あげちうのブロマガ

道理と過去と現実と

気持ち、面倒が残る。

先輩方が、居る。
ただ、もう利益性は無い。
だから。

その時しかし、そこに居るのは何か?と言うと、内田裕也のコピーみたいな連中だ。
その是非、ではある。

そして或いは最大の面倒が、その「先輩方」の中に、ビートたけし氏も居る事だ。
内田裕也氏に「仕事して下さい」とか、そんな徒労に何処までコストとストレスを許容するべきか。
テレビは、それで良いかもしれない、しかし。

ゲーム業界は少なくとも、”これ”では利益性が全く無い、”損害だけ”だ。

そして、テレビはスポンサー収入によって成り立つ。
テレビは、何を要求してくるか?

「利益性の無い仕事はする必要が無い」それが、自身の主張ではある。
それを容認する時?しわ寄せは末端を潰すからだ、皇帝が発生する要因の一つになる。

と言う感じで、「そんな仕事は嫌です」それを言う時。
末端の一部?特に古くてそして赤字な場所程だ、”それ”では廻らなくなる。

道理でしかない。しかし。
今までずっとそれで廻してきたのだ、そして中国は正に今、それである。
日本の十倍はある人口がそれを選択する時、日本は弱い立場には、ある。
毛沢東はそれでも偉人だったのだ、数百万以上の自国民とかけがえの無い歴史と文化を生贄にはし、中国の歴史に重い後悔を残しはしたが。


自身の立場は、最上位?で有りつつ、現状でも、最下層に有る。
結局、「その狭間に居る」訳で、脅威、問題、それはダイレクトに感じる訳だが。

あれだけ内田裕也氏が愛されつつも、しかし、家族にとっては厄介な存在でしかなく。
樹木希林さんはそれを容認し続けたにせよ今後、彼の様な存在を認める事は出来ない。

昭和は終わったのだ。
だから。

その時、ゲーム業界で有っても、「先輩方」の多くはもう、要らない。
その是非、だ。

「使えない奴は切り捨てるしかない」訳だが。

”それ”は、果たして、「人間ではない」或いは何かのイメージに過ぎないのか?だ。

国家は一社で成り立ってる訳じゃない、が。
スマートフォンはかつて、”それ”を目指したのだ。

まだ、残る?

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