ブラジル映画って珍しいし、なかなか彼方の情況も分からないので、気になることも沢山ありました。また、書ききれなかった事もありました。
以下、未見の方は“ネタバレ注意”です。
ドーラが店を開いているリオの駅内で、若者が盗みをするシーンがある。品物はよく分からないが、雑貨屋のような小売店の店頭に並べて置いてあるようなものだったので大して高価なものではないでしょう。店主の『泥ボー!』という声に防弾チョッキのようなものを着た警備員のような男が走って追いかける。そして、線路脇で追いつくと、『殺さないでくれ!』と叫ぶ盗人に向けて、躊躇することなくズドン!と撃って殺してしまいました。
この男、何者なんでしょう?
ドーラがその日の店じまいをした後に、その男に小銭を渡すシーンもあるので、あれはその辺のシマを預かっているヤーさんなんでしょうか?確かにジョズエを人身売買のネタにもしたわけですから、そうかも知れません。
或いは、彼方では警察もそれくらいのことはしかねないということでしょうか。
この辺の事情、ご存じの方コメントプリーズです。
映画の表現に関することで書き漏らした事を一つ。
終盤、探していた父親が訊ねた先を引っ越していて、お金もないドーラはジョズエに悪態をつく。傷ついたジョズエはドーラから逃げていく。ドーラはすぐに後を追う。
そこは巡礼の人が集まる場所で、大勢の人々が神に祈りを捧げる中をドーラがジョズエを探すシーンになる。様々な祈りの言葉が呟かれる中、『ジョズエーッ!』と叫びながら追っているドーラの胸の中にもジョズエを見失わないようにと神に祈る気持ちがあっただろう事を示唆する描写でありました。
ジョズエが見つからずに気を失うドーラ。隠れていたジョズエはドーラを膝枕に明け方まで介抱し、その後ジョズエのアイデアでお金を稼ぐことが出来た二人は、再び父親の引っ越し先を訊ねる。
ジョズエのアイデアとは、巡礼の地で神様に捧げる言葉などの代書をするサービス。代書だからドーラには朝飯前の仕事だ。映画の序盤のリオでは、刑務所に入っている旦那への手紙だったり、自分を騙した男への怒りの手紙だったり、ネガティブな内容のものが多かったが、僻地の人々は神様や両親や恋人への感謝の言葉が多かった。
リオではドーラは、客から預かった手紙を自分で査定して、出したり出さなかったりする。さて巡礼地でのこの手紙、その夜ジョズエは屑籠に捨てようとするが、ドーラは捨てずに翌日ある建物の中に持って入って行く。一見、公衆トイレのようにも見えたんですが、ドーラがその建物の中で手紙をどうしたのか、私にはよく分かりませんでした。
この辺の事情、ご存じの方コメントプリーズです。
最後に。
少年ジョズエを演じたヴィニシウス・デ・オリヴェイラ少年も、ドーラ役のモンテネグロに劣らず自然な演技で素晴らしいものでした。
やっとの思いで二人はジョズエの父親の家を探し当てる。それは広い土地の中にある一軒家で、走って会いに行こうとするジョズエは、庭に立っている自分と似たような年頃の男の子と顔を合わす。そして家の中にはその子よりも小さな男の子と母親らしき女性も居た。留守だった父親もすぐに帰ってくる。母親の話と写真でしか知らないジョズエの父。この人は自分の父親なのか?
期待と不安が入り交じった表情でこの家の主人を見つめるジョズエ。演じたのか、なりきったのか、オリヴェイラ少年のこのシーンの表情にはコチラも見入ってしまいました。
・映画「セントラル・ステーション」のレビューはコチラ。
以下、未見の方は“ネタバレ注意”です。
ドーラが店を開いているリオの駅内で、若者が盗みをするシーンがある。品物はよく分からないが、雑貨屋のような小売店の店頭に並べて置いてあるようなものだったので大して高価なものではないでしょう。店主の『泥ボー!』という声に防弾チョッキのようなものを着た警備員のような男が走って追いかける。そして、線路脇で追いつくと、『殺さないでくれ!』と叫ぶ盗人に向けて、躊躇することなくズドン!と撃って殺してしまいました。
この男、何者なんでしょう?
