合気道には幾つかの流派はありますが、基本の考え方は同じだと思っています。
高伝館館主 針すなお先生に教えをいただく道場ですが、佐賀に本部をおいていますが、実は東京にも道場があります。
多摩市、保谷市、池袋、滝野川、所沢。非常に滑らかな動き、無駄のない合気道を学ぶことができます。
最近、合気道 塩田剛三先生の逸話を教えてもらいました。武道家の話は興味をそそられます。
【進駐軍のいたずら 】
昭和20年の終戦直後のことだが、この頃は日本人全般が虚脱状態になっていて、進駐軍(戦勝国であるアメリカ軍)と言えば、手出しができないような状態で、日本の警察もその横暴ぶりに手を焼いていた時代だ。
剛三の家は東京郊外の所沢にあり、当時はまだ武蔵野線といっていた西武線の終電車に乗って帰る途中、酔った進駐軍の兵士が二人乗り込んできた。
その兵士が車中の日本人一人一人の頭を突いたり、鼻の先に触ったりして面白がっていた。しかし誰一人それを制止することもせず、じっと下を向いて我慢している。
やがて兵士の一人が剛三の前に来て、「パパサン」と言いながら、右手で剛三の顔を撫でようとしたので、その手を軽く左手で握ると、今度は左手で同じ動作をしたので、その手も握り、いわゆる両手持ち四か条という技でビシッと極めると、この大きな男はぴしゃっと床に這ってしまった。この兵士にとって運が悪いことに、当時の電車は木造で床には油が塗られていたので、顔から服までその油で真っ黒になり、哀れな姿になってしまった。
兵士たちはよっぽど驚いたのか、二人ともおとなしくなってしまった。
その時の日本人乗客全員のうれしそうな顔が今でも、剛三の目に浮かぶと言う。
また昭和22年正月の事だが、午後のまだ日が高いころ、親戚の家に挨拶に行った帰り、恵比寿駅近くまで来ると、交番に人だかりがしていている。剛三も好奇心で覗き込むと、若い奥さんとみられる女性がお巡りさんの前で泣いている。話の様子から、すぐ近くの路上で黒人兵に乱暴されたという。
いくら進駐軍でもそんなことが許されていい筈がないから「早くそいつをとっつかまえなさいよ」と剛三が言うと、お巡りさんは困った顔をして「なにしろ相手が進駐軍なのでね」と渋っている。
それを聞いて剛三が「私が捕まえるから、あなたはすぐMP(筆者注:Military police主に軍隊内部の秩序維持と交通整理を任務とする)を呼んでください」と言うと、お巡りさんは剛三をしげしげと見て「あなたが? そりゃとても無理ですよ。やめた方がよい」と親切のつもりでとめる。
剛三はかまわず飛び出すと、パンパンというビストルの音が聞こえてきた。その音の方を見ると6人ほどの黒人兵がいて、その中の一人が面白半分にピストルをかざして周囲を威嚇している。
通行の人たちはみな怯え、近くの店に飛び込んだりして身を隠すのに大騒ぎとなっている。
剛三は徐々にその男に近づいてゆくと、子供とでも思ったのか無視して背中を向けたので、この時とばかり駆け寄り、その背中に頭突きを食らわせ、振り向いたところを一撃、また一撃と、飛び上がるようにして思い切り手刀を加え、ひるんだすきにピストルをもぎ取り遠くへ投げるとともに、そいつを四方投げで地べたに叩きつけた。
その時、遠くからサイレンを鳴らしてMPがジープで駆けつけてきた。
さすがに彼らはMPには弱く、逃げる間もなく連れ去られていった。
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ところで、合気道は剣の動きも大切です。日野の地元は天然理心流道場勇武館があり、そこで古流を学び、また、天然理心流柔術の復元に努めています。
高伝館TAMA道場は針先生の合気道を中心に、それらの動きも取り入れています。
様々な武道には様々な勉強になります。
