テアトル十瑠

1920年代のサイレント映画から21世紀の最新映像まで、僕の映画備忘録。そして日々の雑感も。

時系列操作の上手さと危うさ ~「つぐない」追加記事

2009-05-11 | ドラマ
 <ネタバレ注意>

 「つぐない」には、少々難解なイメージを持たれた方もおられた模様。
 一つには、エピソードの順番が時系列になっていない部分があることと、第一部に同一エピソードを別の視点でもう一度描くという珍しい手法が用いられていること。更には最終章の存在により、虚構と事実との境界が分からない、そういう点が影響しているのではないでしょうか。

*

 大きな時間軸の操作は字幕が入るのですが、行きつ戻りつするところもあるので、混乱するのも分からないではないですね。
 第一部は、1935年の夏、タリス家でのロビー逮捕までの話。
 第二部は、4年後のフランス戦線、敗走中のロビーがダンケルクの浜辺に着くまでの話。その中に半年前のロビーとセシーリアの再会シーンや、もっと前、5年ないしは6年以上前のタリス家で、ロビーを試そうとブライオニーが川に飛び込む話などが挿入されます。
 第三部は、第二部のダンケルクのシーンの3週間前のロンドンで、ブライオニーが看護婦修行をしている話。第二部のロビーの敗走がどれくらいの時間を費やしたのかは分かりませんが、冒頭は第三部の始まりと同時期と考えて良いでしょう。何故なら第三部の終盤に、ロンドンに戻ったロビーが出てくるからです。
 ブライオニーの病院にフランスからの帰還傷病兵が運ばれて来て、彼女がある兵隊をロビーと見間違えるというシーンもあり、映画の流れは観客に二人の再会への期待を抱かせます。それはブライオニーが1935年の暴行事件の犯人を確信した後、セシーリアの家を訪ねて思わぬ形で現れます。あぁロビーは助かったんだ、とも思いますね、観客は。
 そして、最後に数十年後の第四部に続きます。

 整理するとそんなに難しくないんですが、第三部の3週間前という説明は不要な気がします。


 さて、第一部の同一エピソードを別の視点から描くという手法の件。1956年にスタンリー・キューブリック監督が「現金に体を張れ」でも似たような手法を使いましたが、目的はちょっと違ってました。
 「つぐない」では、ブライオニーの主観的な視点によるエピソードと、ブライオニーの主観を入れない視点での同一エピソードを連続して流し、そこに発生するであろうブライオニーの誤解を観客にも同時に意識させるという狙いでした。
 ブライオニーのナレーションなりモノローグを入れるという手法もあったはずですが、その他の部分との兼ね合いで止めたのでしょう。狙いは分かりますが、ブライオニーの主観ショットにも色々と捉え方が発生するので、充分に効果を上げたかは多少疑問の残るところですね。
 図書室の件についての繰り返しでは、呼び鈴をならすロビーのショットが反復のきっかけになっていますが、噴水前の件についてはきっかけが曖昧な感じがします。双子のセシーリアを呼ぶ声だったでしょうか?


 虚構と真実との境界は何処かという点。これは難しいです。
 原作では、この第四部だけが一人称で書かれているとのこと。つまり、それまでは全て事実を元にした、いわばノンフィクション・ノベルのようなものなんでしょう。(実際は第四部も小説の一部であり、全てフィクション。この複層的な構造がなんとも悩ましいです^^)
 しかし、フランスでの敗走中のエピソードで、夥しい数の女子学生の遺体に出くわしたロビーが、ずっと前のブライオニーとの川遊びを思い出すというシーンがあり、あの関連性はロビーにしか分からないことで、またダンケルクでのロビーの主観的な幻想シーンも、本人しか知り得ないものであり、戦友の証言の再現とは思えません。
 第四部のインタビューに答えたブライオニーの台詞に、第三部の終盤の『告白シーンだけは創作だ』というのがありました。
 告白シーンだけはブライオニーの創作で、後は全て神の目をもって再現された事実の物語である、ともとれるし、第三部以前は全て事実を元にした上で、ブライオニーの想像を加えたフィクションともとれる。悩ましいです。
 告白シーンは大きな意味での創作で、あれ以外はブライオニーの想像が入っていてもほぼ事実であろう、とりあえず私はそう考える事にしました。映像で語る映画としては、それが一番自然ですもんね。(原作が読みたくなったなぁ)
 あっ、ハッピーエンドのラスト・シーンも当然ブライオニーの創作ですね。


 監督本人の説明を聞くと、彼は感覚重視の作り方をしている人で、意味深に見えるショットにも、明確な意図のないものが結構あったようでした。それでも色々と考えさせられるのですから、特典メニューの説明には本心は隠しているのかも。
 ジョー・ライト、要注意! これは変わりませんな。

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2 コメント

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こうして (オカピー)
2009-05-12 01:49:49
分析する気にさせるというのも良く出来た作品である証左でしょうか。^^

分析についてはほぼ同じような感想を持っていますね。
効果即ち評価については僕の方が圧倒的に良いですが。^^

>3週間前という説明は不要な気がします。
第4部への布石と思います。
表現の違いを示す一種の境界/インターフェースではないでしょうか。
この理解が正しいとすると、第3部全体が作者の創作ということになります。

>繰り返し
原作では第1部は同じ場面が複数の視点(主観)で描かれているのだそうです。
従って、厳密には主観と客観という並置ではないのですが、ブライオニーの主観でないものは映画の中では客観と理解して間違いではなかろうと思います。

これは技術的に暴行場面との差異を際立たせるギミック(仕掛け)ですから、きっかけは特に必要ないのではないかと。
ロビーが逮捕される瞬間も二つの視点で繰り返され、肝心の暴行場面だけが一つの視点で捉えられているということが重要なのだと思います。
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主観と客観 (十瑠)
2009-05-12 08:09:17
主観と客観での繰り返しという点で、イェーツの「ジョンとメリー」の原作を思い出しました。小説ではこういう試みは、それ程難しくないのでしょうかね。寧ろ、創作意欲をかき立てられる、そんな気もします。

「ゆれる」といい、技巧的な作品は、つい分析したくなります。^^
姐さんのお友達の“カゴメさん”も複数ページを割いて分析しておられますよ。現在進行中です。

>きっかけは特に必要ないのではないかと。

概ね、後に続けて繰り返されるので、観客は混乱する可能性があり、きっかけはあった方が分かり易いと思いました。
暴行場面との関連性は感じませんでした。
観客には、犯人は当初より見当ついてますからね。

>ロビーが逮捕される瞬間も二つの視点で繰り返され・・

う~ん、これも続けて繰り返されましたっけ?
何度か出てきたのは覚えてますが、サスペンス的な編集ではなかったように思いますが・・・。

犯人を知っていながら、知らぬ振りをしてしまうローラ。まんまと玉の輿に乗った彼女こそ、償うべき罪深い人間でありますね。
実はそんな人間は多かれ少なかれ、いつの時代もいるのですが。
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