今日はこんな日 ~日々是好日 

富士は晴れたり日本晴、そんな清々しい心持ちで毎日過ごしたいものです

白旗神社の琵琶奉納

2018年05月30日 01時03分30秒 | 公開

気晴らしに30分程度散歩

国宝館見学に行くつもりが月曜日は休館だ。

白旗さまの例祭 琵琶奉納の様子。 平曲の治承・寿永を彷彿とさせる音色を堪能することもなくお参りして帰宅。

池に蛇が泳いでいる!

こんなふうに泳ぐのかー。

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GW帰省 復路

2018年05月05日 16時40分20秒 | 公開

法事ならびにお墓参りの帰省の帰路、

駅旧舎の再開発だろうか、レンガが解体されている様子はまるでローマ古代遺跡の発掘現場のようになっていた。

スペースワールド駅という名前はまだ残っている、それどころかシンボルのスペースシャトルも。

隣りにあった大観覧車は中心を残してほぼ撤去されていた。

 以前、アジア太平洋博覧会のときにも、観覧車は再利用が可能だった。この観覧車もどこかで再建されるのだろうか。

伝統の駅弁。駅のホームで購入して、あぶなく乗り遅れそうになる。

この弁当購入にお釣りが発生してたら目の前で乗り遅れたかな。

 能古島の甘夏柑?

「CHU-HI」? チュウ-ヒってなんだ?能古島のブランドか??

しばし悩むが、チューハイということだと思い出した。誰かに聞かなくてよかった。

 酸味もあり美味しかった。それより、地元の海を渡った能古島から商品化されたのが嬉しかった。まあ、甘夏が能古名物なの自体まったく知らなかったけど。

 地獄の往路(自由席で広島まで立ちっぱなし) 同僚がたまたま乗っていたので新大阪まで話をして時間が潰せた。

復路の新幹線。一旦博多に戻って始発で自由席を考えていたら、小倉からグリーンが取れた。これで時間も大幅短縮。それでいて快適。

しかもそれほど混んでいない。いや、全く混んでいない状態で進行した。もっとも新神戸、新大阪を過ぎたあたりでドッと人が増えたのだが。

 

自分はこのコンビナートは水島石油化学コンビナートだと思っていたら、実はここ。まだまだ山口県だった。

いつもこの工業地域は水島だと思い違い。答えは周南だ。

夜はライトアップ?がきれいだったはず。

遠くに淡路島が見える。

明石海峡大橋を撮ってみてもよくわからず、新幹線の速度に合わせられない。

グーグルマップの動きが悪く、気がつけば、大井川を越していたり、

富士川を越していたり。

写真を撮って地理の勉強に役立てようという目論見は潰えた。

品川ではなく新横浜からJR横浜線で乗り継ぎ、少しくたびれたがその後は楽に鎌倉到着。

 京急バスを乗り過ごし観光客で埋め尽くされていた二ノ鳥居付近から若宮大路を歩いて帰宅。

今日の鎌倉は人が多い。

なんとか明るいうちに帰宅することが出来た。

今日はこどもの日だ。

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和田家のうどん

2018年05月04日 17時45分46秒 | 公開

永犬丸のうどん屋さんがとても美味しかった。

九州のうどんはさぬきと違い、柔らかい麺が特徴。ここのお店はかつおだしがきいている。

また名物のごぼう天、スティック状で、巨大なごぼうが入っていた。しかも二本。ごぼう天を頼んだら倍の四本入っているらしい。

三時には一旦閉店。

さっき入った人は、もうそばしかありません、と言われていたので、ぎりぎり間に合ったというわけか。

美味しいけど、かしわめしも頼んだので、完全に食べ過ぎた。。

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畑にて

2018年05月04日 17時09分55秒 | 公開

お墓参りの前に、畑で豆を収穫 なんという豆だっけ・・

そら豆ではなく・・だだちゃ豆ではなくてインゲンマメのひとつだが。

 若いさやを食べる豆。

豆が大きくなると美味しくないようだ。

 これはじゃがいもの花?

玉ねぎも育ってきていた。

去年は小ぶりだったようで、二年目の今年はどうなるか。

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こちらが菖蒲

2018年05月03日 14時57分41秒 | 公開

うちで咲いているのは花菖蒲(はなしょうぶ)というのを確認した。

実家の入り口に咲いていた、これが菖蒲(あやめ)。

そんなに大きくない。花菖蒲と比べてみると、こちらのほうが自然に見える。

 

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GW庭花 何れが菖蒲杜若

2018年05月01日 17時34分28秒 | 公開

例年より早くツツジの見頃は過ぎ、紫蘭が咲き始めた。

これも去年より早い開花。

そしてもうひとつ。

数日前から花菖蒲が咲いている。

毎年1,2本しか咲いてくれないのだが、とても迫力のある花。

いずれがあやめ、かきつばた

しかも菖蒲と書いてあやめとも、しょうぶとも読む

大きく分けて花菖蒲、菖蒲(あやめ)、菖蒲(しょうぶ)、杜若(かきつばた)

菖蒲(しょうぶ)はサトイモ科で別物。葉っぱがにているだけ。花も咲くことは咲くけどきれいな花ではなく咲いているかどうかわからない小さな花らしい。

(出題されるとしたら、このサトイモ科というのが気になる。)

