「共感しない距離感が大事」
オレ的には、去年の『ローレライ』から始まって、『戦国自衛隊1549』『亡国のイージス』と続いた、「戦後60周年記念防衛庁協力による戦争映画」と勝手に括っていて、この大和が括りの締めの映画ってことになってました。
公開当初からけっこう評判が良いらしいですな。
現代の鈴木京香と大和乗組員だった仲代達也が、60年前を回想して物語は進行する。
大和艦上での訓練風景から始まって、大和の乗組員の戦時下での日常が描かれる冒頭。
大和艦上ではイメージどおりの旧日本軍的な体罰・懲罰が励行されるなか、GTOならぬ反町隆史と中村獅童が後輩を可愛がってくれたり、同級生の女の子とイチャイチャしたりとモダーンなカンジ。
わりと退屈な展開なんだけど、ああ、きっとこのつかの間の安息が敗戦によって打ち砕かれるのだろうなと予測した。
いざ大和に乗って実戦へ。が、しかし、時代はすでに大艦巨砲主義が廃れていて、日本海軍は惨敗、大和も被害甚大。
この海戦シーンが第一の山場。
銃弾を食らったら派手に血は出るけど、人体崩壊はほとんどなくて、ちょっと肩すかしを食った気がした……この時点では。
そして、いよいよ戦局は最悪となり、米軍爆撃機による本土空爆、沖縄での米軍上陸が始まる。
その沖縄へ勝ち目のない特攻が大和に命ぜられ、乗組員たちは今生最後の上陸をして、縁のある人たちに別れを告げることに。
このへんは、「戦時下の泣き」とでもいうんだろうか、とにかく旧日本軍を扱った映画の泣かせ芸を大盤振る舞いする。自分の好みにあったシチュエーションをチョイスして、泣くのも一興かと。
そして、いよいよ大和出航。
しかし、沖縄へ特攻することもできず、大和は米軍の戦闘機による猛攻撃を浴びて轟沈する。
この戦闘シーンが最大のクライマックスであり、また作中でも最も尺が取られているのだが、とにかく圧倒された。
「愛する人を守りたい」というキャッチもあるように、正直、観る前は「戦時下の泣き」がメインなのかなと高を括っていたのだけど、この戦闘シーンこそがメインだった。
最初の戦闘では銃弾を食らっても人体崩壊がなくてガッカリしたが、とにかくこの戦闘では、撃たれた人がみんな血反吐を吐く。
機銃弾発音と銃弾が打ち合う鋼鉄の堅い音に混じって、鈍い生身の音がしたと思うと、兵隊が血反吐を吐いてぶっ倒れる。
怒号を上げていた兵士が、次の瞬間には機銃にぶち抜かれて壁に吹っ飛ばされる。
悲鳴を上げている暇もなく、ぶち抜かれてくたばる。
延々と、大和が沈没するまで、これがずっと続くのだ。
『プライベート・ライアン』は一発の銃弾で人体が崩壊する恐ろしさとリアルさがあって、これが好きだったのだが。
この映画では、文字通り銃弾が雨あられのごとくドカドカ降り注ぐのだ。大和が沈没するまで。甲板にいる兵士は逃げることもできずにハチの巣にされるだけ。
さらに絶望的なのは、大和が自慢の巨砲をぶっ放しても、身軽な戦闘機には全然当たらない。だが、図体の大きい大和には戦闘機の機銃が容赦なく浴びせられるのだ。
なんとも凄惨な戦闘シーンだ。
そして、ついに大和は沈没。原爆投下後に日本が降伏。
この映画を観てナショナリズムが高揚することはなかった。泣きシーンでも、「ここが泣かせどころか」と妙に客観的に観ていた。そして、大和の沈没シーンでは、戦争の凄惨さがひときわ迫ってきた。
変に気分を昂ぶらせるんじゃなくて、同調したり共感するほどではない距離感を持ったまま観ていたってところ。
作中で長嶋一茂だけが、この戦争に対して冷静なんだけど。この冷静さっていうのも、一億総玉砕に肩入れできない(同調したり共感できない)距離感を持っていたからじゃないかな、と思う。
その長嶋が、舵取りを誤った日本を修正するために負けるんだ、っていうニュアンスのセリフを言っているんだけど、たぶん、現代の日本人に求められているのはこれに近いかなと、思ったわけ。
もちろん、観る人によって感じ方はいろいろだろうけど。
『男たちの大和 YAMATO』(映画館)
http://www.yamato-movie.jp/
監督:佐藤純彌
出演:反町隆史、中村獅童、鈴木京香、仲代達也、他
評価:7点
戦闘シーンは良かったですね。
進歩を忘れたから日本はダメになったんだ、っていうようなセリフがあったと思うんですけど、時代遅れの大和の図体のデカさってのは、この比喩なのかななんて思ったりもしてました。