【フェイド】
<映画の句読的な手法。画面を次第に明るくしていってシーンを始めるフェイド・インや、画面を次第に暗くしていってシーンを転換させるフェイド・アウトがある。最近のカラー映画制作の発展とともに、ある色でフェイドする場合も多くなった>(「日誌≠映画」より)
「K'z Home Page」では【フェイド・イン/アウト】として、<何もない状態から映像がしだいに現れるのがフェイド・イン。映像が徐々に消えていくのがフェイド・アウト。サウンドについても同じように使われる効果のこと>と説明されています。
旧い映画やテレビドラマでよく使われた手法で、どなたも観られたことがあるでしょう。但し、最近はあまり見かけなくなった気がします。60~70年代以降、少しずつ使用頻度が下がってきたのではないでしょうか。
撮影時の手法ではなく、編集の時にフィルムに直接加工を加える技術だそうです。
“句読的な手法”であることに間違いはないです(“段落”と言った方が当たっているような気もします)が、それ以上に、前後のショットにある程度の時間的経過を感じさせるという効果があると思います。
昔のアメリカ製テレビドラマでは途中のCMに入る前にフェイド・アウトし、CMあけにフェイド・インしたものです。この場合、単純に放送上の句読点となっているものも多く、時間経過の意味は感じられない作り方もされていました。
スピルバーグの「激突!」が元々テレビ用に作られたというのは、このCM用のフェイドが時々入ることでも分かります。主人公の車がトレーラーに押されて走行中の列車にぶつけられそうになるシーンには、時間経過表現が不要なフェイドがあったように記憶しています。
60~70年代以降の使用頻度が下がったように感じるのは、フェイドを使わなくてもショットの工夫で時間経過が表現できることが分かったからではないでしょうか。観客側の慣れもあるのか、いきなり新しい場面のショットに切り替わっても意外についていける。ヌーヴェルバーグ当たりからそんな風に割り切って使われたようにも思いますが、一方で小津安二郎のようにサイレント時代から一切フェイド処理をしない監督さんもいたようです。
フェイドの見本としてのお薦め作品はヒッチコックの「裏窓」。双葉十三郎さんの本によると、三日間のドラマの中で17回も場面展開に使われたそうです。日本の作品では黒澤映画に多いように思います。
比較的新しい映画では、ジム・ジャームッシュ作品にフェイドがよく使われているようです。彼の場合はブラックアウト【blackout=暗転】と呼ぶ方が合っているようですが。
<映画の句読的な手法。画面を次第に明るくしていってシーンを始めるフェイド・インや、画面を次第に暗くしていってシーンを転換させるフェイド・アウトがある。最近のカラー映画制作の発展とともに、ある色でフェイドする場合も多くなった>(「日誌≠映画」より)
「K'z Home Page」では【フェイド・イン/アウト】として、<何もない状態から映像がしだいに現れるのがフェイド・イン。映像が徐々に消えていくのがフェイド・アウト。サウンドについても同じように使われる効果のこと>と説明されています。
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旧い映画やテレビドラマでよく使われた手法で、どなたも観られたことがあるでしょう。但し、最近はあまり見かけなくなった気がします。60~70年代以降、少しずつ使用頻度が下がってきたのではないでしょうか。
撮影時の手法ではなく、編集の時にフィルムに直接加工を加える技術だそうです。
“句読的な手法”であることに間違いはないです(“段落”と言った方が当たっているような気もします)が、それ以上に、前後のショットにある程度の時間的経過を感じさせるという効果があると思います。
昔のアメリカ製テレビドラマでは途中のCMに入る前にフェイド・アウトし、CMあけにフェイド・インしたものです。この場合、単純に放送上の句読点となっているものも多く、時間経過の意味は感じられない作り方もされていました。
スピルバーグの「激突!」が元々テレビ用に作られたというのは、このCM用のフェイドが時々入ることでも分かります。主人公の車がトレーラーに押されて走行中の列車にぶつけられそうになるシーンには、時間経過表現が不要なフェイドがあったように記憶しています。
60~70年代以降の使用頻度が下がったように感じるのは、フェイドを使わなくてもショットの工夫で時間経過が表現できることが分かったからではないでしょうか。観客側の慣れもあるのか、いきなり新しい場面のショットに切り替わっても意外についていける。ヌーヴェルバーグ当たりからそんな風に割り切って使われたようにも思いますが、一方で小津安二郎のようにサイレント時代から一切フェイド処理をしない監督さんもいたようです。
フェイドの見本としてのお薦め作品はヒッチコックの「裏窓」。双葉十三郎さんの本によると、三日間のドラマの中で17回も場面展開に使われたそうです。日本の作品では黒澤映画に多いように思います。
比較的新しい映画では、ジム・ジャームッシュ作品にフェイドがよく使われているようです。彼の場合はブラックアウト【blackout=暗転】と呼ぶ方が合っているようですが。
なんも大したことない映画だったけれどね。
ボワァァ~って"フェイドアウト"するのって
けっこう好きだったりする。
そうそう、【blackout=暗転】も好き。
男性の着てる黒っぽいスーツの背中で
切り替わったりしたヒッチおじさんの
「ロープ」みたいのも【暗転】の一種かしらね。(^^)
それは、「アメリカの夜」みたいな映画製作をテーマにした映画なんでしょうか?
って、調べたらサイコ映画マニアが、映画の真似をするっていうサイコパスの映画でした。
なんだか、サイコー! ってな訳にはいかなかったようですな。^^
フェイドとかブラックアウトとか、かえって今は目立つような気がしますね。
今は、デジタル処理で簡単に出来るのかな?
>男性の着てる黒っぽいスーツの背中で切り替わったりした・・・
ヒッチさん流の暗転なんでしょうね。
「北北西」の【マッチ・カット】といい、イマジネーションの豊富な人は、ホントにスンバラシイ
先日観た・・・トムさんが泣いて喜ぶ・・・「レッド・サン」では黒澤御大も好んだワイプが何箇所かで使われていました。
つまり、ロードムービー仕立てにつき絵づらの変化のない長いシークェンスが必然的に生じるので、純粋に時間経過を示しつつ場面の変わったことを示そうとしたわけです。
場面転換若しくは繋ぎの手法にはその他色々ありますが、それについてはこの辺で。
>「ロープ」
一本の映画を一つのカットで作ろうという無謀なアイデアが生んだ変則手法ですね。
「めまい」のトラックバック(映画用語)しながらズームアップで【めまい】を表現するアイデアも凄いですね。
本当に素晴らしいイマジネーションです。
CGがある今の作家は何でもできる代わりに他との差別化ができない、という不幸がありますね。
この辺りの手法の選択で作品のムードが結構左右されると思うんですが、徐々に個性的な作品が少なくなったような気がします。
他の要素の方に関心が高いようで。例えばCGの工夫とかですね
そうかそうか。
「ロープ」でしたね、ワンカットで作ろうとした映画は。
この映画も宿題だったなぁ。