(2007/ジョー・ライト監督/キーラ・ナイトレイ(=セシーリア・タリス)、ジェームズ・マカヴォイ(=ロビー・ターナー)、シアーシャ・ローナン(=ブライオニー・タリス13歳))、ロモーラ・ガライ(=ブライオニー・タリス18歳))、ヴァネッサ・レッドグレーヴ(=ブライオニー・タリス老年))、ブレンダ・ブレシン(=グレイス・ターナー)、パトリック・ケネディ(=リーオン・タリス)、ベネディクト・カンバーバッチ(=ポール・マーシャル)、ジュノー・テンプル(=ローラ・クィンシー)、アンソニー・ミンゲラ(=インタビュアー)/123分)
デビュー作「プライドと偏見」で注目したジョー・ライト監督の2作目をレンタルDVDにて鑑賞。他の方の記事を読むと概ね前作より好評な感想が多いけれど、天の邪鬼な私は(いやいや、そういうことではなくて、正味)「プライドと偏見」の方が映画として纏まっていると感じたし、好きです。
<英国を代表する作家の一人、イアン・マキューアンの傑作『贖罪』>を映画化したものとのこと。この小説は未読で、「自負と偏見」は既読。そういう違いも評価に影響を与えたかも知れないし、ストーリー自体がコチラの方が複雑で、大河ドラマの様相を呈しているので把握が難しいというのも関係しているのかも。
時は1935年の夏。イングランドの上流階級の家の次女で、将来は作家が志望のブライオニー・タリス(13歳)が主人公。
ブライオニーには姉のセシーリアと、もうすぐ帰省してくる兄リーオンがいて、夏休みの彼女の家には少々年長の従姉妹のローラと彼女の双子の弟達も来ていた。
ブライオニーは使用人の息子ロビー・ターナーに密かな憧れを持っており、成績優秀なロビーは彼女の父親の支援によりセシーリアと同じケンブリッジ大学を卒業、将来は医学の道に進もうとしていた。ブライオニーはセシーリアがロビーと口をきかないのを不思議に思っていたが、ふと窓辺から見かけたセシーリアとロビーの様子に二人がただならぬ関係であると考えるようになる。
リーオンと彼の友人のポールの歓迎会を兼ねた晩餐会の夜、図書室で姉がロビーに組み伏せられているのを目撃したブライオニーは、慌てて二人が離れるのを見て自分は姉の窮地を救ったと思った。その少し前、ロビーに頼まれ盗み見した彼の姉への手紙の破廉恥な内容にも合致した行為に思えたからだ。
“姉は色情狂のロビーの餌食になろうとしていたに違いない。”
その夜、家出した双子の弟を皆で探すうちにローラが何者かに乱暴されている現場に遭遇し、やって来た警察に、ブライオニーは犯人はロビーであると証言する。明確に犯人の顔を見たわけではないが、彼女の中では既にロビーは唾棄すべき人間だったし、ローラも犯人がロビーであることに反論しなかったからだ。
ロビーは刑務所に入ることになり、その3年半後、刑期を全うする替わりに、ナチスドイツに侵攻されたフランスに出征する。
ロビーの無実を信じるセシーリアは事件の後、家を出、看護婦となって出征前のロビーと再会、家族の重大な過失を謝り、ロビーへの変わらぬ愛を誓う。二人は互いに片想いを育みながら、あの夜、初めて告白しあっていたのだった。
自分の証言で姉とロビーの運命が変わったことに自責の念を覚えたブライオニーも、大学進学を諦めて看護婦となり、セシーリアとロビーに会って罪を贖おうとするのだが・・・。【原題:ATONEMENT】
観ていて思い出した映画が二つ。
一つはジョセフ・ロージーの「恋」。イングランドの風景と、階級差のある男女の恋の難しさ、そして子供と大人の葛藤。ラストで数十年後のエピローグが語られるのも似ているし、不安をかき立てるようなBGMの使い方も似ていました。
もう一つは邦画の「ゆれる」。嘘か間違いか分からぬ事件の証言が、当事者のその後の運命を大きく変える。「ゆれる」は最初から嘘の証言でしたが、これはどっちなんでしょう。嘘プラス思い込みでしょうか。
ブライオニーは、連行されていくロビーにセシーリアが別れを惜しんでいるのを見て、自分の過ちに薄々気付いたに違いありませんが、彼女がいつ頃ソレを確信したのかは映画ではハッキリ出てこなかったような気がします。
