Aにゃん@flowerbuda(Twitter)の書斎

「アナタのキモチ、言葉にします。」

トラウマの名前を知らないということ。

2015-12-13 21:39:40 | 日記

 今回は、「トラウマ」について、扱いたい。ここで、何故トラウマなのかというと、人が壁を乗り越えて生きていく上で「名付ける」という行為がいかに、大切かを話すためである。

 人は何かしら心の内に、認めたくないが、実在することを認めなくてはならない「蟠り」というものがある。私たちには、それを紐解かなくては、トラウマ解決出来ないものがしばしばある。またそれを行使するには蟠りに気付かなければならない。しかし、そう簡単にはいかないのがお約束で……でなければ今ここであげる必要も無いであろう。身も蓋もないよくわからない戯れ言になってしまう。

 「トラウマ」というと、なんだか複雑に捉えられるかもしれないが、問題はそんなに難しいことではない。単に、何かしらの問題が起きたときに、上手く対処が出来なかった。そんなとき、何故出来なかったのかを突き詰めても、どうしても答えがでない……それは、多くの場合、心理的に作用が起きていることが多い。では、どうすればいいのか?答えは至ってシンプルである。発端を経験の中から探り出せばいいのである。しかし口では簡単というもので、心理的に原因を抑圧してしまう時点で、本人にとっては既に、目も当てられない程、認めたくない記憶なのである。誰とて、自分の欠点や、失敗、恐怖をわざわざ振り返りたいとは思わない。稀に、記憶自体を覚えている者がいることも確かだが、殆どの人間は忘れてしまう。だからこそ、人々は自らの記憶を閉じ込めてしまい、後々向き合い辛くなり苦しむのであるが。そこをどうにかして、自分自身を認めていってあげることではじめて、芯から問題解決が成されるのである。それはもう、これから生きていく上では必要不可欠なスキルであるし、新たな進化にも繋がる重要な基礎である。


女の相談は答えがほしい訳じゃない。

2015-12-08 18:23:50 | 日記

 この時期は女が面倒臭い。何でかと言うと、なにかと恋愛相談で盛り上がる時期だからだ。そもそも、女は病んでる自分が好きなのだから。如何せん、「~ブル」のが大好きだ。まぁ、例外なく、Aもそうですが(^-^)あまり、人には話さない。自分の中で答えを出すというのが正しい。何事も人に吐き出す前に、自分の中で答えを出す、というのが賢明だと考える。それ以前に、大抵の人間は既に胸の内に答えを持っているのだがら気付きたくない、というのが正しい言い回しだ。ここで吐いたって仕方のないことでもあるが。胸焼けしてて、かなり気分が悪いだけ。


子どもの頃の寂しさ-インサイドヘッドから-「かなしみに、こんにちは。」

2015-12-06 12:35:25 | 日記

 今日私はこの家を後にする。明日から私は大学、チビたちは幼稚園、小学校もある。親たちは仕事、家事が待っている。皆それぞれの役割へと立ち還る。

 今朝方、三女が泣いた。今日は防災訓練で、父親が長男だけ連れて家を空けていた。二男も三女も風邪気味で連れていかなかったというのが事の発端だ。妹三女が言うには、「何で自分だけ置いていくのか、自分が大事じゃないからだ」というものだった。実際のとこ、そうではなかったのだが、三女には仕方無いことだった。私と三女は半分しか血が繋がっていない。それも説明した。父親が、ちゃんと説明してきたのかわからない。目を背けたくなる事実でもあるから、私も何も言わない。単にこの子の理解力の問題と、持論では考えている。まぁ、環境で育ち方や理解力は変わってくるのは自明だ。私はもう三女くらいの歳では家庭事情を理解していたし、有り様も視ていた。離婚経緯も知っていたし、三つ離れた次女にも説明してきた。つまりこの説明をするのは三女が実質二人目になったということだ。

「お姉ちゃんもね、寂しいことあるんだよ。だからKも寂しくなることあると思うけど、お父さんもKを忘れたりしてるわけじゃないんだよ。ただ風邪ひいてるから、Kのために連れていかなかったんだよ。」

「でもね、K最近はお父さんに肩車も、だっこもおんぶもして貰えなくなったよ。」

「違うよ、Kが少し大人になったからだよ。だからお父さんも、Kが女の子なのもあると思うけど、あんまりそういうことできなくなったんだよ。あとはお兄ちゃんたちがいろいろあるから(男子のみに表れる先天性の発達障害)なかなか難しいんだ。寂しいね、でもね……お姉ちゃんの次女はもっと寂しかったよ。だからね、Kもね、我慢しようか。大人になっていこうか。ゆっくり頑張ろうか。我が儘言わないで進んでこうか。お父さんは嫌いになったりしたからしてくれなくなったんじゃないんだよ。」

「お姉ちゃんも寂しかったの?なんで?」

「次女はね、Kくらいのときにはもうお父さんも居なかったし、お母さんは仕事をなくちゃいけなくて、殆どお家でお姉ちゃんと二人きりだったんだよ。ご飯も殆ど二人きりだったんだよ。だからね、だっこもおんぶも肩車もして貰ったこと無いんだ……」

「何でお姉ちゃん泣いてるの……?」

「寂しいからだよ。今も新しいお父さんいるけど寂しいことあるんだよ。」

「うん。」

 その後昨日一緒に見た、「インサイドヘッド」という映画の話をした。「(「悲しみ」も「喜び」も大切にしなくちゃいけないって「喜び」は言ってたでしょ?だからね、悲しいときは泣いて、そうやって一人で乗り越えていくと、お姉ちゃんみたいに大人になれるんだよ。寂しいこともあるけど、お友だちとか、好きな人ができて、寂しいが無くなっていくんだ。」

 そんな話を終えた頃には三女の涙は乾いていた。私は長女だ。産みの辛さ以外は子育てのことを知っている方だと思う……伊達に私も記憶力を誇っていない。なんたって、次女の出産時の記憶を幼いながらも備えているのだから。


子どもは……残酷なくらい愛しい。

2015-12-05 20:28:49 | 日記

 この温もりが……計り知れないほど、愛しい。ぬ温い私の掌に触れる修学前の三女の手が、熱かった。

そう一生懸命燃えていたんだ。

私と三女は、血が半分しか繋がっていない。

そんなの、関係なかった。

私には完全に血が繋がったし次女がいる。

絶対に、二人姉妹だなんて言わない。

私はは五人兄弟姉妹と広言する。

それが、私のこの子達に対する、愛だからだ。

それだたけ、私は……涙が出るほどこの子達を愛しているし、抱き締めたい。

好きなんだ。

愛しい。