こんばんは、ヅメです。初登場なのでまずは自己紹介から、と思ったのですが、それが案外苦手だったりします。
えー、出身は北海道函館市で、現在は四日市に在住、11年目に突入したところです。函館出身というと「魚介類が美味しそう」と良く羨ましがられます。まあ実際その通りだと思いますが、余り知られていないのが、「魚種が少ない」ということなんです。こちらで普段食べている魚が案外手に入らなかったりします。
例えば、アジ。最近だと地元のスーパーでそこそこ見かけますが、子供の頃は市場でも見たことはなかったし、釣ったこともない。同じ青物でのサバなら文字通り腐るほどいたんですけどね。アジの方がやや暖海性なのでしょう。新鮮なアジを食べて感動したのは、大人になってから随分経ってからのことでした。
そんなアジや、運が良ければもっと大きなマダイやハマチなども何と!手掴みで!獲れる場所があると聞くと、思わず心が騒いでしまいます。三重って良い所だなあ、などと単純に思ってしまいます。このブログでも、かねこさんが以前取り上げた「たてぼし」です。
遠浅の海岸に網を張り、潮が引いた後に残った魚をつかみ取りする、というのが元々の遊びです。現在はあらかじめ仕切った網の中に魚を放流する、というスタイルに変わっています。津の御殿場海岸で行われていて、津藩主の藤堂家が始めた、と伝えられています。
さて、この「たてぼし」ですが、漢字の表記には諸説あるようです。三重では「楯干し」とすることが多いようです。他には「立て干し」だったり「建干し」だったり。そういった表記で検索してみると、同じような遊びが各地にあることがわかります。大分は国東半島、それから愛媛、岡山辺りで伝統行事として行われていたようです。特に今治藩では藩主が建干漁を行うために、禁漁となっていた水域があるなんて記述があったりします。
そこで、ふと気付いた訳です。藤堂高虎って津藩主になる前は今治の藩主だったんですよね。藤堂家と関連の深い愛媛と三重に同じような藩主の遊びがある、というのは何か繋がりがあるような気がします。また、愛媛から国東や岡山は海路ではとても近いので、交流も十分あったでしょう。また、彼らは水軍を持っていた。いずれかの土地で行われていた行事を見たか参加した藤堂さんが、遠く三重に戻ってきてそれを広めた。あるいは逆なのか…妄想が広がります。
いずれにせよ、海に飛び込んで魚を追っかけまわすと老若男女問わず童心に帰り、はしゃぎまわるもんです。かく言う僕も明日「たてぼし」へ行ってきます。アジを沢山獲りたいなあ。そして、願わくば穏やかな晴天でありますように。
(画像は「上総国建干網之図」三代目歌川広重作…ってことは千葉でもやられていたんですかね!仮説が…)
次のブログはしづかさんです。
お楽しみに!
えー、出身は北海道函館市で、現在は四日市に在住、11年目に突入したところです。函館出身というと「魚介類が美味しそう」と良く羨ましがられます。まあ実際その通りだと思いますが、余り知られていないのが、「魚種が少ない」ということなんです。こちらで普段食べている魚が案外手に入らなかったりします。
例えば、アジ。最近だと地元のスーパーでそこそこ見かけますが、子供の頃は市場でも見たことはなかったし、釣ったこともない。同じ青物でのサバなら文字通り腐るほどいたんですけどね。アジの方がやや暖海性なのでしょう。新鮮なアジを食べて感動したのは、大人になってから随分経ってからのことでした。
そんなアジや、運が良ければもっと大きなマダイやハマチなども何と!手掴みで!獲れる場所があると聞くと、思わず心が騒いでしまいます。三重って良い所だなあ、などと単純に思ってしまいます。このブログでも、かねこさんが以前取り上げた「たてぼし」です。
遠浅の海岸に網を張り、潮が引いた後に残った魚をつかみ取りする、というのが元々の遊びです。現在はあらかじめ仕切った網の中に魚を放流する、というスタイルに変わっています。津の御殿場海岸で行われていて、津藩主の藤堂家が始めた、と伝えられています。
さて、この「たてぼし」ですが、漢字の表記には諸説あるようです。三重では「楯干し」とすることが多いようです。他には「立て干し」だったり「建干し」だったり。そういった表記で検索してみると、同じような遊びが各地にあることがわかります。大分は国東半島、それから愛媛、岡山辺りで伝統行事として行われていたようです。特に今治藩では藩主が建干漁を行うために、禁漁となっていた水域があるなんて記述があったりします。
そこで、ふと気付いた訳です。藤堂高虎って津藩主になる前は今治の藩主だったんですよね。藤堂家と関連の深い愛媛と三重に同じような藩主の遊びがある、というのは何か繋がりがあるような気がします。また、愛媛から国東や岡山は海路ではとても近いので、交流も十分あったでしょう。また、彼らは水軍を持っていた。いずれかの土地で行われていた行事を見たか参加した藤堂さんが、遠く三重に戻ってきてそれを広めた。あるいは逆なのか…妄想が広がります。
いずれにせよ、海に飛び込んで魚を追っかけまわすと老若男女問わず童心に帰り、はしゃぎまわるもんです。かく言う僕も明日「たてぼし」へ行ってきます。アジを沢山獲りたいなあ。そして、願わくば穏やかな晴天でありますように。
(画像は「上総国建干網之図」三代目歌川広重作…ってことは千葉でもやられていたんですかね!仮説が…)
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