ローラを乱暴したのはロビーとブライオニーが証言して、警察も待ちかまえている屋敷にロビーが双子の男の子を連れて戻って来る。この時点でロビーが犯人でないことは明白なのに、ブライオニーの証言が決め手となって、そのままロビーは警察の車に乗せられてしまう。どなたかの記事にもあったけど、ここには裏に上流階級のエゴが感じられるシークエンスです。警察を呼んだ手前、誰かを犯人にしなければ面子が立たない。そんな思惑があったものと思われますが、この辺について、映画は詳しく語ってないし、その後に発生しただろう、セシーリアと母親とブライオニーの葛藤も描かれない。
省略と言ってしまえばそうだけれど、例えば私の好きなウィリアム・ワイラー監督だったら、もう少し描いていたような気がするんですよね。
18歳になったブライオニーは、ローラと犯人が婚約をしたことで、13歳の時に目撃した相手の顔をハッキリと思い出す。ここなど完全に「ゆれる」風でしたな。
全体を通して心理劇の感覚なんですが、中盤では、前線にかり出されたロビーの戦場でのエピソードも重厚に描かれているし、病院で働くブライオニーの様子も描かれる。長期に渡る人間ドラマとブライオニーの内面の移り変わりとが入り交じって、一個の作品としてはもう一工夫あった方が良いような気もするのですが如何でしょうか? 大河ドラマに徹するとか、ブライオニーの人生を掘り下げるとか・・。
印象に残ったショットがありました。
フランスで辛うじて戦火を免れたロビーと二人の仲間が、ようやくドーバー海峡を臨む浜辺の町で連合軍と合流するシーンでの、どうやって撮影したんだろうと驚くほどの長いワンショット。あれは、CGか何かの編集によってワンショットに見せたんですかねぇ? 良く分からないけど、凄いショットでした。
好きなシーンは、看護婦となったセシーリアとロビーとの再会シーン。
面会所のカフェで久しぶりに顔を合わす嬉しさと気まずさ。ためらいがちにテーブルで重ねられる手と外される手。コーヒーを飲もうと持ち上げたコーヒー・カップが口元で震え、思わずもう一方の手を添えるセシーリア。30分で帰らなければという彼女の言葉に驚くロビー。全ての間合いが、二人の切ない心情を憎いほどに表現していました。あのシーンを観るだけでも価値はありますな。
アメリカや本国イギリスのアカデミー賞などで沢山ノミネートされたようですが、米国では作曲賞(ダリオ・マリアネッリ)、英国では作品賞と美術賞(Katie Spencer、サラ・グリーンウッド)を受賞するにとどまったようです。
その他、ゴールデン・グローブでも多部門でノミネートされ、作品賞(ドラマ)と音楽賞(マリアネッリ)を獲得したとのこと。確かに、音楽は「あるスキャンダルの覚え書き」の様に効果的でした。
[5/10 追記]
本日、特典メニューの監督の解説付きバージョンを早廻しで鑑賞。
ブライオニーの心理の動きや例の長回しショットの手法等を調べたかったからですが、第一部のブライオニーの心理についてはほぼ合っていたと思います。
ブライオニーの偽証について、姉とロビーの関係に嫉妬したからと捉えた方が多いようですが、恋愛感情からの嫉妬というのは昔からよく使われた設定で陳腐すぎると思ってました。監督の解説も、噴水前の花瓶事件の時点でブライオニーにとってのロビーは(姉に暴力的な)悪者になったと言ってました。
その後の手紙や図書室の件でのブライオニーの心理については特に解説はなかったです。推測ですが、図書室の件の後のブライオニーには、身近だった姉が自分には理解不能な大人の領域に行ってしまい、しかもロビーも含めて自分を蔑ろにしている、それに対する復讐の感情も渦巻いていたのではないでしょうか。
早熟で想像力の豊かな少女の、複雑な心理が生んだ悲劇の序章ですね。
ダンケルクでの長回しは、ステディカムを使った1ショットでの撮影でした。冒頭ではゴルフカートも使ったりして、1000人規模のエキストラだったそうです。遠くに見えた観覧車は実物で、CGではありませんでした。
