「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

「八回目の転倒」の顛末

2010-05-06 | 日記
ことの起こりはかなり前(10年以上?)から始まっていたようで、2年前に息子から結婚相手を紹介された時何となくその予感を現実の物として感じてはいたのですが、結婚相手には小学3年の女の子がおり、子供と仲良くなるのが得意な私なので直ぐに仲良しになれたので「これなら大丈夫かな・・・・」と安心していたのだが・・・・。
私の予想とは裏腹に、現実はそれ程簡単ではなかったのです。
その後も何度か「??」と感じることがあり、何となく「大きな溝」があるように感じていたのですが、昨年の9月にそれが現実の物となってしまったのです。
小学3年(その時は4年になっていたが)の女の子(孫)との仲は非常に良好で、私には何でも話してくれるのだが、その中で少し気になることがあり、そのことを母親(息子の嫁さん)に電話で話したところ突然「キレてしまった」のである。
私にとっては予想も出来ないような些細な事でキレられてしまい、正直な話し「この程度の話しで何でキレルの?」と言った感じなのだが、一度キレてしまえば手のつけようもなく、後で息子から聞いた話では「俺もキレタ」と言うのでビックリであるが、それは私が或る覚悟をしてからの話しで、その話を聞いた事で「ハッキリと覚悟を決められた」のですが、それは今年に入ってからの事で、このブログを立ち上げる原因にもなっているのですが、そこに至るまでの経過を書いてみましょう。
電話の一件の前に息子とある話を電話でしており、10月になってそのことに関して再確認の電話をしたのだが・・・・。
「ただいま電話に出られません・・・・」と言う何時ものアナウンスが聞こえたので電話を切ったのだが、いつもならその後かかってくるはずの電話はなく、その後も一向にかかってくる様子はなかったのです。
私もそれ程重要な話でもないので放置していたのだが、クリスマスイブの日に改めて電話をしたがやはり応答はなく、なんとなく嫌な予感がしたのですが・・・・。
「或る話し」とは、今年の1月8日ごろに新しい孫が生まれる予定で、「嫁さんが入院中は私が手伝いに行ってもいいが」と言う話をしていたのですが、それに対するハッキリとした返事はなく、大晦日の深夜になっても何の連絡もなかったのですが、そのことが伏線になったのでしょう、年明け早々「悪夢にうなされて目が覚める」と言うことになるのですが・・・・。
確認はしていないのですが、今にして思えば、私が悪夢にうなされていた頃は「陣痛が始まった頃」ではなかったかと思っています。
予定では8日頃と言う話しだったが、元旦の深夜に「生まれた」と言う電話があったのだが、非常に残念な事には、「その時はすでに私の覚悟は決まっていた」と言う事で、「生まれたよ!」と言う息子の言葉に素直に喜ぶ気持ちは全くなかったのです。
この「私の覚悟」とは、「元々希薄だった親子関係を絶つ」と言う事で、これは、幼少期の頃と同じ状態に舞い戻るような物で、私にとっては、「寂しいと言うより、残念だ!」と言う方が正しく、ある意味「清々した」と言う気持ちもあるのです。
「清々した?」と思う人もいるだろうが、そのことに関しては改めて書くことにします。
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