あげちうのブロマガ

武士は食わねど高楊枝の限度

前提の問題だ。

「正義は勝つ」か?と言う事だ。

自分の言ってる事と、そしてその後に関しても、それがまず問われるし、それが通らないなら、自分を救う事は出来ない、現状はある。

通ってますか?

30年以上前だ、或いは「お、このガンプラ使えるわ」と、自分の”それ”を生贄にしようとした奴が居て(それが結果として相手の破綻を産むとしても、だ)。結果論ではそれは上手く行かなかったが、ともかくその本来の所有者は、あげちうは「王の権威」として、状況に隠蔽される事に成った。その後、それは30年以上も、世界から否定?され密かに利用され続ける事に成る、自分の創った物?が、或いはインターネットの土台にされたにも関わらず、だ。様々な混沌は始まる、「何故、王の権威だけが!」はもちろん問題視されており、利用していた筈のそれはやがて排斥し敵視さえする様になり、結果で状況は悪化を極めていく、世間は不景気になり、危機感は増大し、しかし、やがては「王の権威」を偽って名乗ってた存在が消え、背後に居た存在もまた居なくなり、本来の元凶が見えてくる様になって、今はしかし、状況の改善の為には、親の世代を、親その物を否定しかねない、そんな事態。

・・・正義は、何処に有るのだろう?

”こういう話”で、常に感じる事だ。「なんで最初から」そもそも邪悪を蔓延らせるな。主観での道理が通らない現実があり、それの打開は逆効果に成る場合があり、人々に絶望しつつ、或いはミイラ取りがミイラに成っていく、そんな理不尽があり。

神様は何してんの?

「大衆は神である」その思想の期待としては、”それ”が理想のそれである、事だ。そこの意向を重視する時、その先に混沌は無い、道理に満ちた、カルトの支配に惑わされない理想が有る筈。「ともかく売れれば良いんだよ」結論で言うとそこに至った思想?は今も。

「売れましたか?」

その視線に対しては少し、目をそらしては居る。

ともかく追及?の結果、旧ナムコの「システム2」そのゲーム基板が現状の鍵を握っており?それはあげちうがかつて作っていた「ブルーガンダム」それを密かに下敷きにしていた。平成という時代は、”ここ”を足場にしてしまった、感じで。パクった存在は今の今まで”それ”がバレなかった、と言う様なスキルの持ち主ではあったがともかく「なんで売れないんだ」の末に、その辺はようやくか発覚?はし、責任を問われ、30年後の今、ようやくか排除された。形而上は「システム2」それは、あげちうの意向を満たす為にあるボード、というニュアンスになり。調整がある、あげちうの「利益を期待しない公示された創作」は、”そこ”なら誰でも?無償で土台にしていい、逆に”それ”しか土台に成らない。そこからネタを取らないとこの場では利益性が期待出来ない。そこはでも、それが平成が及ばなかった、昭和の頃にあった「理想の創作環境」だ、実際は理想とは程遠いにしろ。ともかく平成で出来なかった事は今、或いは具現化しようとしている。

”その”ボードが発生させる利益の中から、「王の権威」である自分は、一文字10円を得る、権利がある、筈なのだ。

この「内側」が嫌なら、「外側」ストリードの連携、その環境が有る、そこなら「王の権威」等と言う絶対者は居ない。ただし、権利関係は五月蠅く、「仕事」と言う形式を取らない限りは、利益性には遠い。逆に、内側よりも遥かに自由?はあり、平等はあり、利益性も大きい。「内側」はあくまでも、古いシニア世代、それを破綻させない為の、そんな環境かもしれない。

一つの結末にはある。

何度目だろう?

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