尚、背景の加工の為にこの映画でも色々とCG加工が施されたとのこと。破壊された工場は実際に稼働している製鉄工場をCGによって破壊されたように見せ、ロンドン市内のロケでは古さを出すための加工やら、街角の防犯カメラを消したりなどのCG処理が行われたようです。
※更なる追加記事はコチラ。
※プチ備忘録はコチラ。
デビュー作「プライドと偏見」で注目したジョー・ライト監督の2作目をレンタルDVDにて鑑賞。他の方の記事を読むと概ね前作より好評な感想が多いけれど、天の邪鬼な私は(いやいや、そういうことではなくて、正味)「プライドと偏見」の方が映画として纏まっていると感じたし、好きです。
<英国を代表する作家の一人、イアン・マキューアンの傑作『贖罪』>を映画化したものとのこと。この小説は未読で、「自負と偏見」は既読。そういう違いも評価に影響を与えたかも知れないし、ストーリー自体がコチラの方が複雑で、大河ドラマの様相を呈しているので把握が難しいというのも関係しているのかも。
*
時は1935年の夏。イングランドの上流階級の家の次女で、将来は作家が志望のブライオニー・タリス(13歳)が主人公。
ブライオニーには姉のセシーリアと、もうすぐ帰省してくる兄リーオンがいて、夏休みの彼女の家には少々年長の従姉妹のローラと彼女の双子の弟達も来ていた。
ブライオニーは使用人の息子ロビー・ターナーに密かな憧れを持っており、成績優秀なロビーは彼女の父親の支援によりセシーリアと同じケンブリッジ大学を卒業、将来は医学の道に進もうとしていた。ブライオニーはセシーリアがロビーと口をきかないのを不思議に思っていたが、ふと窓辺から見かけたセシーリアとロビーの様子に二人がただならぬ関係であると考えるようになる。
リーオンと彼の友人のポールの歓迎会を兼ねた晩餐会の夜、図書室で姉がロビーに組み伏せられているのを目撃したブライオニーは、慌てて二人が離れるのを見て自分は姉の窮地を救ったと思った。その少し前、ロビーに頼まれ盗み見した彼の姉への手紙の破廉恥な内容にも合致した行為に思えたからだ。
“姉は色情狂のロビーの餌食になろうとしていたに違いない。”
その夜、家出した双子の弟を皆で探すうちにローラが何者かに乱暴されている現場に遭遇し、やって来た警察に、ブライオニーは犯人はロビーであると証言する。明確に犯人の顔を見たわけではないが、彼女の中では既にロビーは唾棄すべき人間だったし、ローラも犯人がロビーであることに反論しなかったからだ。
ロビーは刑務所に入ることになり、その3年半後、刑期を全うする替わりに、ナチスドイツに侵攻されたフランスに出征する。
ロビーの無実を信じるセシーリアは事件の後、家を出、看護婦となって出征前のロビーと再会、家族の重大な過失を謝り、ロビーへの変わらぬ愛を誓う。二人は互いに片想いを育みながら、あの夜、初めて告白しあっていたのだった。
自分の証言で姉とロビーの運命が変わったことに自責の念を覚えたブライオニーも、大学進学を諦めて看護婦となり、セシーリアとロビーに会って罪を贖おうとするのだが・・・。【原題:ATONEMENT】
観ていて思い出した映画が二つ。
一つはジョセフ・ロージーの「恋」。イングランドの風景と、階級差のある男女の恋の難しさ、そして子供と大人の葛藤。ラストで数十年後のエピローグが語られるのも似ているし、不安をかき立てるようなBGMの使い方も似ていました。
もう一つは邦画の「ゆれる」。嘘か間違いか分からぬ事件の証言が、当事者のその後の運命を大きく変える。「ゆれる」は最初から嘘の証言でしたが、これはどっちなんでしょう。嘘プラス思い込みでしょうか。
ブライオニーは、連行されていくロビーにセシーリアが別れを惜しんでいるのを見て、自分の過ちに薄々気付いたに違いありませんが、彼女がいつ頃ソレを確信したのかは映画ではハッキリ出てこなかったような気がします。
ローラを乱暴したのはロビーとブライオニーが証言して、警察も待ちかまえている屋敷にロビーが双子の男の子を連れて戻って来る。この時点でロビーが犯人でないことは明白なのに、ブライオニーの証言が決め手となって、そのままロビーは警察の車に乗せられてしまう。どなたかの記事にもあったけど、ここには裏に上流階級のエゴが感じられるシークエンスです。警察を呼んだ手前、誰かを犯人にしなければ面子が立たない。そんな思惑があったものと思われますが、この辺について、映画は詳しく語ってないし、その後に発生しただろう、セシーリアと母親とブライオニーの葛藤も描かれない。
