(1970/ヴィットリオ・デ・シーカ監督/ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベリーエワ、アンナ・カレナ/107分)
1970年は僕は高校生だったし映画に夢中だったからこの映画の事はよく覚えてますが、実は全体を通して観るのは今回が初なんですよね。双葉さんの評価が☆☆☆★★★(75点)の秀作だったから観るべきとの認識はあったと思いますが、当時はアメリカ映画の方が好きだったし、ソフィア・ローレンがビジュアル的に好みではなかったとか、第二次世界大戦絡みの内容にも今更感があったとか、そんな理由で後回しになったんだと思います。吹き替え放送も何回もあったでしょうけど、今回観て、やはり初見だったと確認しました。
オープニングクレジットのバックは広大な向日葵畑の映像。そこにもう何十年も忘れられないお馴染みのヘンリー・マンシーニの物悲しいテーマ曲のメロディーが・・・。
プロデューサーがソフィアの夫であるカルロ・ポンティだったということは周知の事ですが、今回アーサー・コーンも連名でクレジットされていたのに気づきました。コーンはデ・シーカの「女と女と女たち (1967)」とか「恋人たちの場所 (1968)」も手掛けていたんですね。
第二次世界大戦さなかのイタリア、ミラノ。
主婦ジョバンナはロシア戦線に出たまま音信不通になっている夫アントニオの行方を尋ねようと義母と共に役所に出かけるが、役人は「行方不明」としか答えてくれない。「生きているんでしょ?」と詰め寄るも、軍隊からも本省からも行方不明としか回答がないと役人は繰り返すだけだった。
家に帰って一人の夕食。ジョバンナはアント(彼女はアントニオをこう呼んだ)と出会った頃を思い出す。
逢ったのはジョバンナの故郷ナポリ。浜辺で愛を確かめ合った若い頃、アントは32歳だった。結婚なんかしたくないと言ったアントだったが、婚姻で出征が12日延びると聞いてすぐに結婚をした。ナポリで式を挙げた後、アントの故郷ミラノに向かう列車の中でジョバンナはイアリングをプレゼントされた。
二人は12日間を殆ど家の中で過ごした。それほど二人は愛し合っていたのだ。
やがて休暇も終わる頃、離れがたい二人は一計を案じる。それはアントが気がふれた様に装って更に出征を免れようということだった。街中で刃物を振り回してジョバンナを追い掛け回し警察に捕まる。計略は上手くいったかに思えたが、直ぐにばれる事となった。
『脱走罪で懲役に服すか、ロシア戦線に行くか選びなさい』
戦地に向かうアントとの最期の別れは駅のトイレだった。
裁縫で生計を立てながらミラノで一人待つジョバンナ。
やがて戦争が終わり、ロシア戦線からの復員兵の列車が帰って来るというので、ジョバンナはアントの写真を持ってホームに立った。そこにはやはり同じように写真を抱えた人々が沢山居た。
一人の兵隊がアントの写真を見つけ『アントニオ』と応えた。
ジョバンナは男にアントの事を尋ねた。『生きてる?』
兵隊は人ごみを避けてしばらく歩き、おもむろに重い口を開いた。
『ドン河まではな・・・』
男の話は悲惨なものだった。
辺り一面雪に覆われたロシアの大地で敗色濃厚なイタリア軍は眠る時間もなく敗走を続けていた。四方八方からのロシア軍の攻撃もさることながら、立ち止まることが即ち凍死を意味する程の寒さだった。アントはその兵隊に助けられながら歩き続けたが、ドン河の手前でついに力尽きて倒れてしまったのだ。意識はあったが、アントは男に先に進むように目で合図をした。男は為すすべもなく再び前に向かって歩き出した。この時が男がアントニオを見た最後だった。
ジョバンナはアントを探しにロシアに向かう。外務省を訪ね、役人の支援を仰ぎながらアントが行方不明になった所の近くの村や、戦死したイタリア兵が多く眠る墓地にも行ったが、彼の消息を示すものは何処にも無かった。
記憶を失くしたイタリア人を見かけた事があると噂されたサッカー場にも行ってみたが、スタンドは広すぎて途方に暮れそうだった。試合の終了後に出入口で観客を待っていると、一人のらしき人物を見つけた。後をついていき『イタリア人でしょ?』と声を掛けたが『違う』とロシア語で返答された。
それでも駅の中にまで付いてくるジョバンナに根負けした彼はイタリア語で話しかけてくれた。やはりイタリア人だった。
