ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

何年目?

2004-08-21 20:00:00 | 日記
またまた今日は、別話題で。
8月の下旬、この時期に恒例のものといえば、日本テレビの24時間テレビ。
この番組でいつも思う事が一つ。
募金を呼びかける番組であるならば、出演するタレントは、
ギャラなし若しくは必要経費のみであるべきだと思うのです。
募金を呼びかけるタレントが高額なギャラを手にするのは、
何か矛盾を感じるのです。
こんな気持ちを持つのは、私だけでしょうか?だって、
お揃いの黄色のTシャツを作って着るならば、
その分募金したほうが幾らも良いと思うし、
だいたいチャリティ番組でお金が動くのは、
ヘンじゃない?かと思うのですが・・・ 皆さんは如何、思われますか?

番組内で放送されるドラマにも、ちょっと意見があります。
今年のドラマは見ていないのですが、というか、見ようと思わない。
障害者を主人公にした、
お決まりの障害の受容~立ち直り~旅立ち・・・ではないようですが、
去年のドラマについてはメールの遣り取りをしました。
去年は、脊髄を損傷した若者のドラマだったようで、
同じCRPS患者の方(脊髄損傷)から立ち直り、周囲の理解、
合併症などなどキレイごとでは済まされないモノが幾つもあるのに
描かれてないし、現実と懸け離れているなどなど、
全く本質が描かれていないと・・・このような良い所撮りのドラマを見た、
何にも知らない人たちは、これが全てと謝った認識をする事になります。
私も自分がなってみてわかった事ばかりでした。
皆、自分が当事者になるまで他人事です。
ちょっと本題からはずれますが、プールや海などへの危険な飛込みによって、
脊髄を損傷する人も多いのです。
他の受傷は自分が気を付けていても防ぎようのないものですが、
飛び込みだけは防げるのです。
もっと飛び込みの危険性を訴えていく事は凄く大事な事だと思うのです。
24時間テレビの中で訴える。
それによって救われる人も居ると思います。

障害者を取り上げるのなら、表面ばかりのお涙頂戴でなく、
裏のもっと悲痛な部分も取り上げるべきです。
何かにチャレンジする障害者は素晴らしいのではないのです。
チャレンジ出来ないほど苦しんでいる障害者の方が、遥かに多いのです。
そうしなければ、挑戦する障害者=素晴らしい。しない障害者=ダメと、
何も知らない人は思ってしまうのではないでしょうか。

24時間テレビ、かなり放送回数を重ねているようですが、
もう一度チャリティとは何か?本質を考える時期では?
毎年同じ事のおしきせ。から、抜け出して欲しい。一障害者の意見です

小休止

2004-08-20 20:00:00 | 日記

いやぁ~、心残りを三日間引きずっていますが、今日はちょっとご休憩。
本日は、母Fと墓参りに行って参りました。
何処の墓かと言いますと、母Fの実家の墓です。
今日、二十日は母の父、祖父の月命日でもあります。
祖父は十九年前、八十八歳で亡くなりました。
祖母は私が生まれる随分前、
母が二十代の時に六十四歳で亡くなったそうです。

墓参りは仙台に行く前限、行っていなかったので三年ぶりでした。
母もこの間、墓前にも仏前にも足が遠のいていました。

母は、男三人・女七人の十人兄弟で下から二番目の七女として生まれました。
実家は、長崎県の南有馬町という、
十数年前に普賢岳の噴火のあった深江町に近い町です。
家は農家で、小作人は居ませんでしたが、
田も畑も山も持っており家も大きく、
戦中戦後も食べ物に不自由した事はなかったようです。

墓前にも仏前にも足が遠のいている理由は、
交通の便が悪い事もあるのですが、それよりも大きな訳があります。
今、実家を継いでいるのは一番下の叔父です。
今は、田も畑も山も売って農業はやっておらず、叔父は公務員でした。
叔父は腎臓を患っていて数年前から透析治療を受けるようになり、
六十歳の定年前に仕事を辞めました。
母は、結婚した兄弟の中で一人だけ離婚し、若くで身体も不自由になり、
経済的にも苦しい生活です。
ですが、母の兄弟は困っている時にも、
精神的にも経済的にも助けてくれる人は居ませんでした。
それどころか、蔑ろにされてきました。
私には兄弟が居ないので、兄弟に対する思いは解らない事ですが、
母にとってはとても辛い事だと思います。