省略と言ってしまえばそうだけれど、例えば私の好きなウィリアム・ワイラー監督だったら、もう少し描いていたような気がするんですよね。
18歳になったブライオニーは、ローラと犯人が婚約をしたことで、13歳の時に目撃した相手の顔をハッキリと思い出す。ここなど完全に「ゆれる」風でしたな。
全体を通して心理劇の感覚なんですが、中盤では、前線にかり出されたロビーの戦場でのエピソードも重厚に描かれているし、病院で働くブライオニーの様子も描かれる。長期に渡る人間ドラマとブライオニーの内面の移り変わりとが入り交じって、一個の作品としてはもう一工夫あった方が良いような気もするのですが如何でしょうか? 大河ドラマに徹するとか、ブライオニーの人生を掘り下げるとか・・。
印象に残ったショットがありました。
フランスで辛うじて戦火を免れたロビーと二人の仲間が、ようやくドーバー海峡を臨む浜辺の町で連合軍と合流するシーンでの、どうやって撮影したんだろうと驚くほどの長いワンショット。あれは、CGか何かの編集によってワンショットに見せたんですかねぇ? 良く分からないけど、凄いショットでした。
好きなシーンは、看護婦となったセシーリアとロビーとの再会シーン。
面会所のカフェで久しぶりに顔を合わす嬉しさと気まずさ。ためらいがちにテーブルで重ねられる手と外される手。コーヒーを飲もうと持ち上げたコーヒー・カップが口元で震え、思わずもう一方の手を添えるセシーリア。30分で帰らなければという彼女の言葉に驚くロビー。全ての間合いが、二人の切ない心情を憎いほどに表現していました。あのシーンを観るだけでも価値はありますな。
アメリカや本国イギリスのアカデミー賞などで沢山ノミネートされたようですが、米国では作曲賞(ダリオ・マリアネッリ)、英国では作品賞と美術賞(Katie Spencer、サラ・グリーンウッド)を受賞するにとどまったようです。
その他、ゴールデン・グローブでも多部門でノミネートされ、作品賞(ドラマ)と音楽賞(マリアネッリ)を獲得したとのこと。確かに、音楽は「あるスキャンダルの覚え書き」の様に効果的でした。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】
[5/10 追記]
本日、特典メニューの監督の解説付きバージョンを早廻しで鑑賞。
ブライオニーの心理の動きや例の長回しショットの手法等を調べたかったからですが、第一部のブライオニーの心理についてはほぼ合っていたと思います。
ブライオニーの偽証について、姉とロビーの関係に嫉妬したからと捉えた方が多いようですが、恋愛感情からの嫉妬というのは昔からよく使われた設定で陳腐すぎると思ってました。監督の解説も、噴水前の花瓶事件の時点でブライオニーにとってのロビーは(姉に暴力的な)悪者になったと言ってました。
その後の手紙や図書室の件でのブライオニーの心理については特に解説はなかったです。推測ですが、図書室の件の後のブライオニーには、身近だった姉が自分には理解不能な大人の領域に行ってしまい、しかもロビーも含めて自分を蔑ろにしている、それに対する復讐の感情も渦巻いていたのではないでしょうか。
早熟で想像力の豊かな少女の、複雑な心理が生んだ悲劇の序章ですね。
ダンケルクでの長回しは、ステディカムを使った1ショットでの撮影でした。冒頭ではゴルフカートも使ったりして、1000人規模のエキストラだったそうです。遠くに見えた観覧車は実物で、CGではありませんでした。
尚、背景の加工の為にこの映画でも色々とCG加工が施されたとのこと。破壊された工場は実際に稼働している製鉄工場をCGによって破壊されたように見せ、ロンドン市内のロケでは古さを出すための加工やら、街角の防犯カメラを消したりなどのCG処理が行われたようです。
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