(1981/マーク・ライデル監督/ヘンリー・フォンダ、キャサリン・ヘプバーン、ジェーン・フォンダ、ダグ・マッケオン、ダブニー・コールマン、クリス・ライデル/110分)
封切時から観たかった映画だけど、老夫婦と中年の娘が主人公という地味な題材のせいかTVでもなかなか放送されず、レンタルも後回しになってしまい、25年目にしてやっと観ることになりました。“秋にお薦め”アンケートの中の一作でもあります。
「女狐(1967)」、「華麗なる週末(1968)」などのマーク・ライデルがオスカー監督賞候補になり、双葉先生の評価も☆☆☆☆(80点)ととてもよろしかった作品。アーネスト・トンプソンの書いた戯曲が原作で、映画の脚本も彼が書いています。【原題:on Golden pond】
元大学教授のノーマン・セイヤー(ヘンリー)と妻のエセル(ヘプバーン)が、今年もニューイングランドの湖畔の別荘にやって来る。季節は夏から秋に変わる頃で、もうすぐ80歳の誕生日を迎えるノーマンは、最近は物忘れが激しくなっている。いちご摘みに一人で出かけても、途中で道に迷ってしまい、そんな自分に腹がたつほどだった。
子供はチェルシー(ジェーン)というバツイチの娘が一人。孫は居ない。
チェルシーとノーマンは折り合いが悪く、チェルシーはなかなか家にも寄りつかないが、今年は別荘に恋人を連れて来ると言う。毒舌家で威圧的だった父親ノーマンの前で、子供の頃のチェルシーは萎縮し、顔色を窺ってばかりいたようだ。エセルはノーマンの深い愛情を理解していたが、チェルシーとノーマンはわだかまりを持ったまま年を重ねてきた。
チェルシーの新しい恋人はビル・レイという歯科医(コールマン)。彼もバツイチで、ビリー(マッケオン)という12歳の男の子のシングル・ファーザーでもあった。
数年ぶりに会うチェルシーとノーマンはやはりぎこちなかった。その気持ちは主にチェルシーの方に見られた。この別荘に来ると、子供の頃の気持ちが甦ってくるのだ。大嫌いなノーマン。
チェルシーから聞かされた通りのノーマンの毒舌の洗礼を受けるビルだったが、チェルシーとの結婚を考えていた彼はなんとか平静を保った。
その夜、エセルはチェルシーからひと月ビリーを預かってもらえないかと頼まれる。ビルと仕事でヨーロッパに行くことになり、慣れない外国はビリーには辛いだろうからというのである。
翌日、気持ちよく二人を見送ったビリーだったが、内心は厄介払いをされた気分だった。そんなビリーの為にエセルは三人での魚釣りを提案するのだが・・・。
主な登場人物は五人ですが、中盤以降はノーマンとビリーとの交流が描かれ、エセルを含めた三人のエピソードが続きます。
80歳のノーマンは12歳のビリーとのやりとりにより、少女時代のチェルシーとのふれ合いを思い出す。かつてチェルシーにもそうしたようにビリーに魚釣りを教えるノーマン。その態度は聞きようによっては威圧的に感じるし、多分チェルシーは黙り込んでしまっただろう。しかし、ビリーは『そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ』と返答する。思わず『すまん』と謝るノーマン。
はたしてチェルシーにとって自分は良い父親であったのか。
実際にも確執があったと言われたヘンリー・フォンダと実の娘ジェーン・フォンダが親子役で共演し、しかもその共演を企画したのがジェーンだということでも話題になりました。
2005年に収録された「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で、ゲストとして登場したジェーン・フォンダがこの映画についても語っていました。
ジェーンが12歳の時に、鬱病を煩っていて入院中だった母親が自殺する。巷間伝えられる所では、それはヘンリーの浮気が原因だったが、それよりもジェーンにとってショックだったのは、母の死後三ヶ月で父親が再婚したことだった。以後、数十年もの間、ジェーンは過食症に悩むことになる。