実家から足が遠のいた直接の理由は、まだ私が入院している時に、
叔父から届いた手紙でした。
その手紙は、母が両親の法事に行った後に届きました。
その中には、母がまだ結婚する前、実家に居た時の頃の話し、
離婚の事、私が入院する時に借りたお金
(借りた4ヶ月後、保険金で全額返済しました)など様々な事に触れてあり、
母を批判する内容でした。
このような、意見するような手紙は、他の兄弟にも届いたらしく、
伯母たちは叔父に直接、抗議に行ったようです。
母は、「アンタが付き合いたくないなら、こっちも付き合いたくないさ」と
思う性分なので、それから今まで、一切付き合っていない状態です。

一人っ子の私は、母の兄弟を見てきて居ない方がまだ良い。
居る事だけで傷ついてしまうではないか・・・
今、残っている兄弟は、男二人、女は母を含めて四人、六人。
年齢も、八十代から六十代、亡くなるまでこの状態では、
母があまりにも不憫に思えます。


心残りpartⅢ

2004-08-19 20:00:00 | 日記

台風15号ですが、長崎地方は想いのほか降水量も少なく、
恵みの雨にはちょっと足りませんでした。

さてさて、今日で三夜連続となります〝あばばの青春物語〟・・・・
ソフト部の顧問は、当時20代後半の数学教師でした。
容貌は、若ハゲで小太りで松山 千春っぽい感じでしたが、
場所が女子高だけありまぁまぁ人気のある人でした。
顧問は、私情を公に出す人で、彼女と別れたと言って練習にこなかったり、
自分に好意を持っている足の速い人が居て、
その人を入部させる為に食事に誘ったりする人でした。
ソフトの指導は、何が何でも勝たないとダメ。
高校で初めてソフトを始める人が多く入部してくる為、
レギュラーと控えの実力差はかなり違い、
高総体後からは控え選手も技術が上がるような指導をするのかと思えば、
それもなし。
試合形式の練習ばかりするものだから、ますます技術の差が広がるばかり。
私が一番理解出来なかった事は、
レギュラーと控えの扱い方が全然違うところでした。
練習中も休憩中も、全てに措いて扱い方に違いがありました。
試合前は遅くまで練習するので、顧問がワゴン車で家まで
送ってくれることがありました。
車に乗れる人数も限りがあります、その時もやはりレギュラー優先。
本来ならば、家の遠さで決めるべきでは、ないでしょうか。
信頼できなくなって私は、顧問の矛盾点や考え方などが気になり、
それによりもっと信頼出来なくなり、
今まで自分が人一倍練習してきた事にも、
疑問を持つようになってしまいました。
怪我をしている時も、痛みがある時も、我武者羅に練習してきた
自分がバカらしくもなってきていました。
しかし、それでもソフトが好き、
ソフトなしの高校生活は考える事は出来ませんでした。
その気持ちだけで練習していました。
いやぁ~、まだまだ話が尽きませんねぇ。
わたくし〝あばば〟にこの話しをさせると長くなるんですよねぇ~
まだまだ「つづく」でございます。


心残りpartⅡ

2004-08-18 20:00:00 | 日記
こちら長崎は、台風15号の影響により風と雨が激しくなっています。
風は余計ですが、大袈裟でなく本当に数ヶ月ぶりの本格的な雨で、
ちょっとホッとしています。
しかし「過ぎたるは及ばざるが如し」この雨による
豪雨被害が出ない事を祈ります。

さて、昨日の続きですが死に物狂いの努力が実り、
県高総体でベスト8まで残る事が出来ました。

私は、打撃は幾ら練習をしても最後は、センスが必要なモノ。
しかし、守備は自分の努力の結果がそのまま成果に繋がると思っています。
私は、体格には恵まれていましたが、
センスは特別に持ち合わせていないと自己分析していました。
ですが、打撃もコツコツと努力はしました。
ボールが見えなくなるまで練習して、家に帰っても素振り。
試験期間中も最低でも1日に1回は、バットを振り、
一人壁を相手にキャッチの練習も欠かさず行ないました。

