(1985/ウディ・アレン監督・脚本/ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルズ、ダニー・アイエロ、エド・ハーマン、ダイアン・ウィースト/82分)
ウディ・アレンお得意のレトロな時代のお話。
不況が続く30年代。無職のくせに遊んでばっかりの大男を亭主を持つシシリア(ファロー)は映画が大好き。今週から始まる「カイロの紫のバラ【原題:THE PURPLE ROSE OF CAIRO 】」には、ご贔屓の男優ギル・シェファード(ダニエルズ)も出演していて、アフリカやニューヨークを舞台にしたロマンチックな話らしい。
シシリアの仕事は町のレストランのウェイトレス。姉に紹介されて一緒に働いているが、いつも映画のことばかり考えていて注文を間違えたり食器を落としたり。店主にはいつも怒られている。
今日も今日とて、レストランの帰りに余所の家の洗濯物を預かって家に向かっていると、遊んでいる亭主につかまり小銭を取り上げられる。シシリアが映画に誘っても、『よく飽きもせず何時間も座っていられるな』と相手にしてくれないので、今夜は独りで「カイロ・・」を見に行くことにする。
あまりの面白さに翌日も姉を誘って見に行くが、家に帰ると亭主は女を連れ込んでいて、怒ったシシリアは荷物をまとめて家出をする。夜の町は人通りも少なく、世間の風は冷たそうだ。一晩も保たずに、亭主の予言通りすごすごと帰ってくる彼女であった。
翌日、接客中に又してもお皿を落としたシシリアに、ついに堪忍袋が爆発した店主はクビを言い渡す。泣き泣き家路につくシシリア。彼女の心を癒してくれるのは映画だけ。赤く眼を腫らしながらその日も「カイロ・・・」を見る。早く帰ると仕事を失ったのが亭主にばれるので、シシリアは何度も見る。
と、その日3回目を見ていると、ギル演じる冒険家トム・バクスターが突然スクリーンの向こうからシシリアに向かって話しかけてくる。
『この映画が好きなんだね。もう、5回も見ている』
『・・ 私?』と問い返すシシリア。
『そうだよ』スクリーンから抜け出すトム。それを見て失神するご婦人。
『君と話がしたい』トムはシシリアにそう語りかけるのだった・・・。
一昨年に見た「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ(2004)」では、しんちゃん達が映画の中に取り込まれちゃうけど、コチラはスクリーンの中の登場人物が『何回も同じことをやっているのに飽きちゃった』と、現実世界に飛び出してくる話。ファンタジーですな。
トムはシシリアに惚れたと言い、何処かへ行こうと彼女の手を取る。二人は映画館を飛び出して今は閉園している遊園地へ行く。そして、トムが居なくなったスクリーンではストーリーが進まず、場面はその時のままで、他の出演者は困り果てる、てな具合。映画館の客は話が進まないので怒り出し、スクリーンの登場人物は観客席にやって来た館主にトムを探してくれと頼む。
スクリーンの向こう側もこっち側も真面目にしゃべっているので面白いんだが、“何でもあり状態”の実写版のファンタジーは一歩間違うと白けてしまう。「バガー・ヴァンスの伝説」の謎のキャディのように、ファンタジックな登場人物は準主役レベルに止めて置いた方がいいような気がするなぁ。「ゴースト/ニューヨークの幻(1990)」、「天国から来たチャンピオン(1978)」の主人公も超自然的な存在だったけど、アレは現実の拡大版みたいなもんで、トムのような架空の人物とは違う。トムがシシリアの相手役という重要な立場なのでちょっと引きながら見ておりました。そして、シシリアのドジさ加減は許すとしても、仕事中にぺちゃくちゃお喋りして、真摯に働く姿勢が見えないので彼女にもそれ程同情心が湧かない。そういうのを合わせて★が一つ飛んでいきました。
オールドファッションなBGM(音楽:ディック・ハイマン)は心地よく、アカデミー賞にノミネートされ、NY批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞を獲ったアレンの脚本は相変わらず構成が巧い。シシリアがもう少ししっかりしていれば、あんなほろ苦い終わり方ではなく、ハッピー・エンドを予感させてくれたんでしょうけどねぇ。
▼(ネタバレ注意)
トム・バクスターは他の映画館でも台詞を忘れるなどのトラブルを起こしていて、作った映画会社の幹部も頭を抱える。演じたギルにも、『何とかしないと、君のキャリアにも傷が付くし、今後にもマイナスだ』と圧力がかかる。仕方なくギルはシシリアの住む町にトムを探しにやって来て、偶然シシリアと出逢い、彼女がトムの居所を知っていることを知る。
元々ギルのファンだったシシリア。彼女と話をしている間にギルもシシリアに惹かれ、シシリアの事をフィアンセとまで呼ぶようになったトムと三角関係になってしまう。
さて、シシリアはどっちの男性を選ぶのか?