他は3つとも“アヤメ科”アヤメ属

はなしょうぶ(花菖蒲) の由来は、葉が剣のように尖っているところが菖蒲に似てる上、花を咲かせるから。花弁の元のほうが黄色がかっている。ちなみに杜若は花弁の元は白くなっている。

あやめ(菖蒲) は剣状の細い葉が縦に並んでいる様子が文目(あやめ)模様。花基部の網目模様が特徴。

 

咲く場所も違いがある。

水辺で咲いているのは杜若か花菖蒲。あやめではない。

乾いた畑で咲いているのはあやめか花菖蒲。杜若ではない

このようなヒントが出たりして。

さらに言えば、

背のたけはあやめが一番背が低い(30~60cm)、杜若が中間(50~70cm)、花菖蒲は背が高い(80~100cm)。

花の大きさは花菖蒲が大輪、あやめが小輪、杜若が中輪。

ではうちのはどれかといえば庭、100cm、大輪ということで、花菖蒲だろう。

 

可愛らしい芍薬もそろそろ蕾を開いてくれそうだ。

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東京見学 湯島聖堂 神田明神 靖国神社

2018年05月01日 16時41分28秒 | 公開

湯島天神様から湯島聖堂へ

 

寛政異学の禁により、儒学はこの昌平坂学問所で武士の学問として定着したようだ。

儒学者林羅山からの林家図

 徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。これが現在の湯島聖堂の始まりです。その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

現在の聖堂は関東大震災後によって倒壊、これを岩倉具視、谷干城が発起人だった斯文会により復興したもの。

今では昭和11年に鉄筋で復元され 一部のみ残されているが、往時は相当な敷地面積だったろう。医科歯科大学のほうまで広がっていたのだろうか。

 

黒の建物と瓦の緑が美しい

御茶ノ水駅の喧騒が嘘のような空間がひろがっている。ちなみに御茶ノ水駅につながる橋のことを聖橋というが、この聖堂の橋だからか、と今更ながら知る。

厳かな大成殿

 

孔子廟らしく、中華の雰囲気

そんななか頭の中ではレッド・クリフのテーマが流れている。

湯島聖堂から秋葉原方面に、明神坂を下れば神田神社だ。

明神門から神田明神へお参り

毎年仕事始めに参拝していたのを想い出す。確か、出産祈願もしたなぁ。

そろそろ江戸三大祭りである神田祭も近いはず。

銭形平次の石碑もあった

開運招福を願います。

 

明神様にお参りの後、中央通り、靖国通りから靖国神社へ

大村益次郎像

上野戦争の行方を眺めている姿とか、上野の西郷さんと対峙しているとか。

 

桜の標本木

ここのソメイヨシノが咲くと、東京は開花宣言となる。

もちろん遊就館にも足を運んでみた。戦争の悲惨さを肌で感じ恒久的な平和を祈ること、入館料大人1,000円。

帰るまえに日本橋を見て帰る。

日本橋の麒麟

 日本橋川を望む

今いる場所に築地に移る前まで魚河岸があったんだよ。佃に住んでいた漁師が獲った新鮮な江戸前の魚はこの運河の日本橋川を渡って魚河岸まで届けられていたんだって。

 本当の江戸前の魚はここでしか手に入らなかったようで、それ以外は房総で取れたものもあったようだが厳密に分けられていたとか。

 陸路をつかったりして届くまで時間のかかる雑魚は砂糖と醤油を使って佃煮にして売っていたんだということをラジオで聞いた。

 しかも一般人は買うことができない。一部の仲買人が幕府に献上した上物以外をおろしていたんだと。

 こちらがわには魚河岸、対岸には米蔵がならんでいたとか。そんな歴史を感じるところは全く無いけれどね。

 

確かに猫とライオンは同じ系列だとはいえ。。雄々しいライオンがいきなり猫に変わっていたら笑える。

ねこまつり?

 

 東京駅、さっきは丸の内口に寄り、今度は八重洲口。駅としてはこっちのほうが驚くほど変化しているように感じる。

通りを渡れば飲食街だけど。

 まだまだ見物したいところだが、地理感のある小馴れた自分はともかく、ふたりとも疲れてしまったみたいで今日はここまで。

 

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弥生二丁目遺跡 東京大学 

2018年05月01日 15時52分27秒 | 公開

東京大学の工学部にある弥生遺跡

文京区弥生という地名から弥生遺跡となり、そしてそれが縄文時代と一線を画する土器や環濠集落の跡であったことから

弥生時代と命名された。

それがまた東大生らが発掘してたら見つかったというのが面白い。 

東大は本郷・弥生・浅野と別れており、弥生といえば、農学部。農学部の構内に当然あるものだろうとおもっていたら、

実は隣の工学部浅野の敷地。

農学部 弥生キャンパス

農学部の上野教授と忠犬ハチ公

工学部に入ってみるが。。看板もなにもない。そのまま勘で歩いてみると、発見。構内のまったく辺鄙な場所にある。

まあ工学部で考古学というのもアウェー感が漂うのだが

見つけて納得、工学部には全くの異物のせいか、まったく手がつけられていない。手の施しようがないような草地。

歴史的に意義深い遺跡でもあることなので、もう少し人の目に付きやすいように整備してくれても良さそうなものを。

 弥生式土器の欠片、当然見つからず。

 

 

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