やっぱり、悪化していく感覚は有る。
纏まらない感覚もある。
日本には、か。ともかく「朝日新聞社」その社主を頂点とした、コンテンツの統制構造が存在していて。その頂点が誰に成るか?は、その影響範囲”全体”の方向性に大きな影響を及ぼす、そんな事態が有った、密かにだ。コミックマーケット等であっても、その例に漏れない。コンテンツで有る限り、日本では、この影響を無視する事は出来なかった。ちょうど、新型コロナウイルスが危険である!と報道されたら全体が”それ”に対して統制された、様な…その位の影響力を、”ここ”もまた、コンテンツの領域に持っていた訳だ。
平成が始まる際に、約30年前だ、”この”否定を「王の権威」が受ける事に成ってしまった。「黄昏の狩人」と言う些細な創作を足場に、或いはアメリカ側の意向も背に、”業界”はそれまでの王、昭和天皇、「王の権威」を否定する事に成った。問題はその「黄昏の狩人」が盗品で有り、この結果として、この統制構造その物が利益性を失った事に、この時点ではほぼ誰も気づいてない事だ。”これ”を可能にしたのが例の「新聞記者」に通じるそれではあり、その後それは、この構造に、強い影響力を持つようになる。
…ここもまた、今も、自分の主観による把握でしかない。
最初の頃は良かった、その統制構造により「それは要らない」は、安直に設定出来た。「なんか知らんけどダメだって」新型コロナウイルスにしろ、恐らく影響は無かっただろう些細な地方の集まりにも、今でも安直にダメ出しされる状況はあり。”これ”と同じモノが、或いはネット等のカウンタ数値として反映している時、「カウンタ数値が低い」事はつまり、”それ”は新型コロナウイルスに罹患する可能性があります、位の意味に成ってる訳だ。「黄昏の狩人」を盾にして、統制構造の頂点に座ってしまった連中は、自分らの都合よく、本来の「黄昏の狩人」の作者を否定する事は容易かった。
ただ、この結果、次第に「許可するコンテンツが利益性を持てない」と言う、奇妙でさえ有る壊滅的な事態が始まる事にも成ってしまう。アメリカ等にとっては、別に問題となる事態でも無かったのかもしれないが、ハリウッド作品も結局は、この辺から精彩を欠いて行く様に成る。「王の権威を否定してた」と言う事態は次第に、あらゆる挑戦を無視し、世界その物の衰退をも招いて行く訳だが。利益性を目指す時、”そこ”にはほぼ必ず王の権威、それは居る。”それ”が確認された時点でそのコンテンツは潰された…、そんな経緯を暫く繰り返した。この事態は、奇妙に”この体制”を残したまま、次第に改善?されて行く事にはなる、「利益性を持てない」時、流石にそれは立場を悪化させる。結果、「王の権威」その意向がじわじわ、内部へと浸食していく事には成る、が。既存の環境、「王の権威を否定した首謀者ら」はもちろんその改善を強力に否定し、アメリカのインターネットサイドもまた、その味方とは、成る。衝突する思惑は、もちろん「王の権威」を否定したまま、だ。体制を維持する、と言う時、”この”スキャンダルに近い事態が表沙汰になる、それは否定される事態だった。
「王の権威」を抑止する為に、情報は念入りに否定され曲解された訳だが?
ただそう言うコンテンツが精彩を欠き、凶悪な喪失を発生させていくそれも現実で。
打開される過程で様々、被害や犠牲それは出ている事には成る。
「王の権威」それを否定したまま、だ。
現在の状態なら、”ここ”は単に低カウントの、矮小ブログに過ぎないのだ。
業界の情報と接点が無ければ、その報道に信憑性も無い。
協力者も居なければ、一人ではほぼ何も出来ないのだ。
かくして現状、視点では問題は、「朝日新聞社の社主を巡る醜聞」と言う部分に集中はしている、と言う気はする。”それ”は或いは重大な過失を隠し、同じような事態を呼び、無視出来ない損害を背負い、否定されて行く訳だが。「体制を護る」と言うそれを前に、その元凶に近い「新聞記者」もまた、「王の権威」よりも優先される存在としては、そこに有って。その処遇を巡り、妙な混沌は渦巻いてはいる。
「王の権威」それを否定したまま、だ。
感覚では嫌な事態だ。自身の構築するセーフティネットに、「その元凶が住んでいる」のだ。強姦致死し、それを罪に問われなかったと言う存在の処遇、そこまで自身の構造は想定していた訳じゃ無く。今はただ「大賀さん」その決定に依存する訳だが。”それ”はまあ、何かの否定か野党の反発かの様に、問題をそこに提起してくる。
強姦魔であっても、”それ”を死刑に出来るのは、司法による決定でしかなく。
その時その存在は、明確には罪は無い。大きな損失を出しただけだ。しかし。
「私を特別扱いしろ!」と言うのも、結論ではグロテスクな要求である。
ただ、理不尽さは、如何とも。