父ヘンリーは、ジェーンがアクターズ・スタジオで学んだ“演技メソッド”にも興味を示さず、女優として活躍していても父親との確執は「黄昏」の撮影中にも続いていた。
俳優ヘンリー・フォンダは、アドリブを嫌い、リハーサル通りに本番を演じる人だった。
「黄昏」の終盤、ノーマンがビリーと仲良くしているのを見たチェルシーは、彼がただの偏屈者ではない事を知り、『仲直りする時間は残り少ないのよ』というエセルの言葉に、父親との絆を結ぼうと努力する。
『友達になりたいの』
チェルシーのその台詞の時に、ジェーンはリハーサルにはなかったが、思わず“ヘンリーの腕を掴みながら”喋ってしまう。リハーサルにないジェーンの動作に動揺したのか、それとも現実との境を見失ったのか、次の瞬間ヘンリーはうつむいて泣き出してしまう。映画ではうつむいた瞬間にカットが切り替わるので涙は見えないが、確かに次のノーマンのカットとの繋がりは少しおかしい。疎遠だった親子の絆が仕事の最中に再生したわけだ。
ジェーンはその直前のチェルシーの涙のシーンで、リハーサルでは出せていた涙が本番で出なくなる。自身の出演シーンがないにも関わらず、その時物陰からジェーンにエールを送ってくれたのがキャサリン・ヘプバーンだった。
名優ヘンリー・フォンダは、これで初めてアカデミー賞主演男優賞を獲るが、82年4月の授賞式には出席できず、娘が代理でオスカー像を受け取る。その年の8月、ヘンリーは永眠した。77歳だった。

1981年度のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞(ジェーン)、撮影賞(ビリー・ウィリアムズ)、作曲賞(デイヴ・グルーシン)等にノミネートされ、主演男優賞、主演女優賞(ヘプバーン)、脚色賞を受賞しました。
因みにヘプバーンは4度目の主演オスカー受賞でした。
封切時から観たかった映画だけど、老夫婦と中年の娘が主人公という地味な題材のせいかTVでもなかなか放送されず、レンタルも後回しになってしまい、25年目にしてやっと観ることになりました。“秋にお薦め”アンケートの中の一作でもあります。
「女狐(1967)」、「華麗なる週末(1968)」などのマーク・ライデルがオスカー監督賞候補になり、双葉先生の評価も☆☆☆☆(80点)ととてもよろしかった作品。アーネスト・トンプソンの書いた戯曲が原作で、映画の脚本も彼が書いています。【原題:on Golden pond】
*

子供はチェルシー(ジェーン)というバツイチの娘が一人。孫は居ない。
チェルシーとノーマンは折り合いが悪く、チェルシーはなかなか家にも寄りつかないが、今年は別荘に恋人を連れて来ると言う。毒舌家で威圧的だった父親ノーマンの前で、子供の頃のチェルシーは萎縮し、顔色を窺ってばかりいたようだ。エセルはノーマンの深い愛情を理解していたが、チェルシーとノーマンはわだかまりを持ったまま年を重ねてきた。
チェルシーの新しい恋人はビル・レイという歯科医(コールマン)。彼もバツイチで、ビリー(マッケオン)という12歳の男の子のシングル・ファーザーでもあった。
数年ぶりに会うチェルシーとノーマンはやはりぎこちなかった。その気持ちは主にチェルシーの方に見られた。この別荘に来ると、子供の頃の気持ちが甦ってくるのだ。大嫌いなノーマン。
チェルシーから聞かされた通りのノーマンの毒舌の洗礼を受けるビルだったが、チェルシーとの結婚を考えていた彼はなんとか平静を保った。
その夜、エセルはチェルシーからひと月ビリーを預かってもらえないかと頼まれる。ビルと仕事でヨーロッパに行くことになり、慣れない外国はビリーには辛いだろうからというのである。
