(1960/ルネ・クレマン監督・共同脚本/アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、モーリス・ロネ、エルヴィーレ・ポペスコ/122分)
ちょっと前の土曜の夜や日曜の午後のラジオ、例えば「思い出の映画音楽」なんていうリクエスト番組があれば、定番中の定番として流れてきたのがこの「太陽がいっぱい」でした。作曲はニーノ・ロータ。フェリーニ作品の常連ですが、晩年にはアメリカ映画にも名曲を残しています。
この映画のタイトルも最初に知ったのは多分テーマ曲からで、端正なマスクに曲調にピッタンコの哀愁を帯びた瞳のアラン・ドロンを世界的大スターに押し上げた作品だそうです。
ドキュメンタリータッチの社会派作品や文芸作品が多かったルネ・クレマン監督(「禁じられた遊び」など)は、この作品以降サスペンス物に傾倒していって、この映画も貧富の差による人間関係の歪みが描かれていますが、大筋は犯罪サスペンスとなっています。
ヒッチコックの「見知らぬ乗客」の原作者でもあるパトリシア・ハイスミスのサスペンス小説を、ルネ・クレマンと「二重の鍵」などのポール・ジェゴフが共同で脚色したもので、登場人物の名前からしてアメリカ人の話なんだが、99年に マット・デイモンとジュード・ロウでリメイクされるまでフランス人のドラマと思っていました。数十年ぶりにNHK-BSにて再見です。
ヨーロッパ、地中海沿岸の南フランスやイタリアで放蕩を続けているドラ息子フィリップ(ロネ)を、ロサンゼルスの父親が連れ戻そうと、息子の友人トム・リプリー(ドロン)を向かわせる。とにかく一度でもアメリカに帰らせれば5千ドル支払うという契約だった。
ところが、フィリップはトムを便利屋に使いながら、なかなか言うことを聞いてくれない。トムもフィリップの機嫌を損ねないように対応しながら、ちゃっかり一緒に高い酒を飲んだり、夜遊びに付き合ったりしている。
そんなある日、フィリップと彼の恋人(ラフォレ)に付き合ってクルーザーでの小旅行に出かけるが、トムが邪魔になったフィリップは彼を救命ボートにのせて大海原に置き去りにする。日除けのないボートの上でトムの背中は真っ赤に焼ける。数時間後にフィリップは迎えに来たものの、トムはフィリップに対する復讐を胸に秘めるのだった。
その後の復讐計画は皆様ご存じの通りです。
フィリップを殺して、トムは彼に成りすます。パスポートの写真を入れ替え、サインも真似て銀行預金も使い放題。
トムの自分に対する憎悪に気付きながら、まさか実行はしないだろうと思っているフィリップ。ところが、やっちゃうんですよね、トムは。ナイフをお尻の下に隠しながら、いきなりグサッと・・。
港に着いた後、とある店に寄って、大きな手荷物大のモノを買うトム。それが、アレですよ。あの、フィリップに成りすます為に、彼のサインを練習する時に使うアレ。
この辺の段取りの良さは、ヒッチコックのようでしたな。
偶然に発生した第2の殺人をフィリップの仕業と見せかけ、その後フィリップは遺書を残して失踪。遺体無き自殺。100パーセントの完全犯罪に成るところだったのだが・・・。
▼(ネタバレ注意)
久しぶりに見て面白かったのは、フィリップに成りきったトムのところに、突然フィリップの友人が訪ねてくるシーン。場所は確かローマでした。
それまで、フィリップ名義でホテル住まいをしていたのに、フィリップの知人に感づかれ、顔を見られない内にトムはアパートに引っ越す。ところが、突然このアパートにやって来るんですな、その男が。
フィリップの恋人への手紙をタイプしているところに突然の来客のベル。トムは管理人だろうと安心してドアを開ける。と、それはフィリップの友人だった。部屋に入ってくる友人を受け入れるトムは顔をこわばらせる。
<えっ、なんでこの男が? 部屋の中は、大丈夫か? おかしなモノは出していないか?>
男はフィリップと同じ金持ちの若者で、トムのことなんか気にとめない。フィリップは出かけているというトムの言葉も信用せずに、部屋の中を歩き回ってフィリップを探す。
『女への手紙の代書もやるのか?』『えっ!?』
『さっき、(部屋の中から)タイプを叩いている音がしていたからな』
やがて、フィリップの洋服を着ているトムに気付き、トムは『着替えを忘れたので借りている』と言い訳をする。
なんとか、不在を納得した男は部屋を出て行くが、階段ですれ違った管理人がトムを『グリーンリーフ様(=フィリップのこと)』と呼ぶのを聞いて、再び部屋に戻ってくる。絶体絶命!