高伝館館主 針すなお先生に教えをいただく道場ですが、佐賀に本部をおいていますが、実は東京にも道場があります。
多摩市、保谷市、池袋、滝野川、所沢。非常に滑らかな動き、無駄のない合気道を学ぶことができます。
最近、合気道 塩田剛三先生の逸話を教えてもらいました。武道家の話は興味をそそられます。
【進駐軍のいたずら 】
昭和20年の終戦直後のことだが、この頃は日本人全般が虚脱状態になっていて、進駐軍(戦勝国であるアメリカ軍)と言えば、手出しができないような状態で、日本の警察もその横暴ぶりに手を焼いていた時代だ。
剛三の家は東京郊外の所沢にあり、当時はまだ武蔵野線といっていた西武線の終電車に乗って帰る途中、酔った進駐軍の兵士が二人乗り込んできた。
その兵士が車中の日本人一人一人の頭を突いたり、鼻の先に触ったりして面白がっていた。しかし誰一人それを制止することもせず、じっと下を向いて我慢している。
やがて兵士の一人が剛三の前に来て、「パパサン」と言いながら、右手で剛三の顔を撫でようとしたので、その手を軽く左手で握ると、今度は左手で同じ動作をしたので、その手も握り、いわゆる両手持ち四か条という技でビシッと極めると、この大きな男はぴしゃっと床に這ってしまった。この兵士にとって運が悪いことに、当時の電車は木造で床には油が塗られていたので、顔から服までその油で真っ黒になり、哀れな姿になってしまった。
兵士たちはよっぽど驚いたのか、二人ともおとなしくなってしまった。
その時の日本人乗客全員のうれしそうな顔が今でも、剛三の目に浮かぶと言う。
また昭和22年正月の事だが、午後のまだ日が高いころ、親戚の家に挨拶に行った帰り、恵比寿駅近くまで来ると、交番に人だかりがしていている。剛三も好奇心で覗き込むと、若い奥さんとみられる女性がお巡りさんの前で泣いている。話の様子から、すぐ近くの路上で黒人兵に乱暴されたという。
いくら進駐軍でもそんなことが許されていい筈がないから「早くそいつをとっつかまえなさいよ」と剛三が言うと、お巡りさんは困った顔をして「なにしろ相手が進駐軍なのでね」と渋っている。
それを聞いて剛三が「私が捕まえるから、あなたはすぐMP(筆者注:Military police主に軍隊内部の秩序維持と交通整理を任務とする)を呼んでください」と言うと、お巡りさんは剛三をしげしげと見て「あなたが? そりゃとても無理ですよ。やめた方がよい」と親切のつもりでとめる。
剛三はかまわず飛び出すと、パンパンというビストルの音が聞こえてきた。その音の方を見ると6人ほどの黒人兵がいて、その中の一人が面白半分にピストルをかざして周囲を威嚇している。
通行の人たちはみな怯え、近くの店に飛び込んだりして身を隠すのに大騒ぎとなっている。
剛三は徐々にその男に近づいてゆくと、子供とでも思ったのか無視して背中を向けたので、この時とばかり駆け寄り、その背中に頭突きを食らわせ、振り向いたところを一撃、また一撃と、飛び上がるようにして思い切り手刀を加え、ひるんだすきにピストルをもぎ取り遠くへ投げるとともに、そいつを四方投げで地べたに叩きつけた。
その時、遠くからサイレンを鳴らしてMPがジープで駆けつけてきた。
さすがに彼らはMPには弱く、逃げる間もなく連れ去られていった。
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ところで、合気道は剣の動きも大切です。日野の地元は天然理心流道場勇武館があり、そこで古流を学び、また、天然理心流柔術の復元に努めています。
高伝館TAMA道場は針先生の合気道を中心に、それらの動きも取り入れています。
様々な武道には様々な勉強になります。
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