お伽話らしいエピソードを。
レストランでシシリアと食事をするトム。しかし、現実世界ではトムが持っていたお札は偽物であり、文無しの二人は店を逃げ出す。店の前に留めてあった車に乗り込む二人。ハンドルを掴むトム。『アレッ、動かないネ?』『(コチラでは)キーが無いとダメなのよ!』
その後、もう一度トムがシシリアを食事を誘うシーンがある。『だけど、あなたもお金が無いでしょ』というシシリアの手を引いて彼が向かったのが、映画館の中。今度はシシリアがスクリーンの中に入って行き、映画の中のレストランで食事をする。シャンパンのつもりで飲んだらジンジャエールだったというのは、トムのお札の裏返しで笑える。
シシリアと遊園地で甘~いキスをするトム。その頃の映画ではこういうシーンでは画面が暗くなって終わるのが普通。
『アレッ? フェイドアウトしないね?』
『あたしのハートがフェイドアウトしたわ』
さて、映画の中だけの架空の人物、詩人で冒険家のトム・バクスターは何故自分の意志を持ったのでしょうか? ギルの神憑り的な演技力のなせる技とか、いい加減に演じたからとか、そんな事でもない。結局、最後までその辺りについては問いかけもされません。
夢は夢で終わるのが真っ当、と言わんばかりの苦いラストはトムの背景が空疎なままだったからでしょうか。おかげで作品自体にも“小品”のイメージがついてしまいました。
ラストシーン。悲しい気持ちで映画館の椅子に座るシシリア。既に「カイロ・・・」は終了し、彼女が見つめるスクリーンでは次の映画が流れていた。フレッド・アスティア&ジンジャー・ロジャース主演の「トップ・ハット(1935)」。流れてくる歌はオープニングのタイトルバックと同じく、アスティアの「♪Cheek to Cheek」。ここでは華麗なダンス・シーンと共に流れてくる。
♪Heaven, I'm in Heaven・・・
暗く途方に暮れていたシシリアの頬が少しずつ赤らみ、瞳が輝いてくる。それは、自分でも気付かない間に、まるで映画の魔法にかかったように・・・。ミア・ファローの名演技。
▲(解除)
ウディ・アレンお得意のレトロな時代のお話。
不況が続く30年代。無職のくせに遊んでばっかりの大男を亭主を持つシシリア(ファロー)は映画が大好き。今週から始まる「カイロの紫のバラ【原題:THE PURPLE ROSE OF CAIRO 】」には、ご贔屓の男優ギル・シェファード(ダニエルズ)も出演していて、アフリカやニューヨークを舞台にしたロマンチックな話らしい。
シシリアの仕事は町のレストランのウェイトレス。姉に紹介されて一緒に働いているが、いつも映画のことばかり考えていて注文を間違えたり食器を落としたり。店主にはいつも怒られている。
今日も今日とて、レストランの帰りに余所の家の洗濯物を預かって家に向かっていると、遊んでいる亭主につかまり小銭を取り上げられる。シシリアが映画に誘っても、『よく飽きもせず何時間も座っていられるな』と相手にしてくれないので、今夜は独りで「カイロ・・」を見に行くことにする。
あまりの面白さに翌日も姉を誘って見に行くが、家に帰ると亭主は女を連れ込んでいて、怒ったシシリアは荷物をまとめて家出をする。夜の町は人通りも少なく、世間の風は冷たそうだ。一晩も保たずに、亭主の予言通りすごすごと帰ってくる彼女であった。
翌日、接客中に又してもお皿を落としたシシリアに、ついに堪忍袋が爆発した店主はクビを言い渡す。泣き泣き家路につくシシリア。彼女の心を癒してくれるのは映画だけ。赤く眼を腫らしながらその日も「カイロ・・・」を見る。早く帰ると仕事を失ったのが亭主にばれるので、シシリアは何度も見る。
と、その日3回目を見ていると、ギル演じる冒険家トム・バクスターが突然スクリーンの向こうからシシリアに向かって話しかけてくる。
『この映画が好きなんだね。もう、5回も見ている』
『・・ 私?』と問い返すシシリア。
『そうだよ』スクリーンから抜け出すトム。それを見て失神するご婦人。
『君と話がしたい』トムはシシリアにそう語りかけるのだった・・・。
一昨年に見た「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ(2004)」では、しんちゃん達が映画の中に取り込まれちゃうけど、コチラはスクリーンの中の登場人物が『何回も同じことをやっているのに飽きちゃった』と、現実世界に飛び出してくる話。ファンタジーですな。
トムはシシリアに惚れたと言い、何処かへ行こうと彼女の手を取る。二人は映画館を飛び出して今は閉園している遊園地へ行く。そして、トムが居なくなったスクリーンではストーリーが進まず、場面はその時のままで、他の出演者は困り果てる、てな具合。映画館の客は話が進まないので怒り出し、スクリーンの登場人物は観客席にやって来た館主にトムを探してくれと頼む。
