要と呼ばれる開業当時の資料には、中土場川の場所から更に遠軽寄りの位置に第4ヌッポコマナイ川橋梁(北見起点45マイル42チェーン100リンク※)という15フィートの桁が3連架けられた橋梁が記載されている。
撮影してしばらくというか、今回、空中写真を仔細に見て、湧別線建設概要を読み直すまでは、中土場川はヌッポコマナイ川を拡幅したものだとばかり思っていたが、第4ヌッポコマナイ川橋梁の後年の姿が中土場川橋梁ではない事がわかり、本来なら日曜日の午前中に写真を掲載して終わるはずがこんな遅い時間になってしまった…。
湧別線建設概要に第4ヌッポコマナイ川橋梁の位置が記載されていた事から、中湧別駅(47ml16ch=46ml95ch100l ※1マイル=80チェーン,100リンク=1チェーン)から、第4ヌッポコマナイ川橋梁(45ml42ch100l※)の数値を引いて求めた、1マイル53チェーンをキロメートル換算して、中湧別駅のあった場所から2km675m5344の位置まで伸ばしたところ、近くに河川があって、空中写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c8/cho-77-16_c8_11.jpg)にも、河川と橋梁の存在が確認できた。
ところが、2km675m5344という数値を名寄を起点とする中湧別駅の位置に当てはめて、122km880m+2km675m5344を計算すると、名寄起点124km980m地点にあった北湧仮乗降場から更に遠軽寄りとなる125km555m5344の位置の周辺には、空中写真(http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/77/cho-77-16/c9a/cho-77-16_c9a_11.jpg)では橋梁と河川が見当たらないのである。
そこで、上湧別駅と第4橋梁の北見からの位置をキロメートルに換算して計算したところ、上湧別駅から1.9915632km名寄寄りという事で、126km540m-1km991m5632=124km548m4368と求められ、北湧仮乗降場を基準にすると位置関係としては辻褄が合ってしまい、古い単位の数値と現代の単位の数値が鎖のように頭の中でからんで訳わからなくなった。
※100リンクは1チェーンだが、他の構造物では、第2湧別川橋梁だと55C67L0で、終点の表記は50M36C10L0てな具合で、チェーンの数字が2ケタ表記だし、この縦断面図そのものが手書きだから、100というのは記載ミスであろうが、1チェーンの長さは20.1168mで、42チェーン10リンクの間違いであったとしても43チェーン0リンクの間違いであったとしても1.4キロ程度の誤差だし、第4橋梁は本来のテーマじゃないからいいか。
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