高総体も終わり、私の気持ちに変化がありました。
死に物狂いの練習をして身に付けたファースト、このままファーストを守り。
キャッチャーは控えでも良いと思うようになっていました。
気持ちが傾いていた私、もしこの話を耳にしなければ
辞めなかったかもしれません。

高総体が終わっても顧問は、
守備の入れ替えをするような素振りも見せませんでした。
部活が終わったある日の部室で、同じ2年の2人組が
言わなければ良い事を私に言ってしまったのです。
顧問が1年生のキャッチャーに「"あば〟がキャッチャーしたら来年、
ベスト4に入れんけんこれからも
おまえがキャッチャーをしてくれ」聞きたくなかった、こんな話しは。
こんな事を考えを持っている顧問、話す必要もない、
話す事で私がどういう気持ちになるのか考えずに話した2人・・・
顧問も1年生に話す前に私に話して欲しかったし、
そんな事を思っているならば、
最初、私にファーストをやれと言った時に
キャッチャーに未練を残すような事を言わないで欲しかった。
この事で100%信頼していた顧問を信頼する事が出来なくなりました。
それにより、今までは気付かなかったし気付く事のなかった事が
気になるようになりました。

今日はこの辺でお暇致します。
つづきは明日以降という事で。では、おやすみなさいませ

そうだったんだぁ・・・

2004-08-16 20:00:00 | 日記
Field back surgery syndrome」これが何だか判明致しました。
正解は「Faild back surgery syndrome」でした。
もう自分では如何調べてよいか、お手上げ状態だった為、
CRPSのメーリングで教えて頂きました。
そりゃあ、見つけれない筈です、
間違っているのだから・・・
判明した事は、直訳すると失敗した後部外科症候群で
略称をスペルの頭文字を取ってFBSS
病態としては、腰椎手術を受けたにも関わらず、
残存する腰痛や下肢痛などの症状が持続する事。

腰椎の手術をして4年経ちましたが、
今までCRPS typeⅠ としか診断されておらず、
この4年間FBSSと言われる病名など、聞いた事は一度もありませんでした。
それに、CRPSFBSSの違いは何処にあるのか?
いつの時点でFBSSと診断されたのか?
平成12年の1年間に2度受けた腰椎手術の
どちらにどのような因果関係があるのか?
仙台の神経内科で指摘のあったように、
運動麻痺・知覚麻痺・神経因性膀胱・直腸機能障害などの症状は
やはり、硬膜外膿瘍が起因がしているのか?

FBSS
という病気がわかり、病気に対する不安は解消されましたが、
疑問は大きく残ります。
麻酔科の主治医は入院中からもインフォームドコンセントに対して消極的で、
患者を蔑ろにしたような感じさえ受けるので、
医師が如何いう事を思いFBSSという新しい病名を付けたのかが
疑問でなりません。
それに仙台で硬膜外膿瘍が今の状態に大きく関わっているという
診断が影響しているのか?など考え出すときりがありません。

FBSS
をネットで検索してみると根本的な治療はないようですが、
脊髄刺激療法が有効であるという記述があったり。
または逆に効果は芳しくないと書いてあるものがあったり。
エビドラスコビーが比較的有効とあるなど、
この病気もまだまだはっきりと確立した病気ではないようです。
しかし、エビドラスコビーも施行しましたが
その後の硬膜外造影では効果が認められませんでした。
脊髄刺激療法にしても、入院中に医師間のカンファレンスでは
取り上げられたようですが、患者である私にまでは話される事はなく、
その後の外来受診時に脊髄刺激療法の事も考えてみて良いかもと
言われてましたが、その話しも一度きりでした。

CRPS
・頸椎,腰椎椎間板ヘルニア・キアリ奇形・脊髄損傷の疑い、
これに加え新たにFBSS
幾ら病名が増えようと、今の医療技術では
確立された治療法もないものばかりです。
しかし、自分の罹っている病名を知る事だけでも、
病気を抱えて生活しなければならない私にとっては、
大事な事であると思います。