myカフェーで、昨夕テレビを見ていると
「萩往還」として、我が家から一キロほど離れた河原にある
“不思議な岩”を紹介していた
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ネットで調べてみたら
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萩往還は、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれました。日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53km。
江戸時代の庶民にとって山陰と山陽を結ぶ「陰陽連絡道」として重要な交通路であり、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしました。
萩往還には、人馬の往来に必要な一里塚や茶屋跡、通行人を取り締まる口屋跡が残っています。大部分は国道や県道、公道として現在も利用されていますが、起伏の激しい山間道の中には廃道となったものもありました。そこで、近年これらを保存し、後世に伝えていくために整備が進んでいます。
幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたのでしょう。
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と載ってます
ある夫婦はこの「萩往還」を歩くことを目標にしているとか
良いよねえ
歴史を振り返りながらの
徒歩旅行か
いつか歩いてみたいものです
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さらにこの歴史ある一軒の家は、ショッピングの途中にあるけれど
何の家なのかなあと思っていたら
テレビでは400年続いた、山口名物の「福田外郎(ういろう)店」
だそうだ
お客さんが、この縁側に座ってお茶を頂きながら
外郎を待っていたようです
すごく古い!!!
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そんな事を考えていたら
昨日も鳶の飛ぶ姿が見られたが
今日の散歩では電線に止まった『鳶』がいた
春という感じだなあと思う