「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

ここまで駆け足で書いてきたのだが・・・・  ②

2010-02-03 | 日記
実は、シドニーオリンピックの時私は上海にいたのだが、この少し前に13年勤めた会社をリストラされて失業していたのです。
リストラされた当初はそれ程深刻に考えてはおらず、「時間があるから上海にでも行ってくるか・・・・」と言った程度の軽い気持ちで行っていたのですが、帰ってきてからの職探しで苦労するとは夢にも思っていなかったのです。
失業保険が切れる寸前に何とか仕事は見つかったのですが、その会社も1年後には倒産。
再び職探しの日々が続くのであるが、この頃は正に「就職氷河期」で、職安に行っても「職を探す人ばかりで、職はない」と言った状態で、ついに新たな仕事を見つけることができず、子供が大学を卒業する少し前だったので「授業料の工面に奔走」する事になってしまったのです。
授業料の工面は何とかなったのですが、60歳になる5ヶ月前には失業保険も切れ、基礎年金が入るまでの7ヶ月は「全くの無収入」と言う状態だったのですが、生命保険の「契約者貸付」を利用して乗り越える事は出来たのですが、結局仕事を見つけることが出来ず、それ以後は職探しは諦めました。
そして、65歳になるまでは「耐乏生活」を続け、その結果ある程度の蓄えが出来、今に至っているのですが、十分とはいえないながらも蓄えが出来たのは、普通の人にはとても真似の出来ないようなライフスタイルを実行したからこそ出来たので、かなりの努力をしないとこのような蓄えは出来ないでしょう。
「月額16万2千円ほど」の年金しかもらっていないのだが、一人暮らしとはいえ、車を持ち、ボーリングに「月2万近く」使いながら「月に5万くらい残す」と言う生活は、子供の頃からお金に不自由してきた事で身に付いた「倹約精神」のおかげで出来る事で、現代人にはかなりハードルが高いのではないだろうか。
それにしても、近年の不景気で職を失い、生活が困窮している人をテレビなどでよく見かけるのだが、私に言わせれば「そんなやり方をしていれば生活が苦しくなるのは当たり前」としか思えないのです。
昔であれば極当たり前に行われていた事が忘れられ、なんでもお金を払って済ませようとするからお金が足りなくなるのであって、お金がなくても何とか遣り繰りが出来た昔を見習うべきだと思うのですが・・・・。
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