『田舎は何処なの?』
『今はロシア人だ』
『何故、ここに居るの?』
『何故って?長い話さ。要するにこうなってしまった。それだけの事だ』
ジョバンナはアントニオの写真を見せたが、知らないと彼は言った。『俺もアルプス隊だから嘘はつかない』
『故郷へは?』
『故郷?』つまらぬ冗談を聞いた後のように、或いは何かを諦めたかのように片方の頬に笑みを浮かべながら男は電車に乗ってどこかへ帰って行った。
アントは絶対にどこかに居る。あの男のように、心に傷をもってこのロシアで暮らしているのだ。
ジョバンナは一人で村々を訪ね歩くことにした。すると、とある村で一組の母子がアントの写真に反応した。
その家はすぐ近くにあった。
小さな一軒家で、庭には大きなシーツや洋服などの洗濯物が。そして、洗濯物を取り入れる若い女。ジョバンナの表情に不安がよぎる。正に家庭の匂いがする家だった・・・。
高校生の頃は、多分にお涙頂戴映画の一つであると思っていた節があるのですが、後半の夫婦の二度の再会と別れのドラマには、背景にある戦争の残酷さが十分に感じられて、泣くというよりは胸を締め付けられる様でした。ジョバンナはアントニオをなかなか許せなかったみたいですけど、最後の最後には理解したようですね。
コメディのような明るい序盤と、マストロヤンニ、ソフィア・ローレンの悲痛な表情が対照的な後半。
戦闘シーンは殆どなく、当時の記録映像をコラージュのように編集していました。
ロシアの吉永小百合のようなリュドミラ・サベリーエワの哀し気な表情も切ないし、強気なナポリ女が雨の夜の再会前にかつて新婚旅行でプレゼントされたイヤリングを出してくるところも泣かせます。
お勧め度は★三つ半。
1970年のアカデミー賞で作曲賞(ヘンリー・マンシーニ)にノミネートされた音楽で★半分おまけです。
※ 追加記事、ネタバレ備忘録はコチラ。
1970年は僕は高校生だったし映画に夢中だったからこの映画の事はよく覚えてますが、実は全体を通して観るのは今回が初なんですよね。双葉さんの評価が☆☆☆★★★(75点)の秀作だったから観るべきとの認識はあったと思いますが、当時はアメリカ映画の方が好きだったし、ソフィア・ローレンがビジュアル的に好みではなかったとか、第二次世界大戦絡みの内容にも今更感があったとか、そんな理由で後回しになったんだと思います。吹き替え放送も何回もあったでしょうけど、今回観て、やはり初見だったと確認しました。
オープニングクレジットのバックは広大な向日葵畑の映像。そこにもう何十年も忘れられないお馴染みのヘンリー・マンシーニの物悲しいテーマ曲のメロディーが・・・。
プロデューサーがソフィアの夫であるカルロ・ポンティだったということは周知の事ですが、今回アーサー・コーンも連名でクレジットされていたのに気づきました。コーンはデ・シーカの「女と女と女たち (1967)」とか「恋人たちの場所 (1968)」も手掛けていたんですね。
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主婦ジョバンナはロシア戦線に出たまま音信不通になっている夫アントニオの行方を尋ねようと義母と共に役所に出かけるが、役人は「行方不明」としか答えてくれない。「生きているんでしょ?」と詰め寄るも、軍隊からも本省からも行方不明としか回答がないと役人は繰り返すだけだった。
家に帰って一人の夕食。ジョバンナはアント(彼女はアントニオをこう呼んだ)と出会った頃を思い出す。
逢ったのはジョバンナの故郷ナポリ。浜辺で愛を確かめ合った若い頃、アントは32歳だった。結婚なんかしたくないと言ったアントだったが、婚姻で出征が12日延びると聞いてすぐに結婚をした。ナポリで式を挙げた後、アントの故郷ミラノに向かう列車の中でジョバンナはイアリングをプレゼントされた。
二人は12日間を殆ど家の中で過ごした。それほど二人は愛し合っていたのだ。
やがて休暇も終わる頃、離れがたい二人は一計を案じる。それはアントが気がふれた様に装って更に出征を免れようということだった。街中で刃物を振り回してジョバンナを追い掛け回し警察に捕まる。計略は上手くいったかに思えたが、直ぐにばれる事となった。
『脱走罪で懲役に服すか、ロシア戦線に行くか選びなさい』
戦地に向かうアントとの最期の別れは駅のトイレだった。
