あくまでも個人的な把握だ。
「ショートサーキット出張動画版」で、「価値」を発生させる。発生した「価値」は全方位へ広がるが、それは「上限」に衝突し、そこで対立が発生する。対立は「大賀さん」紛争解決機構で処理され、そこには「結果」と言う”新しい何か”が残る。それを”ここ”で抽出する事で、それは換金性を持つ、状態。
その結果を元に、また次の「ショートサーキット出張動画版」を創り、そして。
”同じ”モノが二つ衝突し、消滅、二つ分のエネルギーと、「結果」という”新しい一つ”がそこに残る。二つ分のエネルギーはやがて新たな”新しい一つ”を形成、それが前の一つと次の衝突を始める、というループは、太陽で起こっている核融合の如く、ではある。という事なら?それは続ける限りは永久機関の如くには成り得る、訳だ。把握の中では、問題は起きていない。
今日は寒いですね。
一人で?「そうか、そう言う事かリリン」とか、何だかだんだん不安しかない。
ストレスその物は、大分軽減しつつはある、気もする。物理的な限度がある、「薫風と菫の動物園」そこに陥ったら”終わり”だ、脱出は出来ない。可能性だけを信じ、牢獄の中で死ぬまで努力し続けると言う、そこには主観での安堵感はある。ただ?これは結論で言えば風俗の否定ではあり…今後は本当に、風俗産業、それは消滅してしまうのかもしれない、売春は商売として必要が無い物、だ。
その代わりを、ゲームセンターが担えるか?は、違う未来としてはある。
結局、自身から、「王の権威」から発生する「過剰」を受け止め、お金に変えるモノ、それとして「システム2」と言うゲーム基板はある、あった、訳だが。それがそう言うコンセプトなら?それは今も必要な物としてはある、訳だ。ここの独裁性、それを吸収し得れば?世間に有る問題はその当事者らに問える。ゲームセンターは必要なモノとして、或いは売春婦の代わりとして、それは存在を要求される訳だ。良くも悪くも、時代を30年は戻して、バグを修正してやり直す、そんな状況なのかもしれない。
ともかく命題だ、「人力発電機は有るのか?」だ、それは働けばお金が出る、そう言う仕様なのか?それは物理的な話として、結果を見ないと解らない。疑問とその返答、最終的な帰結は成り立ってる、感じもある。しかし、或いは飯塚幸三氏は、「一歩100円」と言う同じような理想?を提言し、その果てに、”あの”結末に成ったのだ。
”ここ”がそうでないと言う、根拠は?