80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

JR名寄本線 沼ノ上駅

2012年02月10日 | 鉄道―名寄本線周辺廃線調査
 紋別市沼の上にあった名寄本線沼ノ上駅跡を初めて訪れたのは、平成10年10月のどんよりとした曇りの日の事だった。
 その時に食料を調達がてら駅に関する情報を得ようと立ち寄ったのが、市街地に唯一あった商店だった。
 平成23年10月の北海道北部の旅行で、再び沼の上の市街地にある商店を訪れて、遅い朝食がてら、今の沼の上の様子を訪ねる事にした。
 以前に駅の事を伺った当時に比べて綺麗に駅が整備されましたね、と切り出すと、沼ノ上小学校が閉校になって、皆が沼の上を離れて一段と寂れたと話した。
 確かに、以前は市街地にもう少し建物があったはずだが、だいぶ昔に廃屋となった雪印か明治の牛乳集荷所がまだ残っているのに、建物がだいぶ減って空き地が目立つようになった。

 紋別市立沼ノ上小学校は平成23年03月24日に第62回卒業証書授与式が執り行われ、3名が卒業し、在校生3名は紋別市立南丘小学校に編入して、平成23年03月31日に閉校となったそうだ。

北海道教育委員会ホームページ内 学校の設置・廃止等一覧
http://www.dokyoi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/ksk/shai2011.htm


 色々と話をしているうちに、店の隅に置いてあった祖父(だったか父親)の遺品が目に入って質問したのをきっかけに、店主の先祖の話になった。
 先祖は昔、湧別だか遠軽で旅館業を営んでいたそうだが、ある日、宿泊した方から合気道を教わったそうで、教えた人と、教わった側である店主の先祖は斯界では有名らしく、今でも時折この店を訪ねる人がいるそうだ。
 合気道に対する知識がなかった私に、合気はいわゆる勝ち負けを競うのではなく、心と体を鍛えるものだと教わった。
 非常に興味深く、真心とか人間の内面について色々と話しているうちに時間が過ぎてしまい、またの再会を期して別れた。
 帰ってから気になって調べたところ、確かにそれらしき人物の苗字と店舗名に掲げられた苗字が一致していたが、私にとって、素性なぞ取るに足らない事で、この店主は非常に魅力的な人物であり、それだけで充分なのである。
 次に会える保証はないが、また会いたいものである。

沼ノ上 駅 (112km620m)

画面左側に見える白い壁の建物が、通信中継機室と呼ばれる小屋であり、画面中央付近の赤い屋根の建物が鉄道官舎だった建物(住居として使用 後にリフォームされた)である。
2002年以降に通信中継機室と駅名標が撤去されたらしい。



国道238号に通じる道路が設置された際にホームが一部撤去され、名寄側と遠軽側にそれぞれホームの一部が残る。
(写真は名寄側に残るホームの一部)






ホーム・駅名標残存(1998年10月調査時)
ホーム分断(1998年10月調査時)
ホーム付近に歩道設置(2011年10月調査時)
駅名標更新(2011年10月調査時)
通信中継機室残存(1998年10月調査時)
通信中継機室撤去(2011年10月調査時)
鉄道官舎残存(1998年10月調査時)
鉄道官舎外壁他修繕(2011年10月調査時)

備考その1:鉄道官舎は住居として転用
備考その2:堀淳一氏の著書によれば、平成02年09月末の時点でホームは分断されていた

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