裁縫で生計を立てながらミラノで一人待つジョバンナ。
やがて戦争が終わり、ロシア戦線からの復員兵の列車が帰って来るというので、ジョバンナはアントの写真を持ってホームに立った。そこにはやはり同じように写真を抱えた人々が沢山居た。
一人の兵隊がアントの写真を見つけ『アントニオ』と応えた。
ジョバンナは男にアントの事を尋ねた。『生きてる?』
兵隊は人ごみを避けてしばらく歩き、おもむろに重い口を開いた。
『ドン河まではな・・・』
男の話は悲惨なものだった。
辺り一面雪に覆われたロシアの大地で敗色濃厚なイタリア軍は眠る時間もなく敗走を続けていた。四方八方からのロシア軍の攻撃もさることながら、立ち止まることが即ち凍死を意味する程の寒さだった。アントはその兵隊に助けられながら歩き続けたが、ドン河の手前でついに力尽きて倒れてしまったのだ。意識はあったが、アントは男に先に進むように目で合図をした。男は為すすべもなく再び前に向かって歩き出した。この時が男がアントニオを見た最後だった。
ジョバンナはアントを探しにロシアに向かう。外務省を訪ね、役人の支援を仰ぎながらアントが行方不明になった所の近くの村や、戦死したイタリア兵が多く眠る墓地にも行ったが、彼の消息を示すものは何処にも無かった。
記憶を失くしたイタリア人を見かけた事があると噂されたサッカー場にも行ってみたが、スタンドは広すぎて途方に暮れそうだった。試合の終了後に出入口で観客を待っていると、一人のらしき人物を見つけた。後をついていき『イタリア人でしょ?』と声を掛けたが『違う』とロシア語で返答された。
それでも駅の中にまで付いてくるジョバンナに根負けした彼はイタリア語で話しかけてくれた。やはりイタリア人だった。
『田舎は何処なの?』
『今はロシア人だ』
『何故、ここに居るの?』
『何故って?長い話さ。要するにこうなってしまった。それだけの事だ』
ジョバンナはアントニオの写真を見せたが、知らないと彼は言った。『俺もアルプス隊だから嘘はつかない』
『故郷へは?』
『故郷?』つまらぬ冗談を聞いた後のように、或いは何かを諦めたかのように片方の頬に笑みを浮かべながら男は電車に乗ってどこかへ帰って行った。
アントは絶対にどこかに居る。あの男のように、心に傷をもってこのロシアで暮らしているのだ。
ジョバンナは一人で村々を訪ね歩くことにした。すると、とある村で一組の母子がアントの写真に反応した。
その家はすぐ近くにあった。
小さな一軒家で、庭には大きなシーツや洋服などの洗濯物が。そして、洗濯物を取り入れる若い女。ジョバンナの表情に不安がよぎる。正に家庭の匂いがする家だった・・・。
*
高校生の頃は、多分にお涙頂戴映画の一つであると思っていた節があるのですが、後半の夫婦の二度の再会と別れのドラマには、背景にある戦争の残酷さが十分に感じられて、泣くというよりは胸を締め付けられる様でした。ジョバンナはアントニオをなかなか許せなかったみたいですけど、最後の最後には理解したようですね。
コメディのような明るい序盤と、マストロヤンニ、ソフィア・ローレンの悲痛な表情が対照的な後半。
戦闘シーンは殆どなく、当時の記録映像をコラージュのように編集していました。
ロシアの吉永小百合のようなリュドミラ・サベリーエワの哀し気な表情も切ないし、強気なナポリ女が雨の夜の再会前にかつて新婚旅行でプレゼントされたイヤリングを出してくるところも泣かせます。
お勧め度は★三つ半。
1970年のアカデミー賞で作曲賞(ヘンリー・マンシーニ)にノミネートされた音楽で★半分おまけです。
※ 追加記事、ネタバレ備忘録はコチラ。
・お薦め度【★★★★=友達にも薦めて】 
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私はまだ一度しか観たことがありませんが、本当に”戦争によって引き裂かれた”というのがヒシヒシと感じられました。
戦闘の映像がほぼなくても反戦は伝えられることを教えてくれる作品ですよね。
音楽も素晴らしかったです♪
このブログを始めてから観た旧作も結構ありますし。
>戦闘の映像がほぼなくても反戦は伝えられることを教えてくれる作品
「TOMORROW」とか「かくも長き不在」とか「ヒロシマ モナムール」もそうですかね。
観客の想像力を要求されますが、良い映画が多いです。