翌日、気持ちよく二人を見送ったビリーだったが、内心は厄介払いをされた気分だった。そんなビリーの為にエセルは三人での魚釣りを提案するのだが・・・。
主な登場人物は五人ですが、中盤以降はノーマンとビリーとの交流が描かれ、エセルを含めた三人のエピソードが続きます。
80歳のノーマンは12歳のビリーとのやりとりにより、少女時代のチェルシーとのふれ合いを思い出す。かつてチェルシーにもそうしたようにビリーに魚釣りを教えるノーマン。その態度は聞きようによっては威圧的に感じるし、多分チェルシーは黙り込んでしまっただろう。しかし、ビリーは『そんなに大きな声を出さなくても聞こえてるよ』と返答する。思わず『すまん』と謝るノーマン。
はたしてチェルシーにとって自分は良い父親であったのか。
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実際にも確執があったと言われたヘンリー・フォンダと実の娘ジェーン・フォンダが親子役で共演し、しかもその共演を企画したのがジェーンだということでも話題になりました。
2005年に収録された「アクターズ・スタジオ・インタビュー」で、ゲストとして登場したジェーン・フォンダがこの映画についても語っていました。
ジェーンが12歳の時に、鬱病を煩っていて入院中だった母親が自殺する。巷間伝えられる所では、それはヘンリーの浮気が原因だったが、それよりもジェーンにとってショックだったのは、母の死後三ヶ月で父親が再婚したことだった。以後、数十年もの間、ジェーンは過食症に悩むことになる。
父ヘンリーは、ジェーンがアクターズ・スタジオで学んだ“演技メソッド”にも興味を示さず、女優として活躍していても父親との確執は「黄昏」の撮影中にも続いていた。
俳優ヘンリー・フォンダは、アドリブを嫌い、リハーサル通りに本番を演じる人だった。
「黄昏」の終盤、ノーマンがビリーと仲良くしているのを見たチェルシーは、彼がただの偏屈者ではない事を知り、『仲直りする時間は残り少ないのよ』というエセルの言葉に、父親との絆を結ぼうと努力する。
『友達になりたいの』
チェルシーのその台詞の時に、ジェーンはリハーサルにはなかったが、思わず“ヘンリーの腕を掴みながら”喋ってしまう。リハーサルにないジェーンの動作に動揺したのか、それとも現実との境を見失ったのか、次の瞬間ヘンリーはうつむいて泣き出してしまう。映画ではうつむいた瞬間にカットが切り替わるので涙は見えないが、確かに次のノーマンのカットとの繋がりは少しおかしい。疎遠だった親子の絆が仕事の最中に再生したわけだ。
ジェーンはその直前のチェルシーの涙のシーンで、リハーサルでは出せていた涙が本番で出なくなる。自身の出演シーンがないにも関わらず、その時物陰からジェーンにエールを送ってくれたのがキャサリン・ヘプバーンだった。
名優ヘンリー・フォンダは、これで初めてアカデミー賞主演男優賞を獲るが、82年4月の授賞式には出席できず、娘が代理でオスカー像を受け取る。その年の8月、ヘンリーは永眠した。77歳だった。

1981年度のアカデミー賞では、作品賞、監督賞、助演女優賞(ジェーン)、撮影賞(ビリー・ウィリアムズ)、作曲賞(デイヴ・グルーシン)等にノミネートされ、主演男優賞、主演女優賞(ヘプバーン)、脚色賞を受賞しました。
因みにヘプバーンは4度目の主演オスカー受賞でした。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 

まるでノーマンとチェルシーは、私の父と私のようだと思って公開時、
じっとスクリーンを凝視しておりました。
>アドリブを嫌い、リハーサル通りに
そういう役者さんだったんですねぇ~。
仕事もカッキリ、恋愛もノメ食って回りや後先考えずカッキリ(笑)、
家庭は作るが家庭人&夫&男である前に確固たる役者だった方なのかも・・・。
アーティストはたいていそういう要素は強いですね。