スクリーンの向こう側もこっち側も真面目にしゃべっているので面白いんだが、“何でもあり状態”の実写版のファンタジーは一歩間違うと白けてしまう。「バガー・ヴァンスの伝説」の謎のキャディのように、ファンタジックな登場人物は準主役レベルに止めて置いた方がいいような気がするなぁ。「ゴースト/ニューヨークの幻(1990)」、「天国から来たチャンピオン(1978)」の主人公も超自然的な存在だったけど、アレは現実の拡大版みたいなもんで、トムのような架空の人物とは違う。トムがシシリアの相手役という重要な立場なのでちょっと引きながら見ておりました。そして、シシリアのドジさ加減は許すとしても、仕事中にぺちゃくちゃお喋りして、真摯に働く姿勢が見えないので彼女にもそれ程同情心が湧かない。そういうのを合わせて★が一つ飛んでいきました。
オールドファッションなBGM(音楽:ディック・ハイマン)は心地よく、アカデミー賞にノミネートされ、NY批評家協会賞、ゴールデン・グローブ賞を獲ったアレンの脚本は相変わらず構成が巧い。シシリアがもう少ししっかりしていれば、あんなほろ苦い終わり方ではなく、ハッピー・エンドを予感させてくれたんでしょうけどねぇ。
▼(ネタバレ注意)
トム・バクスターは他の映画館でも台詞を忘れるなどのトラブルを起こしていて、作った映画会社の幹部も頭を抱える。演じたギルにも、『何とかしないと、君のキャリアにも傷が付くし、今後にもマイナスだ』と圧力がかかる。仕方なくギルはシシリアの住む町にトムを探しにやって来て、偶然シシリアと出逢い、彼女がトムの居所を知っていることを知る。
元々ギルのファンだったシシリア。彼女と話をしている間にギルもシシリアに惹かれ、シシリアの事をフィアンセとまで呼ぶようになったトムと三角関係になってしまう。
さて、シシリアはどっちの男性を選ぶのか?
お伽話らしいエピソードを。
レストランでシシリアと食事をするトム。しかし、現実世界ではトムが持っていたお札は偽物であり、文無しの二人は店を逃げ出す。店の前に留めてあった車に乗り込む二人。ハンドルを掴むトム。『アレッ、動かないネ?』『(コチラでは)キーが無いとダメなのよ!』
その後、もう一度トムがシシリアを食事を誘うシーンがある。『だけど、あなたもお金が無いでしょ』というシシリアの手を引いて彼が向かったのが、映画館の中。今度はシシリアがスクリーンの中に入って行き、映画の中のレストランで食事をする。シャンパンのつもりで飲んだらジンジャエールだったというのは、トムのお札の裏返しで笑える。
シシリアと遊園地で甘~いキスをするトム。その頃の映画ではこういうシーンでは画面が暗くなって終わるのが普通。
『アレッ? フェイドアウトしないね?』
『あたしのハートがフェイドアウトしたわ』
さて、映画の中だけの架空の人物、詩人で冒険家のトム・バクスターは何故自分の意志を持ったのでしょうか? ギルの神憑り的な演技力のなせる技とか、いい加減に演じたからとか、そんな事でもない。結局、最後までその辺りについては問いかけもされません。
夢は夢で終わるのが真っ当、と言わんばかりの苦いラストはトムの背景が空疎なままだったからでしょうか。おかげで作品自体にも“小品”のイメージがついてしまいました。
ラストシーン。悲しい気持ちで映画館の椅子に座るシシリア。既に「カイロ・・・」は終了し、彼女が見つめるスクリーンでは次の映画が流れていた。フレッド・アスティア&ジンジャー・ロジャース主演の「トップ・ハット(1935)」。流れてくる歌はオープニングのタイトルバックと同じく、アスティアの「♪Cheek to Cheek」。ここでは華麗なダンス・シーンと共に流れてくる。
♪Heaven, I'm in Heaven・・・
暗く途方に暮れていたシシリアの頬が少しずつ赤らみ、瞳が輝いてくる。それは、自分でも気付かない間に、まるで映画の魔法にかかったように・・・。ミア・ファローの名演技。
▲(解除)
・お薦め度【★★★★=ファンタジーと断ってから、友達にも薦めて】
僕はこの劇場版アニメのシリーズを3作くらいしか観ていないのですが、古い映画にオマージュを捧げている作品が他にもあるのではないかと思わされます。なかなか侮れませんね。
>苦いラスト
アレンが、映画の本質を表現したかった故だと思いましたね。
幕切れのミアの表情がその象徴なのでしょう。
息子は巣立っていきましたから、流石にもうTVで観る事はないですがネ。
>ミアの表情
最近はどうしてるんでしょうね?
「ハンナとその姉妹」が観たいのに、近くの二つのレンタルショップにはどちらもありませんでした。随分前にはあったようなはずなのに・・・。