ドアの内側で待ち伏せるトム。とっさに近くにあった陶器の置物を手にする。2段、3段構えのサスペンス。
そして、この友人を陶器の置物で殴り殺した後の描写が巧みでした。
男は後頭部を殴られて倒れ、管理人に代わって持ってきた野菜などが床に散らばる。トムは放心したように窓辺に歩み寄り、呆然と外を眺める。カメラはトムの主観にかわり、通りで遊んでいる子供たちをアパートの窓から見下ろしている映像となる。
この窓辺のトムを写した客観ショットと、後のトムの主観ショットが2度繰り返され、殺人者の心理状態が見事に表現されておりました。
鮮やかなラストのどんでん返し。惨たらしいフィリップの死体は、犯罪の卑劣さを改めて感じさせる。
トム・リプリーが笑顔で消えていった後の画面には、太陽がいっぱいに降り注ぐ海が静かに横たわっている・・・Fin。
▲(解除)
尚、カメラは「死刑台のエレベーター」などのアンリ・ドカエでした。
ちょっと前の土曜の夜や日曜の午後のラジオ、例えば「思い出の映画音楽」なんていうリクエスト番組があれば、定番中の定番として流れてきたのがこの「太陽がいっぱい」でした。作曲はニーノ・ロータ。フェリーニ作品の常連ですが、晩年にはアメリカ映画にも名曲を残しています。
この映画のタイトルも最初に知ったのは多分テーマ曲からで、端正なマスクに曲調にピッタンコの哀愁を帯びた瞳のアラン・ドロンを世界的大スターに押し上げた作品だそうです。
ドキュメンタリータッチの社会派作品や文芸作品が多かったルネ・クレマン監督(「禁じられた遊び」など)は、この作品以降サスペンス物に傾倒していって、この映画も貧富の差による人間関係の歪みが描かれていますが、大筋は犯罪サスペンスとなっています。
ヒッチコックの「見知らぬ乗客」の原作者でもあるパトリシア・ハイスミスのサスペンス小説を、ルネ・クレマンと「二重の鍵」などのポール・ジェゴフが共同で脚色したもので、登場人物の名前からしてアメリカ人の話なんだが、99年に マット・デイモンとジュード・ロウでリメイクされるまでフランス人のドラマと思っていました。数十年ぶりにNHK-BSにて再見です。
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ところが、フィリップはトムを便利屋に使いながら、なかなか言うことを聞いてくれない。トムもフィリップの機嫌を損ねないように対応しながら、ちゃっかり一緒に高い酒を飲んだり、夜遊びに付き合ったりしている。
そんなある日、フィリップと彼の恋人(ラフォレ)に付き合ってクルーザーでの小旅行に出かけるが、トムが邪魔になったフィリップは彼を救命ボートにのせて大海原に置き去りにする。日除けのないボートの上でトムの背中は真っ赤に焼ける。数時間後にフィリップは迎えに来たものの、トムはフィリップに対する復讐を胸に秘めるのだった。
その後の復讐計画は皆様ご存じの通りです。
フィリップを殺して、トムは彼に成りすます。パスポートの写真を入れ替え、サインも真似て銀行預金も使い放題。
トムの自分に対する憎悪に気付きながら、まさか実行はしないだろうと思っているフィリップ。ところが、やっちゃうんですよね、トムは。ナイフをお尻の下に隠しながら、いきなりグサッと・・。
港に着いた後、とある店に寄って、大きな手荷物大のモノを買うトム。それが、アレですよ。あの、フィリップに成りすます為に、彼のサインを練習する時に使うアレ。
この辺の段取りの良さは、ヒッチコックのようでしたな。
偶然に発生した第2の殺人をフィリップの仕業と見せかけ、その後フィリップは遺書を残して失踪。遺体無き自殺。100パーセントの完全犯罪に成るところだったのだが・・・。
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久しぶりに見て面白かったのは、フィリップに成りきったトムのところに、突然フィリップの友人が訪ねてくるシーン。場所は確かローマでした。