幼少からのジェーンの苦悩が彼女の目線の芝居で伺い知れました。
(でも似てるんですよね、この父娘は。似てるから、ぶつかる。^^)
で、キャサリン・ヘプバーンよねぇ~。
若い頃は特に感じませんでしたが近年彼女の良さ・魅力がたまらなく好きです。
「旅情」「招かれざる客」を先月再見しましたわ。
「アフリカの女王」も近日観るつもり。
いつも素敵なレヴュー、十瑠さん、ありがと。
>まるでノーマンとチェルシーは、私の父と私のようだと思って・・・
そうですか。
そういう映画って忘れられないですよね。
本記事では、映画のストーリーや裏話ばっかり書いてしまいましたが、俳優でもあるマーク・ライデルの演出は心理描写がきめ細かくて、上質なTVドラマを観ているようでした。原題にもある湖や水鳥の風景などの自然描写はTVドラマ以上ですけどね。
当時、40代だったジェーンの肉体美も、さすがワークアウトの女王だなと思いました。
ヘプバーンには後日談があって、4度目の受賞が決まった後、ジェーンに電話をかけてきたらしいです。
2度オスカーを獲っていたジェーンに、『これで、もう追いつけないでしょ。』って。
ヘプバーンの声色で話すジェーンも素敵でした。
なんだかまた観てみたくなったなあ…。
親と子の間の確執って、大なり小なり誰にでもあるものですよね。でも、この映画のようにフィクションと現実が混然となって、それが氷解していくのを目の当たりにすると、「やっぱり映画っていいものですね」とつぶやきたくなります(笑)。
それにしても、ヘプバーンのエピソードは素敵過ぎる(涙)。
季節はまさしく秋。それなのに湖で泳ぐ彼らって・・・。
アングロサクソンは寒さに強いんだなぁ、と思いながら観てました。^^
親子、兄弟って、ドラマの宝庫ですよね。
ジェーンのインタビュー番組も録画していたので、色々と参考になりました。
ついでに、そのインタビューからトリビアを。
小さい頃、お父さんに付き合って色んなスターとも逢ったジェーンですが、グレタ・ガルボとはスッポンポンで泳いだこともあったとか。
『ガルボ、マイケル・ジャクソンと裸で泳いだことのあるのは、私くらいよね。』
ところで、余韻に浸っている私の前を通りがかった大学生らしきグループの一人がしたり顔で「動きがない映画だな」とポツリ。
心の中で「あんたは何を見ていたの? 心があんなに動いているじゃないか」と反駁しましたよ。
基礎中の基礎が理解していないで、何をかいわんや。
映画館で経験した少なからぬ思い出の中でもこの発言は強烈に印象に残っていますね。
池袋文芸坐で私の足に勝手につまずいたヤクザに絡まれたのは怖い思い出ですが。^^;
映画は一人で観るものと決めていましたので、デート以外はほとんど一人でした。
特にこういう映画は、一人じゃないと、涙が流せませんからね。
池袋文芸座は、確かちょっと旧い名画をかけるところだったように覚えています。何度か行った気がしますね。
ヤーさんですか!
それは恐い。
私は、渋谷の映画館で、ゲイさんに迫られそうになった思い出があります。^^;
ぼかぁ、十瑠さんの記事のあったことも、自分がコメントしたことも、すっかり忘れておりました。
多分90年代に一度衛星放送で再鑑賞していると思いますが、20年ぶりくらいに観てもやはり逸品でしたなあ。
80年代初頭の頃と違って、相次いで亡くなった両親のことが脳裏をかすめました。
わが両親も正にこの夫婦のようだったと思い、映画の実力は変わった印象はありませんが、益々じーんとしました。
父親もあと半年生きればこの老人と同じ満80歳でした。早く結婚したから子供の年齢の割に若いのです。
映画では、心配させつつ最後までヘンリーさん死んでしまわなかったですが、翌年に77歳で。
博士のお父上も同じくらいに亡くなられたんですか。
あと数十年。僕らも悔いなく生きたいですなぁ。