久しぶりのアーロン記事ですが気になったので今日はこれ。
アーロンはネットでいろいろと環境問題についてもファンと一緒に考えたりと
そんなことしているのですが、どうもある学校の先生が「どうしてあなたのアーロン先生は
一般人が関心持たないような議題を取り上げてるけど、それは搏版面になりたいの?
搏版面→これどうしても意味が出てこない~
搏は掴みかかるとかいう意味があるようなので、食って掛かるとかそういう意味なのでしょうか?ハテ?
いずれにしてもアーロン自身は自分にとって重要だなと思うことをただFacebookに放ってるだけであって
というところでしょうけどもね~。しかもこの学校の先生からこんな偏見的に言われたのは初めてではなく
以前は自分は「沈黙」を選択してたけど、この混乱の時代に沈黙するというのは良くないと思ったのかな
それで今回の発言になったんだと思う。このなんだ先生の一方的な偏見による抑圧的な考えで
生徒を頭から押し付けるという事に対してアーロンは(´・ω・`)ガッカリ…してるんでしょうね。
たぶん先生は「よく知識もないくせに、えらそうなこというな!」という、、ところなんでしょう。
でも、生徒自体は前向きな考え持ってるわけで、校内で先生のこういう偏見により対立したり、レッテルを
貼られたり、気分の悪くなるような言葉でとなじられたり。。前にちらりと読んだことあるけど
台湾国内でも偏見はあって、台東だったかな原住民は視力がいいからという事で
先生がテストの時に盗み見したと、そういうのがあったと。これはいかんよね。。
それでいい教育ができるのか?とそこをアーロンは心配してるんだと思います。
アーロン自身は冒頭でも書きましたが、芸能人という公衆の身分を利用して
いろんな環境問題やら関心ごとを議題として投稿してるけど、もしそれを見て
学生が環境保護や地球温暖化とかそういうのに対しての考えのところを刺激出来たらなと
そしたら日々見た人がそういう考えに賛同してそしたら地球に大きな変化がもたらせるのかも
知れない!とこういう考えからFacebookに投げかけてるわけで。。
でも、言論の自由の観点からするとなぜアーロンがやり玉にあげられるのかも?
なんですけどね私自身。
で、最後にアーロンはこの先生に向かって
「もし理解してもらえるのなら、一緒にこの誰も関心を持たない議題に参加して一緒に頑張りませんか?
偏見よりも、愛ですよ。それの方が心地よいでしょ」と。
アーロンの方が全然大人だった!という事でしょうかね~
ちょうどこれ昨日Facebookで出くわした、環境保護を考える動画。
一週間でどれくらいごみを減らせるか?というもの。マイカップ・マイタッパーで頑張ってます!
これはいい考えだと思う。台湾は外食産業が多いからごみもすごい!どんどん感銘を受ける人が
増えるといいなと思いつつ。 本日もまた時間がなく。。ざーっと見てこれ書いてしまいました。
スマホが動作重くなりすぎて、会社で「初期化すると動作が軽くなる」を真に受けてやってしまった。
最初からやり直し中~。 でも軽くなるみたいですよ!! なんせあたしのは1G/8Gなんで
FacebookもTwitterもブラウザで閲覧中。。次回もっと記憶容量がでっかいの買いたい。。