あげちうのブロマガ

とある想定とそんな危機感

自立できるかどうか?と言う事なのだが。

状況として、かなり難しい事態ではある。

実際には「自立」と言うのは有り得ない、社会性を無視して生活は成り立たないから、だ。環境の中に「仕事」を見つけ、そこに安定的に自分を置けるのが感覚での「自立」ではある、が。その環境が麻雀のままでは、「いつか誰かはハコテンに成り消える」のだ。その誰か?に成らない様にしようとしたら、新人とは格好のカモに過ぎない。もちろん結果、新人が入ってこなくなり、環境は老いて衰退していく訳だが。

世界全体が陥った事態、だ。この中でどうにかしようとしたら?他者の事にまで構ってる余裕はない、その窮乏する当人以外は、だが。

窮乏する当人にしろ、打開する方法とは「世界その物を変える」と言う様な、ちょっと実現可能性が低すぎると言うか、荒唐無稽以前の話には成ってしまう。繋げれば、ゴミ屋敷問題とは、”その事態を”打開出来ない人々が陥った状態の事ではあろうか。因果の結果ではあるかもしれない、自身が言った言葉の、その責任を問われているのだ、その結果、ハコテンから脱出できなくなる。

「大衆は神である」それもまた、何かの責任?を負ってしまっている気は、する。

「昔ながらのゲームセンター」を、現状で継続するのはほぼ不可能、だろう。インカムの期待できるゲーム、それがほぼ無く、古いそれでは集客力に限度がある。結局?は、その「麻雀でしかない環境」それを生き抜く術!みたいな物をネタにする結果で、自身がハコテン化した訳だが。良くも悪くもアミューズメント施設化した中で、もしくはゲーム以外での収益、”それ”に依存する。とは言え、”環境その物は変わってない”のだ、プライス物も果たして、何時まで利益性を維持し得るモノか。

”その”ゲームセンターは、社会から切り捨てられてしまった、様な。

「これじゃダメだ」そして、その代替えシステムは提案しているし、或いは実績の様な物も出ているが、「それは麻雀じゃない」と言うノリで、”それ”は今の社会その物から今も排除されている現状は、ある。その基幹に、或いはジャニーズ事務所があり、自民党があって、公明党の影がちらつき、しかしメリー喜多川女史が居て、しかし。そこが待っているのは「昭和天皇の声」だ。それはもう居ません、と言う説明は彼らに届かない位、何かは歪んでしまっていて。

ともかく全くその通りだ、お前、自分が昭和天皇のつもりか?身の程を知りなさい。

高齢化社会、今もまだ、”これ”に、「経済的にも依存している」現実は有るのだ。

老人らに、何か罪が有る訳じゃない、懸命に身を粉にして働く結果で歪んだ果てに、そんな変質を起こしたにすぎず、我々?は、そんな彼らの血肉を食って今が有るだけだ。”彼ら”を切り捨てる様な真似は、何かの物理が許さない状況はあり…その中で、奇妙な危機感だけは、押し迫るのだけど。

平成の初めに間違えた?対価は、ちょっと理不尽に大きすぎる気もする。


内容に対して、簡単な一言が有る。

漫画ですから。
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