それまで、フィリップ名義でホテル住まいをしていたのに、フィリップの知人に感づかれ、顔を見られない内にトムはアパートに引っ越す。ところが、突然このアパートにやって来るんですな、その男が。
フィリップの恋人への手紙をタイプしているところに突然の来客のベル。トムは管理人だろうと安心してドアを開ける。と、それはフィリップの友人だった。部屋に入ってくる友人を受け入れるトムは顔をこわばらせる。
<えっ、なんでこの男が? 部屋の中は、大丈夫か? おかしなモノは出していないか?>
男はフィリップと同じ金持ちの若者で、トムのことなんか気にとめない。フィリップは出かけているというトムの言葉も信用せずに、部屋の中を歩き回ってフィリップを探す。
『女への手紙の代書もやるのか?』『えっ!?』
『さっき、(部屋の中から)タイプを叩いている音がしていたからな』
やがて、フィリップの洋服を着ているトムに気付き、トムは『着替えを忘れたので借りている』と言い訳をする。
なんとか、不在を納得した男は部屋を出て行くが、階段ですれ違った管理人がトムを『グリーンリーフ様(=フィリップのこと)』と呼ぶのを聞いて、再び部屋に戻ってくる。絶体絶命!
ドアの内側で待ち伏せるトム。とっさに近くにあった陶器の置物を手にする。2段、3段構えのサスペンス。
そして、この友人を陶器の置物で殴り殺した後の描写が巧みでした。
男は後頭部を殴られて倒れ、管理人に代わって持ってきた野菜などが床に散らばる。トムは放心したように窓辺に歩み寄り、呆然と外を眺める。カメラはトムの主観にかわり、通りで遊んでいる子供たちをアパートの窓から見下ろしている映像となる。
この窓辺のトムを写した客観ショットと、後のトムの主観ショットが2度繰り返され、殺人者の心理状態が見事に表現されておりました。
鮮やかなラストのどんでん返し。惨たらしいフィリップの死体は、犯罪の卑劣さを改めて感じさせる。
トム・リプリーが笑顔で消えていった後の画面には、太陽がいっぱいに降り注ぐ海が静かに横たわっている・・・Fin。
▲(解除)
尚、カメラは「死刑台のエレベーター」などのアンリ・ドカエでした。
(下の動画は予告編となってるけど、スチール写真の羅列にすぎませんな)
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 
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前にも書かれているのかしらと検索したけど、初体験だったのですね。
本作は初めて見たのが中学生ころ、テレビ放映でしたが、ラストの大ショックは鮮烈でした!!
フィリップとリプリーの同性愛的な描き方は、ほのかに・・っていう程度でしたね。リメイクの「リプリー」では前面に出ていたけど。
でもまさかアラン・ドロンもリメイクで自分の役をマットがやるとは・・夢にも思わなかったでしょ~
まだまだ、沢山の名作を書き残しているんですよ。
二人の関係はリメイクの方が原作に忠実だそうですが、クレマン版でのリプリーのフィリップに対する気持ちは、同性愛よりも貧乏人の金持ちに対する憧れだったように見えました。フィリップの洋服を着て、真似するところもね。
リメイクは未だに見てません。そのうち、ですね。
タイトルから金持ちのイケメン青年が港でナンパした女の子と恋におちるような青春映画かしらと思っていたので。まさか、こんな階級格差を批判した犯罪サスペンスとは…。
ラストの亡霊のように海の底から現れるフィリップは、ぞっとしますね。
>この窓辺のトムを写した客観ショットと…
の以下の部分は見逃していました。
完全犯罪っていうけれど、けっこう危ない身代わり劇ですよね。いつバレるのか冷や冷やしながら観てましたが。
最後の何も知らぬげに太陽を浴びて微笑んでいるアラン・ドロンの笑顔がなんともいえないですねぇ。
ラストのどんでん返しと、ドロンが笑顔のままで終わるのも憎いですねぇ