ドーラがその日の店じまいをした後に、その男に小銭を渡すシーンもあるので、あれはその辺のシマを預かっているヤーさんなんでしょうか?確かにジョズエを人身売買のネタにもしたわけですから、そうかも知れません。
或いは、彼方では警察もそれくらいのことはしかねないということでしょうか。
この辺の事情、ご存じの方コメントプリーズです。
映画の表現に関することで書き漏らした事を一つ。
終盤、探していた父親が訊ねた先を引っ越していて、お金もないドーラはジョズエに悪態をつく。傷ついたジョズエはドーラから逃げていく。ドーラはすぐに後を追う。
そこは巡礼の人が集まる場所で、大勢の人々が神に祈りを捧げる中をドーラがジョズエを探すシーンになる。様々な祈りの言葉が呟かれる中、『ジョズエーッ!』と叫びながら追っているドーラの胸の中にもジョズエを見失わないようにと神に祈る気持ちがあっただろう事を示唆する描写でありました。
ジョズエが見つからずに気を失うドーラ。隠れていたジョズエはドーラを膝枕に明け方まで介抱し、その後ジョズエのアイデアでお金を稼ぐことが出来た二人は、再び父親の引っ越し先を訊ねる。
ジョズエのアイデアとは、巡礼の地で神様に捧げる言葉などの代書をするサービス。代書だからドーラには朝飯前の仕事だ。映画の序盤のリオでは、刑務所に入っている旦那への手紙だったり、自分を騙した男への怒りの手紙だったり、ネガティブな内容のものが多かったが、僻地の人々は神様や両親や恋人への感謝の言葉が多かった。
リオではドーラは、客から預かった手紙を自分で査定して、出したり出さなかったりする。さて巡礼地でのこの手紙、その夜ジョズエは屑籠に捨てようとするが、ドーラは捨てずに翌日ある建物の中に持って入って行く。一見、公衆トイレのようにも見えたんですが、ドーラがその建物の中で手紙をどうしたのか、私にはよく分かりませんでした。
この辺の事情、ご存じの方コメントプリーズです。
最後に。
少年ジョズエを演じたヴィニシウス・デ・オリヴェイラ少年も、ドーラ役のモンテネグロに劣らず自然な演技で素晴らしいものでした。
やっとの思いで二人はジョズエの父親の家を探し当てる。それは広い土地の中にある一軒家で、走って会いに行こうとするジョズエは、庭に立っている自分と似たような年頃の男の子と顔を合わす。そして家の中にはその子よりも小さな男の子と母親らしき女性も居た。留守だった父親もすぐに帰ってくる。母親の話と写真でしか知らないジョズエの父。この人は自分の父親なのか?
期待と不安が入り交じった表情でこの家の主人を見つめるジョズエ。演じたのか、なりきったのか、オリヴェイラ少年のこのシーンの表情にはコチラも見入ってしまいました。
・映画「セントラル・ステーション」のレビューはコチラ。
バスの中でペンを走らすドーラの姿に涙しました。
十瑠さんの「ご懸念」の件、本作は意図して詳しく観せないシーンが多々ありますので、あくまでも私見です。駅での泥棒ズドン&人身売買関係人はやはり「ヤ組」の方でしょう。ああやって「シノイで」いると。警察なら公衆の場で丸腰の一般人をズドンとはいけない。<公衆トイレ>に見えたアレは祈祷所の一種と私は思いたい。前の晩ゴミ箱行きを咎めた彼女がわざわざトイレ?ではあまりにも心情的に哀しい。画面がすぐ切り替わって曖昧に・・・これがまた“含み”があって私は好きでしたが。しかしジョズエは達観した男の子でしたね。
あの手紙に神様への感謝のものもあったので、「祈祷所」が正解でしょうね。
ヤーさんの件も併せて、スッキリいたしました。ありがとうございました。
第1問、警備員のような男は、警官もしくは警官あがりの雇われ人だと思います。ブラジルでは、公務員は給料だけでは満足な暮らしはできません。たぶん、駅を管轄する警官は、駅構内の店のガードマンや小間使いのような仕事を請け負って、報酬をもらっているのです。ドーラが彼に小銭を渡すのもみかじめ料のようなものでしょう。警官も暴力団と何ら変わりません。
第2問、バスターミナル前の公衆便所のような建物は、郵便局、もしくは郵便を預かるお店だと思います。 ドーラが、旅の経験やジョズエとの交流客から預かった手紙をきちんと発送することにしたのだ、と私は信じたいのです。
日系の方も多く居るはずですが、そういえば、移民の方々の訴訟問題も発生してましたね。
まいじょさんの記事も興味深く読ませていただきました。
確かに音楽も素敵でしたねぇ。
建物の外に黄色のポストもあるのでまず間違いないかと。
一点補足まででした。
見た目が汚かったので郵便局に見えなかったんですが、やっぱし・・・。
建物外の黄色いポスト、気づかなかったなぁ。
今度観る時に気を付けます。