5月24日(水)曇り
津軽では今、田植えが真っ最中である。黄緑の苗が水面に規則正しく並んで植えられ、風になびいて美しい。
田植えの時期に間に合うように南からやってくる燕たち。水田に水が張られると、ちょうどその柔らかな泥を使って巣ができることを知っているのだろう。
そういう技術の継承は、燕たちはどのように学ぶのだろうか?
やはり遺伝子DNAのなせる業なのだろうか。
法人の園地の草刈りを、この二日間続けている。それにしても、この二日間は真夏日である。
雨がいつ降ったものなのかもわからなくなるほどに、地面はカラカラである。
私は皿洗いと草刈りには共通性があると思っている。その共通性とは、心の浄化=カタルシスである。
汚れているものや生活を脅かすものを除去することによって、その除去後の視覚的な処理の完了による
心の平穏が広がっているのを確認できるのである。
しかも誰もやらないことを、自分が行うことによって生まれる役割の実感もそこにはある。
誰かに褒めてもらいたいからやるのではなく、自分にできることをやるという類の方が近いかもしれない。
このところ自分の筋肉は衰えているのか、少しの作業でも結構あちこちの筋肉痛が自覚できる。
昨日は腰が痛くて、何度も休憩せざるを得なかった。昨日までようやく5日間自転車で移動しているが、この1週間が
身体の基本的な筋繊維が出来上がるのだと思う。
燕(つばくら)の給餌忙し田植えかな
津軽では今、田植えが真っ最中である。黄緑の苗が水面に規則正しく並んで植えられ、風になびいて美しい。
田植えの時期に間に合うように南からやってくる燕たち。水田に水が張られると、ちょうどその柔らかな泥を使って巣ができることを知っているのだろう。
そういう技術の継承は、燕たちはどのように学ぶのだろうか?
やはり遺伝子DNAのなせる業なのだろうか。
法人の園地の草刈りを、この二日間続けている。それにしても、この二日間は真夏日である。
雨がいつ降ったものなのかもわからなくなるほどに、地面はカラカラである。
私は皿洗いと草刈りには共通性があると思っている。その共通性とは、心の浄化=カタルシスである。
汚れているものや生活を脅かすものを除去することによって、その除去後の視覚的な処理の完了による
心の平穏が広がっているのを確認できるのである。
しかも誰もやらないことを、自分が行うことによって生まれる役割の実感もそこにはある。
誰かに褒めてもらいたいからやるのではなく、自分にできることをやるという類の方が近いかもしれない。
このところ自分の筋肉は衰えているのか、少しの作業でも結構あちこちの筋肉痛が自覚できる。
昨日は腰が痛くて、何度も休憩せざるを得なかった。昨日までようやく5日間自転車で移動しているが、この1週間が
身体の基本的な筋繊維が出来上がるのだと思う。
燕(つばくら)の給餌忙し田植えかな